尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

犬養道子、日野原重明、平尾昌晃等-2017年7月の訃報

2017年08月04日 23時05分55秒 | 追悼
 2017年7月の訃報から。中国の民主化運動家劉暁波とフランスの女優ジャンヌ・モロー、アメリカの劇作家・俳優サム・シェパードを別に書いた。日本でも、結構有名人の訃報が多かったんだけど、一番大きく報道されたのは日野原重明だろう。でも、僕はその前に犬養道子(1921~2017.7.24、96歳)を取り上げたい。日野原先生は最後まで現役だったから知られているけど、しばらく消息も聞かなかった犬養道子の名は僕も忘れていた。だけど、80年代に環境保護難民救援に努めた功績は不滅だ。名著「人間の大地」で広まった「みどり一本」運動は、アフガン難民支援の植林運動から始まった。僕の周囲で記憶する限り、多くの人が一回ぐらいは寄付したことがあるんじゃないか。

 5・15事件で殺害された犬養毅首相の孫にあたる。その子で文人政治家として著名だった犬養健の娘。(ちなみに今回ウィキペディアを見て、安藤和津が異母妹だと出ていた。事情は書かないけど、僕は知らなかった。)早くから欧米に留学し、多くの自伝的著作がある。「お嬢さん放浪記」「花々と星々と」「ある歴史の娘」など、たくさん中公文庫で出ていた。最後の頃は聖書に関する本が多い。「聖書の旅」全10巻がライフワークだったという。日野原さんとの共著もあった。

 日野原重明(1911.10.4~2017.7.18、105歳)は、100歳を超えても社会的活動を旺盛に続けていた。それだけでもすごいけど、活動の幅も広い。文化勲章を2005年に受けていて、どういう理由か調べてみると「内科学・看護教育・医療振興」となっている。ものすごく多数の著書があり、多数の肩書があった人だけど、単に医療を病院の医者の問題としてではなく、看護を含めて捉えた。「成人病」を「生活習慣病」と呼ぶように提唱し、「人間ドック」を開設するなど幅広い活動を行った。1970年のよど号ハイジャック事件に遭遇したことや、1995年の地下鉄サリン事件が起きた時、聖路加病院の外来診療を中止しサリン事件の救援に全力を絞ったことなども有名なエピソードだろう。こういう風に戦後史の重要な節目に出会うというのも、「一種の才能」なんだと思う。

 平尾昌晃(1937~2017.7.21、79歳)は、70年代の歌謡曲の作曲家として永遠に残る仕事をした。50年代後半に「ロカビリー三人男」として大人気を博していたわけだが、もちろん僕は知らない。だから五木ひろしの「よこはま・たそがれ」や小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」の作曲者として知ったわけだ。小柳ルミ子の「わたしの城下町」、アグネス・チャンの「草原の輝き」、梶芽衣子の「修羅の花」(「修羅雪姫」のテーマ)等を思い出すとき、僕だけでなく70年代初期の精神史に大きな影響を与えた人だと判る。まあ、うまく言えないけど。74年に作った「平尾昌晃音楽学校」からは、狩人、川島なお美、石野真子、松田聖子、森口博子、倖田來未、後藤真希らを育てたというから、それもすごい顔ぶれだ。

 プロ野球の阪急日本ハムで監督を務めた上田利治(うえだ・としはる、7.1没、80歳)は、通算20年の監督生活で、リーグ優勝5回、日本一3回の成績を収めた。まあ、阪急の黄金時代を築いた人という印象。阪急は88年にオリックスに身売りし、最後の監督、最初の監督になった。
   (左から上田利治、安西愛子、砂川啓介)
 NHKの「歌のおばさん」だった安西愛子は100歳だった。7.6没。童謡歌手として、戦時中に「お山の杉の子」が大ヒットした。1971年に自民党から参議院全国区に出て、2位で当選した。(1位は田英夫、3位は望月優子)3期務めたけど、長命すぎて忘れられたかも。砂川啓介はNHKの「おかあさんといっしょ」の初代「体操のおにいさん」で、ドラえもんの声で知られた大山のぶ代の夫として知られていた。認知症を患う妻よりも先に逝去することになった。7.11没、80歳。

 本を書いた人として、子安美知子の存在は大きい。7.2没、83歳。「ミュンヘンの小学生」「ミュンヘンの中学生」でシュタイナー教育を日本の紹介した。今では日本でもシュタイナー学校ができているが、この人無くしてあり得ないと思う。ミヒャエル・エンデの関する本をあり、70年代、80年代にオルタナティブな教育のあり方を提起した意味は大きい。
 (子安美知子)
 詩人の粒来哲蔵(つぶらい・てつろう)は6月2日に死去、89歳。また詩人の原子朗(はら・しろう)は7.4没、92歳。宮沢賢治研究家でもあった。それよりも日本のSF作家として初期に重要な役割を果たした山野浩一の方が僕には重要。7月20日没、77歳。「X電車で行こう」など僕は好きだった。日本のニューウェーブSFの先駆者だけど、それより一般的には競馬評論家として知られただろう。

 「月光仮面」の作曲家、小川寛興(おがわ・ひろおき)が7.19没、92歳。「聖母たちのララバイ」「時間よ止まれ」「太陽がくれた季節」などの作詞家、山川啓介が7.24没、72歳。

 映画美術家の横尾嘉良(よこお・よしなが)が、7.18日没、87歳。ものすごくたくさん手掛けているが、元は日活で当時のアクション映画、青春映画をいっぱい手掛けている。鈴木清順の「野獣の青春」は木村威夫かと思うと、実は横尾の担当である。山本薩夫監督の「戦争と人間」三部作、村野鉄太郎の「月山」、相米慎二の「セーラー服と機関銃」「魚影の群れ」、小栗康平の「死の棘」「眠る男」なんかが主な仕事だと思う。見ると僕の好きな映画の美術にずいぶん名前が載っていた。

 外国映画関係で、「ゾンビ映画の父」と言われるジョージ・ロメロが7月16日に亡くなった。「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」という1968年の映画がデビュー作であり、ゾンビ映画の始まりとなった。「ゾンビ」「死霊の餌食」などの作品がある。アメリカのB級映画で有名なエド・ウッドを描いた名作「エド・ウッド」で俳優ベラ・ルゴシ役を演じて、アカデミー助演男優賞を得たマーティン・ランドーが死去。7.15没、89歳。
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