尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「嫌韓」と「過去の首相評価」、ねじれの様相ー国葬問題②

2022年08月22日 23時02分44秒 | 政治
 安倍元首相の国葬問題に関しては、左右両派にある種の「ねじれ」が生じているように思う。今までなら過剰なほどの攻撃性を持っていた「ネトウヨ」層が沈黙しているんだという。僕はいちいちネット上の様々な言説を追ってるわけじゃないから、詳しくは知らない。そもそもネット上の右翼にも関心がない。しかし、どうやら「旧統一教会」が韓国生まれの宗教で、問題が浮上するに連れて「反日宗教」などと言われていることと関係あるに違いないと思う。
(天宙平和連合が韓国で開いた集会)
 特に「天宙平和連合」という関連団体が韓国で安倍氏追悼集会を開いたことは、国葬賛成層に大きなショックを与えたのではないだろうか。安倍氏と旧統一教会に深いつながりがあったことがはっきりし、さらに韓国で追悼が行われたことで「逆効果」が生じた。安倍元首相は自民党内の右派として、中国、韓国との「歴史問題」で戦争責任を否認する立場に立っていた。一国の首相としては、やむなく最低限の線で認めたことがあったが、ほぼ過去に向き合わない姿勢で一貫した政治人生だった。

 深く考えずに言葉だけ強硬な姿勢が似ていたのだろう、安倍氏はいわゆる「ネトウヨ」層に強い支持があったはずだが、何のことはない。「韓国に日本人信者の浄財を貢ぐ手伝い」をしていたとは。そんな幻滅感があるのか、まだ心の整理をする時間もなく無視しているらしい。むしろ反安倍氏の立場、今まで「リベラル」的な立場になっていたはずの人が、安倍元首相を「反日宗教」に協力し「売国」とまで表現する人がいる。それも客観的な評価に問題がある。安倍元首相、あるいは自民党は「旧統一教会」勢力を利用したつもりだったのであり、利用されていたという意識は全くないだろう。

 岸元首相以来、「国際共産主義勢力から、皇室を守る」という「至上命題」のために、利用できる勢力はすべて利用するということである。旧統一教会の教義がどのようなものかなど、もっと大きな「大義」のためにはどうでもいい問題と考えるのである。そのような思考法は極めて偏っているし、非現実的な見方である。そして、その教団の信者の家庭で何が起ころうと二次的な問題とする。もちろん、社会問題になってしまえば、「お気の毒である」と言うだろう。しかし、公害事件が起きたら、苦しむ患者の立場に立つのではなく、公害企業の側に立って問題をもみ消そうとする。それが自民党の役割なのである。

 強いもののために有利な社会を作る。それが安倍氏だけでなく、世界の保守派の政治信条である。第2次安倍政権が発足した時に、安倍元首相は日本を世界の中で一番企業が活動しやすい国にすると発言した。経済発展のために必要な限りで、労働者の賃上げを求める姿勢を示したこともある。だけど、労働者に有利な労働法制を実現するわけではなかった。今回韓国の集会にはトランプ前米国大統領もビデオ演説を寄せていた。安倍氏が攻撃対象にされるきっかけとなった2021年の集会でトランプ氏も演説した。安倍氏はトランプがビデオ参加すると知って、自分の参加を容認したとされる。最後までトランプ追随だった。
(天宙平和連合でのトランプ氏の演説ビデオ)
 ところで、反国葬派に中には安倍元首相を批判する余り、これまで国葬、国民葬、内閣・自民党合同葬が行われた首相は、それなりにはっきりした業績があったと言う人もいる。これも「ねじれ」現象である。安倍元首相は退任後の時間が経ってないから、業績評価が定着してない。むしろ安保法制や国会答弁など「民主主義の破壊者」だったとする。一方で、吉田茂は「講和」、佐藤栄作は「沖縄返還」「ノーベル平和賞」というはっきりした業績があると言うのだ。さらに中曽根元首相でさえ「国鉄民営化」が業績だとする人がいて、全く驚いてしまった。時間が経つと、皆が忘れてしまうのだろうか。
(中曽根氏の群馬県民・高崎市民葬)
 佐藤栄作元首相は1972年に退任し、75年に急逝した。現職の衆議院議員だったから、安倍氏とは時間的にも立場的にも似ている。安倍氏以前の連続長期政権記録保持者だが、長すぎた政権末期の不人気を国民はまだ覚えていた。ノーベル平和賞も「非核三原則」が理由なんだから、佐藤元首相が受けるべき理由ではない。国民の多くは受賞に困惑するか、批判した。受賞は佐藤氏周辺のロビー活動が実っただけだろう。沖縄返還も業績といえば業績かもしれないが、当時も今も「苦い返還」である。基地を残したままの返還協定に野党は反対したのである。

 中曽根氏に至っては、「戦後政治の総決算」と称する21世紀の小泉、安倍政権につながる首相である。国鉄民営化とは戦後の労働運動を引っ張ってきた官公労の解体政策である。そして実際、厳しい弾圧にあった国労は壊滅させられ、以後はほぼ「闘う労働運動」が消えてしまった。ウソをついて衆参同日選に持ち込んだやり口も、ひどかった。「私がウソつきに見えますか」とまで言ったのである。忘れてしまった人が多いのか、中曽根氏は業績があったのに「合同葬」なのに、安倍氏が「国葬」はおかしいと言う人がいる。自民党の「大政治家」は皆似たようなものであり、たまたまその時点の政治状況が葬儀の方法を規定しているだけである。おかしいと言えば、全部おかしいけれど、選挙に勝って権力を握っている勢力が決めたわけだ。
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