尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ジャンヌ・モローとサム・シェパードを悼む

2017年08月01日 23時24分03秒 |  〃  (旧作外国映画)
 昨日フロスト警部の話を書いた後で、ジャンヌ・モローの訃報を知った。すぐ書くには遅すぎたので今日にまわそうと思ったけど、朝刊を見たらサム・シェパードの訃報も載っていた。合わせて二人のことを振り返っておきたい。まずはジャンヌ・モローから。

 ジャンヌ・モロー(1928~2017.7.31、89歳)はフランスを代表する大女優だった。もともと演劇から出発したが、50年代後半にその時代の新しいフランス映画にいっぱい出演した。今でもルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」(1957)が一番最初に言われる。翌年の「恋人たち」も素晴らしい。1960年のピーター・ブルック監督、マルグリット・デュラス原作の「雨のしのび逢い」ではカンヌ映画祭主演女優賞を受賞した。デュラス作品は後に「マドモアゼル」にも出てるし、本人役を演じたこともある。
 (「死刑台のエレベーター」)
 という話をいくら書いても仕方ない。僕にとってはフランソワ・トリュフォー「突然炎のごとく」(1962)に主演した人なのである。もちろん、今まで挙げた映画は同時代に見たわけではない。世界の映画を見るようになって、フェリーニの「甘い生活」やゴダールの「気狂いピエロ」なんかと並んで「発見」したわけである。これらの映画は僕の最も好きな映画だから、もう何度も見ている。何度見ても面白いし、心打たれる。映画の中でも「美人というより、神秘的な顔立ち」などと評されている。「美人」と言えばそうなんだろうけど、むしろ「人をひきつけてやまない独特の風貌」というべきか。
 (「突然炎のごとく」)
 「突然炎のごとく」の他では、ルイ・マル「鬼火」が凄かった。またトリュフォーの「黒衣の花嫁」もすごいけど、怖い。同時代には何を見たかと思い出すと、監督もした「ジャンヌ・モローの思春期」(1979)は岩波ホールで公開されたときに見たなあ。テオ・アンゲロプロスの「こうのとり、たちずさんで」なんかもあった。最後の作品、「クロワッサンで朝食を」(2012)では、パリに住む気難しい老婦人を見事に演じていた。だけど、もう僕の同時代には大女優すぎて、特にファンというわけでもなかった。でも、見事なるフランス女優だった。去っていくのが惜しい。

 サム・シェパード(1943~2017.7.27、73歳)は、アメリカの劇作家、俳優。訃報では「ライト・スタッフ」(1983)が大きく扱われている。実在の米空軍パイロット、チャック・イェーガーを演じて、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。イェーガーは史上最初に音速を超えたパイロットで、調べてみるとサム・シェパードよりも20歳も年上だけど、まだ存命である。

 僕も「ライトスタッフ」で名前を知ったけど、それよりもヴィム・ヴェンダース監督の「パリ、テキサス」(1984)の脚本を書いた人という印象が強い。もう、圧倒的に素晴らしい映画で、素晴らしいシナリオだ。映画俳優としていろいろ出てたが、本職は劇作家。日本でも上演されたのがあると思うが見てない。ロバート・アルトマン監督の「フール・フォア・ラブ」(1985)は、シェパードの原作、脚本、主演なんだけど、どうもシェパードの書くアメリカは結構ドロドロしていて人間関係が大変。ヴェンダースとは、「アメリカ、家族のある風景」(2005)でも組んで、脚本、出演している。外見的にはすごいハンサムなんだけど、アメリカを見つめる視点が深くて暗い。出てると注目してしまう俳優だった。
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「ベルギー 奇想の系譜」展を見る

2017年08月01日 21時11分58秒 | アート
 渋谷の「Bunkamuraザ・ミュージアム」で「ベルギー 奇想の系譜」という展覧会を見た。大昔に「ベルギー象徴派展」というのを見たことがあり、また見たいと思っていたから「早売り券」というのを買っていた。今回は「ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで」と書いてある。9月24日まで。

 この展覧会は、なんとヒエロニムス・ボスから始まり、ブリューゲルルーベンス(の「奇想」的な作品)などを経て、19世紀末の「象徴派」のクノップフロップス(ボードレールと親交のあった画家)などへ続く。さらにマグリットデルヴォーなど20世紀の画家を経て、ヤン・ファーブル(という人は現代の彫刻家だった)までという長い時間を見せてしまおうという企画。だから一人の画家は割と少ない。

 僕が昔見たという「ベルギー象徴派展」はいつだったのか。その頃はカタログを買っていたから調べてみると、1982年11月12日から1983年1月23日まで、東京国立近代美術館だった。幻想的で憂いに満ちた不思議な魅力にに完全に心奪われてしまった。後に、岩波文庫からローデンバック「死都ブリュージュ」が出たが、まさにそのムード。画家クノップフという人は、父の仕事の関係で幼い時は実際にブリュージュ(ベルギー北西部の都市)に住んでいた。

 若い時にルネ・マグリットポール・デルヴォーを初めて見た時は驚いた。自分の心の中にある幻想をまざまざと見せてくれる人がいたのか。そういう思いである。まだほとんど知られていなかったから、特に初見の驚きと感激が大きかった。今見ると、もうそういう驚きはない。大体、マグリットの「大家族」とかデルヴォーの「海は近い」なんかは日本にある。前者は宇都宮美術館(そこでも見ている)、後者は姫路市立美術館。姫路所蔵の昨品が多いのは、ベルギーの都市と姉妹都市だから。

 そのデルヴォーの「海は近い」という絵は、不思議な魅力をたたえている。画像で見るのと実際に見るのは大違いである。一方、ボスやブリューゲルとなると、小さな画面に実の多くの「奇想」が描かれていて、面白いには面白いけど見るのが疲れてしまう。(だから「バベルの塔)は見なかった。)それじゃ、しょうがないんだけど、やっぱり「大きな絵」を中心にみてしまうのであった。古典から現代まで、奇想の系譜をたどる貴重な機会なので、関心のある人は是非。宇都宮、神戸と回ってきて、ここが最後。
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