尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

銀座の碑-銀座散歩②

2014年07月16日 23時54分35秒 | 東京関東散歩
 「銀座」という地名は、今や「町の中心の商店街」という一般名詞に近いけど、もちろん元々は江戸時代の貨幣鋳造所のことである。「金座」とか「銭座」というのもあったけど、とりあえず「銀座」は今の銀座2丁目付近にあったとされる。中央通りの2丁目に「銀座役所跡の碑」が建っている。そこから始めて、銀座の記念碑をまとめて紹介しておきたい。地図で上の方の1丁目から挙げると、まず「銀座入口」付近に「銀座ガス灯の碑」がある。
  
 4丁目には「真珠王の碑」があるが一回目に載せた。4丁目から有楽町の方に曲がって高速道路の方まで行くと、4丁目と5丁目にかけて「数寄屋橋公園」がある。「数寄屋橋」(すきやばし)というのは、もともとは外濠に架かる橋の名前で、今は新橋とか京橋とか川がないからただの地名と思っているしまう人もいるけど、もちろんちゃんとした橋なのである。「君の名は」で待ち合わせたのが数寄屋橋で、昔の映画を見ればその様子が判る。でも1958年に埋め立てられ、今は東京高速道路になっている。その付近に数寄屋橋公園が作られ、ここまでが中央区銀座。その先の日劇(現マリオン)は千代田区有楽町である。僕は数寄屋橋公園というと、赤尾敏という名前を思い出す。愛国党党首として選挙にいつも出ていた右翼で、日曜日にここを通るとたいてい演説をしていた。ほとんど「銀座の風物詩」に近かったけど、さすがに「赤尾敏の碑」などはない。それはなくていいけど、ここには碑がいっぱいある。4丁目側(マリオン側)からいくと、震災10周年記念の北村西望の彫刻銀座の柳並木の碑。そして「銀恋の碑」。デュエット曲として有名な「銀座の恋の物語」の碑である。これは石原裕次郎と浅丘ルリコ主演で映画にもなっている。
   
 晴海通りを渡って5丁目の方に行くと、「君の名は」の菊田一夫の手になる「数寄屋橋の碑」がある。そこには「太陽の塔」みたいな塔が建っているけど、常に誰かがずっと座っているから写真が撮りにくい。そこから中央区立泰明(たいめい)小学校の方に行く。ここは震災後に建て直された「復興小学校」で、1929年建設。東京都の歴史的建造物である。と同時に島崎藤村、北村透谷がここに学んだという碑がある。また学校の入り口に「みゆき通り」の説明プレートや泰明小100年の彫刻がある。まあ、明治天皇が通ったという「御幸」ということである。戦後に「みゆき族」というのがあったけど。
   
 6丁目6-7に「啄木の歌碑」がある。「京橋の瀧山町の 新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな」とある。中央通りに戻ると「一橋大学発祥の地」の碑。8丁目まで行くと、10番地の「御門通り」の入り口に「芝口御門」の碑がある。元々は汐留川に新橋が架かり、江戸時代に「門」が作られていたという地だとある。今は銀座は「高速道路に囲まれた地」なんだけど、戦前までは「川に囲まれた地域」だったのである。皆埋め立てられて、今の人には全然実感がない。
    
 そうして中央通りを8丁目まで歩くと、もう新橋ということになる。そこに「銀座柳の碑」と「新橋の碑」がある。この銀座柳というのは歌の方である。その一帯は高速道路の下、道路のつきるあたりで、団体観光客の集合場所に使われている。今は銀座は外国人客が多くて、特にこの地帯は中国人観光客が多いのか、法輪功がキャンペーンしていた。他にもあるようなんだけど、とりあえず今まで見た碑のまとめ。撮ってあるのもまだあるけど、何しろ探すのが大変なので。
  
コメント
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