尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

真面目に考えてみよう、「五輪返上」!

2016年06月17日 23時25分32秒 | 社会(世の中の出来事)
 東京五輪をめぐるゴタゴタが絶えない。なんでだろうか?と言う人もいるけど、僕に言わせれば「当たり前」だと思う。なぜなら、石原知事時代に「上から」強権的に決められた「五輪招致」だからである。都民の中から盛り上がってきた五輪招致ではなかった。だから、長いこと「東京の弱点は、地元の支持の低さ」だった。もう忘れている人も多いだろうが。招致可能性が高くなって、あるいは実際に五輪を開くことになって、「やる以上は盛り上げよう」という意識も出てきた。でも、やっぱり中心になっている人を見れば、「東京五輪は誰のものか」が判ると思う。

 例えば、2016年3月31日に、以下の人々が集って、五輪会場整備の費用負担を見直すことで合意している。その3人とは、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長、遠藤利明五輪担当相、東京都の舛添要一知事である。森氏はもちろん元首相の自民党重鎮で、2012年12月まで衆議院議員だった。舛添氏も2010年まで自民党参議院議員だったから、要するに東京五輪は自民党のオジサン(オジイサン?)が取り仕切っている世界なのである。それではゴタゴタするのも当然だし、「普通の人」は近づかない方がいい世界なのである。

 だけど、「五輪は都市が開催するもの」である。東京五輪招致を言い出した石原都知事を都民は選挙で選出した。(2006年8月に、2016年夏季五輪の日本候補として、東京が福岡を破り決定した。だから、その前から東京五輪構想が打ち出されていたわけである。2007年と2011年の2回の都知事選で、五輪招致は争点にならず石原知事が3選、4選された。)石原辞任後も、猪瀬、舛添と自民党が推薦する知事が当選した。「都民の盛り上がり」が今ひとつだったとはいえ、東京都民が五輪成功に責任があるのは間違いない

 五輪というものがあり、現実に世界で大きな意味を持っている。そのことは誰にも否定できないから、東京開催が決まった以上、「応分の協力」はやむを得ない。例えば、開会期間中にテロ警戒のため市民生活の利便性が多少制限されても、まあガマンするしかないだろう。それに、もう4年前である。リオ五輪の閉会式で五輪旗が渡されるわけで、事実上東京開催を中止する余地はない。それが常識的な考えだろう。だけど、そう考えるなら、五輪直前に知事選をやる日程を決めるとか、リオ五輪に出席する知事を今変えるとかいう選択をしていいのか。それなのに都議会与党であり、国政与党でもある自民、公明も不信任案を提出した。もはや一番先に書いた「3者合意」は崩れたと思う。都民は五輪費用の負担に関して、改めて「新しい判断」をしてもいいだろう。

 もともとの五輪費用は、7300億円とされていた。このうち、3000億円は民間資金で賄い、残りの4000億円は都で負担する。だけど、1千億円の積み立て金は既にあり、残りも毎年積み立てられるから、新たな負担なしで五輪を開催できるという、夢のようなおいしい話で、世界一コンパクトな大会と主張していた。それが開催が決まって、現実に準備が進むに連れて、どんどん費用が膨らんでいった。国立競技場のデザインやエンブレムの撤回などもあったけど、実はそれは小さな問題である。そういう問題もあったけど、総費用が2兆円とか3兆円とか言われている。どうなっているのか。

 いくら地方交付税不交付団体の東京都といえども、これは負担できる数字ではない。では、国で出せるか。東京五輪の経済効果はもっと上だという考えもあるようだが、経済成長を目指す安倍政権はさらなる負担を承知するか。自分が投票したわけではないが、石原知事が言い出したという経緯がある以上、僕も都が今後の負担増をまったく拒否するというのは、難しいだろうと思う。だけど、どのくらいなら、新たな負担をのんでもいいと思うか。今度の知事選の最大の争点になるはずだ。僕の思うには、4千億円の半額、2千億ぐらいが上限だと思うのだが、どうだろうか

 舛添知事の「公金意識の低さ」をあれほど批判した都民のことだから、もっと厳しいのかもしれない。そうすると、残りを国が出すのか。舛添知事は、五輪成功のためには、それこそ「ヘリクツ」を駆使して拠出するつもりだったようである。例えば、競技会場を新たに作るときにバリアフリー化する必要が(今は当然)あるわけだが、それは「福祉」と考えて、福祉予算から拠出するとか。その後も「都立施設」として都民の利用に使われるものは東京都の負担、仮設の施設で五輪後には撤去されるものは「組織委員会」というのが、一応の「流れ」らしい。理解はできる考え方だが、種目数も増えて「今後の利用が見込まれない施設」ばかり都が作らざるを得なくなるのではないかという懸念も強い。

 こうしてみると、都知事選で「新たな都民負担は極力少なくする」という知事が誕生すると、東京五輪はできない可能性が出てくる。猛暑の7月末に予定された五輪のことである。ここらでいっそ「返上」の最終可能性、ちょっと前までは「やるしかない」と思われていた東京五輪もやらない方がいいという可能性が出てきたと思う。いや、それはできないでしょ、やりましょうと言う人は、費用負担をどうするのか明確に答える責任がある。多額の都債を発行するとしても、後々で都税を増税する必要が出てきかねない。とにかく、新たに一兆円は無理である。耐震化や福祉、教育を犠牲にするしかなくなってしまう。今度の知事選はきちんと五輪費用負担を議論してほしいものだ。僕はやっぱり「いっそ返上しよう」と思うのだが。
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