にゃんこの置き文

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず

認知症の不思議

2017年08月09日 | 日記
前回の癌に続き、今回は認知症の印象を。

50歳を過ぎると、友人とかわす話題は病気ネタが中心になってくる。
若い頃は不思議に思っていたけど、今はすごくよくわかる。
何といっても、50を境に身体のあちこちにガタが出てくる。
私なんてそれまで眼医者と歯医者くらいしかかかったことはなかったのに、今ではほとんどの科の診察券を持ってるもんね。
未だにないのは外科くらいかな?

そうやって病気と身近になるのに合わせて、死も他人事でなくなってくる。
若い人の死もショックだけど、それ以上に同年代の訃報は精神に堪える。
もう立派な癌好発年齢なんだなと思うと同時に、この先に目を向けると、避けて通れないのが最期の迎え方だ。

私は他人といると必要以上に気を使ってしまう性格な為、息を引き取る時くらい独りでいたいと切望している。
「畳の上で子や孫に囲まれて」という光景は、私にとって悪夢でしかない。(もっとも子も孫もいないのでその心配はないけど)
出来ることなら医療者にも傍にいて欲しくないので、理想の最期は孤独死ということになる。
最高に幸せな死に方だと思うのは、人が入り込まない山奥で、誰にも知られず自死することなんだけど、これはなかなか実行に移すのは難しい。
心筋梗塞や脳梗塞でぽっくりいくのも、掃除や引継ぎやパソコン内に残っているヤバいものの処分ができないという意味でよろしくない。
なので現実的には癌死が一番かなと思ってるんだけど、そこに高々と立ちふさがる壁が「認知症」なのだ。

理想も、一番も、へったくれもない。
これになっちゃうとすべて絵に描いた餅になる。
これにだけはなりたくないと願っても、気が付いたらなってるから尚更怖い。

今、身近な人が認知症を発症して、それに振り回されているんだけど、4月には普通だったのに、5月に少し「?」と感じることがあり、6月には「?」が増えて、7月にはもう別人といっていいくらい。
癌なら予防の仕方はいろいろあげられているし、万一なっても治療法はあふれている。
でも認知症は気休め以下の予防法しかないし、発症のきっかけは不明だし、治療法もほぼ皆無だ。
唯一確実な予防法は、長生きをしないことくらいか?
と思ったら、日野原さんのような例もあるし、ますます訳が分からなくなる。

喫煙者への攻撃が凄いけど、なまじ長生きして認知症になるより、適度なところで肺癌になっておっ死ぬほうが幸せだと思うんだけど、どうなんでしょう?
少なくとも肺癌は、その人の尊厳をぶち壊したりはしないもんなぁ。
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