尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中学歴史教科書問題とは何だったか①

2020年08月29日 23時18分09秒 |  〃 (教育問題一般)
 中学教科書の新採択年ということで、今年の夏に各地で採択が行われた。21世紀になってから、ずっと中学社会科教科書の採択をめぐって問題が起きてきた。しかし、今まで右派系教科書を採択してきた東京都教委や横浜市、大阪市などが今年は他社に変更した。横浜、大阪は行政規模が大きく、前回は両市だけで4万冊以上になった。今年もいくつかの採択地区で育鵬社が採択され、私立中学でも採択されるだろうが、前回のシェア約6%を大きく割り込むことは間違いないだろう。一体、この「中学歴史教科書問題」とは一体何だったのだろうか。

 中学の歴史教科書問題を振り返ってみる。2001年に「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」)執筆による扶桑社の「新しい歴史教科書」が登場した。その時は大々的に市販して、大きな話題となったものだ。その後、公民教科書も作られたが、2005年の採択が終わった後で「つくる会」が分裂した。その後は「教科書改善の会」系の「育鵬社」(扶桑社の100%子会社)と「つくる会」系の自由社と2つの右派系教科書が存在している。しかし、自由社は今までもほとんど採択がなく、今年は歴史が検定で不認可となった。
(2001年の扶桑社歴史教科書)
 今まで何回も保守政治家による教科書攻撃が起こってきた。その問題は別に考えるが、「新しい歴史教科書をつくる会」は教科書を攻撃するだけでなく、保守派にとって望ましい教科書を自ら執筆しようという新方針を打ち出した。その事がどういう意味を持つか、政治的な意味は検討しただろうが、教育的な意味はほとんど考えられていないと思う。教科書は自由に出版できる商品ではない。文部科学省の検定を受けて合格しなければ出せない。さらに小中は採択地区ごとに教育委員会による採択が行われる。出版物でありながら本屋で自由に買えない。

 「採択」は8月末までに行われる。それは学校ごとに選べる高校でも同じである。どの教科書を選んだかは文部科学省に報告される。その集計を受けて、各出版社が必要部数を印刷するわけである。転校で学期途中に必要になる場合もあるが、教科書はほとんど学期初めに買うものだ。小中は無償だから、買うのは教育委員会であって各校に配布される。各社が自由につくる商品でありながら、価格は共通に設定されている。普通の意味での自由競争が働かない商品なのである。そういう特別な商品であるという自覚が執筆者側にどれだけあっただろうか。

 教育的側面は次回に詳しく書く予定で、今回は政治運動としての側面を振り返りたい。そもそもの発端は東大教授だった藤岡信勝氏の「自由主義史観研究会」にある。1991年の湾岸戦争では「自衛隊の貢献」議論が行われ、冷戦終結以後の新しい世界認識を問われた。その後に「転向」した人はかなりいるが、藤岡氏もその一人でそれまでは共産党系の教育学者だったということだ。そして「大東亜戦争肯定史観」とも「東京裁判史観」とも違う「いずれにも与しない史観」を「自由主義史観」と名付けた。四半世紀前は「左翼」と「リベラル」は反対概念だった。
(藤岡信勝氏)
 しかし、これは歴史学に疎い外部からのトンチンカンな論難だろう。「東京裁判史観」なんてものはないし、もしあえて言うならばサンフランシスコ平和条約(東京裁判の結果を受諾する条項がある)に基づく戦後政治をつくってきた「日本政府」の歴史観ということになる。しかし、日本の右派政治家は常に戦前を美化し、軍隊を持てない戦後日本を非難してきた。そして「日本国憲法」を敵視し、大日本帝国の戦争責任を追求した東京裁判を非難してきた。

 そして1990年代半ばに日本社会も大きく変わった。アジア諸国の経済成長に伴い、日本内部でも近隣諸国との戦争認識の違いが問題になった。そして1993年の「河野官房長官談話」、1995年の「村山首相談話」が出される。1993年に自民党内閣に代わって、日本新党などの連立による細川護熙内閣が成立した。細川首相は戦没者追悼式典で日本の「侵略」を初めて認めた。以後、2012年末に復活した安倍晋三内閣まで、基本的に首相は日本の戦争責任を認めて謝罪するようになったのである。

 左右に与しないはずの藤岡氏も、「東京裁判史観」などと言ってるうちに、どんどん右傾化していった。1996年12月に藤岡氏と西尾幹二氏が中心となり「新しい歴史教科書をつくる会」が作られ、産経新聞の「正論」に執筆している右派系論客が数多く参加した。そして産経新聞の子会社である「扶桑社」が教科書発行を引き受けた。つまり、「教科書」は一つの象徴のようなもので、本質は「歴史修正主義運動」の連合体と考えた方がいい。教科書「改善」と並んで、彼らの目標は「教育基本法改正」だった。その先には「憲法改正」があるのはもちろんである。

 「教育基本法改正」は言うまでもなく2007年の第一次安倍政権で実現したので、右派系の教育運動はずいぶん前に「成果」を挙げていたわけである。そして第二次安倍内閣で「道徳の教科化」も実現した。社会科教科書への右派系の熱が落ちていた一因はそこにもあるだろう。また当初「つくる会」系の人々は、中学歴史教科書に「慰安婦問題」の記述が入ったことに特に「危機感」を表明していた。歴史認識と同じぐらい「性教育」を敵視していたのも、家父長制的性感覚が背景にあるのだろう。つまり、「教科書問題」とは言うものの、本質は歴史修正主義運動だった。採択反対運動も政治化せざるを得ないが、「向こうが始めた」という思いで「教育に政治を持ち込まないで欲しい」と思っていた。その意味については次回に回したい。
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