尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ジャン・ユスターシュ映画祭を見る

2023年09月03日 22時10分45秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フランスの映画監督ジャン・ユスターシュ(Jean Eustache、1938~1981)の映画をヒューマントラストシネマ渋谷で特集上映している。ヌーヴェルヴァーグが生み出した異端の映画作家で、2本の長編映画と数編の中短編映画を残して42歳で自ら命を絶った「伝説」の映画作家である。代表作『ママと娼婦』(1973)が1996年に公開された時に見た記憶がある。それでもこの人の名前を知っている人はよほどの映画マニアに限られるだろう。今回は長編2作と中編2作が上映されているが、他にも数本の映画があってアンスティチュ・フランセ東京で上映されるという。

 ジャン・ユスターシュは経済的に恵まれない家庭に育ち、高校へも行けなかった。母の故郷ナルボンヌ(フランス南西部、地中海に面した町)で育ち、電気技師の資格を取って国鉄職員となり、1958年にパリに移った。そこでシネマテークに通って、ゴダールやロメールと知り合った。秘かに『わるい仲間』(1963)をゲリラ的に撮影していて、それを仲間に見せたら絶賛された。若者二人組が町で出会った女性を口説こうとして、ダンス場まで一緒に行くがどうにもうまく行かない。そこで「悪さ」をしてしまう様子を描いている。なかなか生き生きと描かれた作品なんだけど、主人公に共感出来ないのが問題か。
(ジャン・ユスターシュ監督)
 その映画を見たゴダールが『男性・女性』の未使用フィルムを提供し、ゴダールの会社が製作したのが『サンタクロースの眼は青い』(1966)。トリュフォー、ゴダール作品で知られるジャン=ピエール・レオが貧しい若者を演じている。故郷ナルボンヌで撮影された映画。冬に向かってダッフルコートを買いたい青年がサンタクロースに扮して客と写真を撮るアルバイトをする。やがてサンタの着ぐるみを着ている方が大胆になれてモテると気付いて…。無職の冴えない青春を描く映画は日本で当時かなり作られたが、この映画ほどリアルな映画も珍しい。
(『サンタクロースの眼は青い』)
 上記2作はフランスで同時公開されたというが、今回も一緒に上映されている。その後、中編や長編ドキュメンタリー映画をいくつか作った後、1973年に畢生の大作『ママと娼婦』(La Maman et la Putain)を発表し、カンヌ映画祭で審査員特別グランプリを獲得した。215分もある長い白黒映画で、前見たときも長いなと思ったけど、どうも長すぎる気がする。題名と違って「ママ」と「娼婦」の映画ではない。「年上の女性」と「多情な女性」とでも言うべき中身である。ジャン=ピエール・レオ演じる主人公アレクサンドルが、僕にはよく理解出来ない。冒頭で別れた女性にまとわりつくシーンが、何だかストーカー的でやり切れない。
(『ママと娼婦』)
 アレクサンドルはその時、マリーベルナデッド・ラフォン)の家に転がり込んでいて、二人は性関係もある。だけど、心は別れたばかりの前の女性にある。そういうことはあるかもしれない。だけど、ここでアレクサンドルは町で見かけたもう一人の女性、ヴェロニカフランソワーズ・ルブラン)に声を掛けて付き合い始める。いわゆる「漁色家」というのでもなさそうなアレクサンドルが、その後二人の間で揺れ動く様を映画は見つめていく。これはユスターシュの自伝的な作品だという。実際フランソワーズ・ルブランは彼と付き合っていて別れたばかりだったという。性的なセリフが当時としてはスキャンダル視されたというが、今ではそこまで感じない。だけど、その分主人公にいい加減にしろよと言いたい気分になってくる。痛ましい映画だと思う。
(『ぼくの小さな恋人たち』)
 『ぼくの小さな恋人たち』( Mes petites amoureuses、1974)も自伝的な映画だが、もっと若い頃を描く。カラーで田舎の青春を描くので、他の作品のような痛ましさは少ない。ある意味、良く出来た「思春期映画」なんだけど、エピソードの羅列で「何も起こらない」映画である。いや、細かく見ると主人公の家庭的悩みが出ている。だけど、それはサラッと描かれるので、観客は重みを感じにくい。むしろ性の目覚めをずっと追っている。これは恐らく多くの人の実感だろう。自分ではどうしようもない家庭事情より、誰が好きとかの方が大きいのが普通だろう。いろいろあるけど、結局何も大きなドラマにならない。それが映画の魅力でもあり、多くの青春は実際に「何も起こらない」方が多い。青春の実感を伝える映画だ。

 結局、ジャン・ユスターシュ監督は「自伝」的な作品を作った人だと言える。「ヌーヴェル・ヴァーグ」を経て、誰でも映画を作って良くなった。映画どころか高等教育も受けていないユスターシュのような人でも映画を作れる。それは自分の人生を描くということだった。81年5月にギリシャで事故にあって、足が不自由になったという。それもあったかどうか、自ら死を選んだ。しかし、作品の中にも痛ましい人生を想像させる作品があると思う。トリュフォーやロメールの映画を見るときのような幸福感は得られないが、これも映画であり人生だ。
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