尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

高橋治、宮英子、貴ノ浪、オーネット・コールマン等ー2015年6月の訃報

2015年07月05日 22時47分10秒 | 追悼
 2015年も半分終わってしまった。先月もさまざまな人々の訃報が伝えられた。作家の高橋治(6.13没、86歳)は元は松竹の映画監督だった。助監督時代には、なんと小津の「東京物語」についている。ヌーベルバーグ期に昇進して、「彼女だけが知っている」「死者との結婚」などいくつかの作品を残している。僕が見ているのはこの2作だが、これらは小山明子を主役にしたミステリー作品で、それほど悪くもないけど、強烈な印象までは残さない。理知的な作風は小山明子に合っていたかもしれないが。監督としての才能に見切りをつけ退社して、文筆業に転身。当初は社会派路線で、朝日ジャーナルに長期連載したシベリア出兵をめぐる「派兵」は未完に終わっている。
(高橋治)
 その後、1982年に刊行された小津安二郎を描くノンフィクション・ノベル「絢爛たる影絵」で注目された。これは文春文庫で読んで感心した記憶があるが、30年近く前のことで細部は忘れた。今は岩波現代文庫に収録されている。そして、少し後の「秘伝」で1984年に直木賞を受賞したわけである。しかし、まあ一般的にはやっぱり「風の盆恋歌」だろう。越中八尾の「おわら風の盆」を一躍有名にしたこの小説は、非常によく出来た「不倫小説」。夢中で読まされてしまう。その後の人気作家ぶりは大変なもので、恋愛や釣りの話が多いと思うが、20世紀後半には毎月のように文庫が出ていた。大島渚や篠田正浩が映画監督の人生を終わろうという頃に、かつての同僚、高橋治は人生の絶頂を迎えたわけで、そういう人生もある。

 歌人の宮英子(みや・ひでこ 6.26没、98歳)は歌人宮柊二(みや・しゅうじ 1912~1986)の夫人だった。宮柊二は戦後に活躍したもっとも有名な歌人の一人だが、特に日中戦争に従軍した時の歌が知られている。中国の山西省に従軍して、苛烈な戦場体験をした。
 ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば聲も立てなくくづおれて伏す
 中国戦線での戦場体験を歌った歌である。これらの歌は、大岡昇平の小説や浜田知明の版画に接した時に感ずるような「生の戦場」を感じさせる表現活動だった。宮英子は夫の死後、「コスモス」短歌会の仲間と山西省を訪れる。その旅は、2000年まで8回行われたという。そして歌を作った。
 彼の日彼が指しし黄河を訪ひ得たり戦なき世のエアコンバスにて
 
 ジャズ奏者のオーネット・コールマン(6.11没、85歳)は「フリー・ジャズ」で知られた。これは僕もレコードを持っている。イギリスの俳優クリストファー・リー(6.7没、93歳)はドラキュラで有名な俳優だった。フランケンシュタインの怪物も。最近の映画にも出ていたが、そういう昔のイギリスのホラー映画の印象が強い。ラウラ・アントネッリ(6.22没、73歳)はイタリアの女優で、「青い体験」で人気を得た。いました、いました、少年に「性の手ほどき」をしちゃう家政婦。ヴィスコンティの遺作「イノセント」の主役。
(オーネット・コールマン)(ラウラ・アントネッリ)
 日本では小泉博(5.31没、88歳)が先月の最後に亡くなった。マキノ雅弘の東宝版「次郎長三国志」シリーズに出ていた。その他、東宝の娯楽映画にたくさん出ているが、テレビ「クイズ・グランプリ」の司会者として覚えている人もいるだろう。横井弘(6.19没、88歳)は作詞家で、倍賞千恵子の「下町の太陽」の作詞者。舞踏家の室伏鴻(むろぶし・こう、6.18没、68歳)は有名な人だったらしいけど、僕はよく知らない。
(小泉博)
 元大関貴ノ浪(音羽山親方)が死去した。6.20没、43歳。あまりにも若い死でビックリした。この人は藤島部屋、二子山部屋で、つまり先代の大関貴ノ花に弟子入りした。この部屋には若貴兄弟が大関、横綱になっていたから、同じ部屋で対戦のない貴ノ浪が上に上がってきて大関になっても面白くなかった。相撲も大雑把な「引っ張り込み」で、技能派力士の方が好きなので、あまり関心がなかった。だけど、その大柄を生かした豪快な相撲はだんだん面白くなってきて、特に横綱貴乃花との相部屋優勝決定戦の河津掛けなんて決まり手は見事なものである。横綱武蔵丸とは新入幕、大関昇進が同時で、58回対戦していてこれは記録だという。大関を陥落後に、長く相撲を取って、「自分らしさ」を全開した取り口で楽しませてくれた。大関陥落後に横綱武蔵丸から金星を挙げるという珍しい、また立派な記録を持っている。僕がこの人はなかなかすごいと思ったのは、たまたま見ていた時に(それは初優勝の場所だったとのことだが)、控え力士として「物言い」を付けたのを見た時。これは後に横綱白鵬が付けたのを見たが、普通の力士ではできないことだろう。引退後のNHKでの解説も判りやすかった。
(貴ノ浪)
 政治家で前衆議院議長の町村信孝(6.1没、70歳)は議長辞任後あっという間の訃報だった。北海道知事を務めた町村金五の子どもで、東大時代はノンポリ学生のリーダーだった。小泉、安倍内閣で外相、福田内閣で官房長官と旧福田赳夫派全盛時代に重要な役を担った。その後、派閥を森喜朗から受け継ぎ、町村派と言ったわけだが、たまたまだが「森」「町村」「福田」とかカントリー風の名字ばかりで、それが自民党っぽいのかもしれない。社会党委員長を務めた田辺誠は7月になってからの訃報だが、6月には元書記長の馬場昇(6.15、89歳)と6回当選の後藤茂(6.5没、89歳)が亡くなった。馬場昇は熊本県選出で、水俣病問題の解決にも尽力した。「社会党」という記憶がだんだん無くなっていく。外国では、元ロシア首相エフゲニー・プリマコフ(6.26没、85歳)元中国全人代委員長の喬石(6.14没、90歳)の訃報が伝えられた。ソ連崩壊前後、天安門事件前後にいろいろあったけど、今は省略。
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