昨日、5回目の停電がありました…。
5回の内2回は、ウチの家だけだったんですけど、昨夜のは(また夜)
このあたり一帯が真っ暗でした。
秀吉さんは今回はウンチしなかったけど、夜9時から翌日の10時まで
だったので、冷蔵庫と冷凍庫に溜まっていた霜どもが
強制追放されていたらしく、床がびちゃびちゃでした。
(どんだけ溜めててん)
霜取りってめんどくさいんです。
好きじゃないんです。
好きな人いるのかな。
旦那さまにも、
「冷凍庫の中、狭くなってきてんで。」
と言われながらも重い腰を上げなかった私。
長時間停電は非常に迷惑だったけど、霜はごっそりはずれました。
たすかった。
今年になってからの停電後に買った(義母が)4本のろうそくが
もうなくなりかけています。
ふと、日本の被災者の皆さんはこんなろうそくの明かりで
過ごす夜がたくさんあったんだろうなぁと想像しました。
水もガスも寝る所もあるので、比べ物になりませんが、
ほのかなろうそくの明かりで生活する不便さを実感できました。
うんちが転がっててもわからんし、小さい子供さんを持つご家庭や、
介護が必要な方が家にいらっしゃるお宅は大変だったろうなと
思います。
日本は地震がしょっちゅうあり、心の恐怖心がなかなか取れない方が
多くいらっしゃると聞きました。
日本へ行こうとする外国人旅行者の方は少ないんだろうなぁ。
しかも円高やしなぁ。
しかし、そんな中、我々は日本へ行くことを決めました。
円高、アルゼンチンではドル高と踏んだり蹴ったりで、
もう通貨価値は1:5になっています。
なのに行っちゃいます。
しかも、いつものような1か月前後の滞在ではなく、最低2年くらいは
考えています。
直接的なきっかけは、実家の父に病気が見つかったことですが、
その後、夫婦で色々話し合い、二人ともが同じくらいの時期に、
「あ、日本へ行く旬が来たな。」
と感じたのが大きな決定打となりました。
もともと、いつか日本に住めたらいいねーと話してはいましたが、
今だ!と思ったこの機会に、公務員職も手放して、一家で大移動する
決意をしました。
今の何の問題もない楽な生活を手放して、新しい新境地に
出かけることは勇気が必要でしたが、今までも
「あ、コレだ。」
とふと心に浮かんだというか、気が向いた方向へ進むことを
直感的に決めて人生を歩んできたので、今回もそれに従う事にしました。
冒険な人生ですね。
直感で物事を進める私のやることを理解できないのは無理もありません。
子供も二人いますし。
確実なサラリーマン人生を歩んできた父は、私たちのすることを
強く反対しました。
でも、いつもぶつかるんです。
アルゼンチンへ来る時も、何をする時も。
でも、これは新しい事を始めようとする私の心を試す試練というか、
自分の気持ちを固める為の土台づくりをしろと神さんに言われているような
気がするので、一悶着いつもありますが、心を静め、自分の心を整理し、
思いを誠実に文章にしたためて、両親に読んでもらいます。
もう何度目かな。儀式のようになりつつあります。
雨降って地固まる。
そして結局は許してくれる、やさしい両親です。
娘可愛いが為に、遠くへ離れることも許してくれる、
そんな寛大な両親を持つ私は幸せです。
私が両親の立場で、秀吉と茶々が遠くへ行きたいと言ったら
どうするだろう。
やっぱり動揺するやろうなぁ。
許せるかなぁ。
一度きりのこの人生、後悔はしたくない、させたくないと
思ったら許せるかな。
今回も私たちの決心を受け止め、旦那様のビザの保証人にも
なってくれました。
早くこの可愛い盛りの二人の孫を見せてあげたいです。
というわけで、ドタバタしています。
出発は3月12日。後ちょっとです。
大丈夫かな。
ブログもどうするかわかりませんが、
とりあえず、ご報告だけでもと思いました。
ではまた。
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5回の内2回は、ウチの家だけだったんですけど、昨夜のは(また夜)
このあたり一帯が真っ暗でした。
秀吉さんは今回はウンチしなかったけど、夜9時から翌日の10時まで
だったので、冷蔵庫と冷凍庫に溜まっていた霜どもが
強制追放されていたらしく、床がびちゃびちゃでした。
(どんだけ溜めててん)
霜取りってめんどくさいんです。
好きじゃないんです。
好きな人いるのかな。
旦那さまにも、
「冷凍庫の中、狭くなってきてんで。」
と言われながらも重い腰を上げなかった私。
長時間停電は非常に迷惑だったけど、霜はごっそりはずれました。
たすかった。
今年になってからの停電後に買った(義母が)4本のろうそくが
もうなくなりかけています。
ふと、日本の被災者の皆さんはこんなろうそくの明かりで
過ごす夜がたくさんあったんだろうなぁと想像しました。
水もガスも寝る所もあるので、比べ物になりませんが、
ほのかなろうそくの明かりで生活する不便さを実感できました。
うんちが転がっててもわからんし、小さい子供さんを持つご家庭や、
介護が必要な方が家にいらっしゃるお宅は大変だったろうなと
思います。
日本は地震がしょっちゅうあり、心の恐怖心がなかなか取れない方が
多くいらっしゃると聞きました。
日本へ行こうとする外国人旅行者の方は少ないんだろうなぁ。
しかも円高やしなぁ。
しかし、そんな中、我々は日本へ行くことを決めました。
円高、アルゼンチンではドル高と踏んだり蹴ったりで、
もう通貨価値は1:5になっています。
なのに行っちゃいます。
しかも、いつものような1か月前後の滞在ではなく、最低2年くらいは
考えています。
直接的なきっかけは、実家の父に病気が見つかったことですが、
その後、夫婦で色々話し合い、二人ともが同じくらいの時期に、
「あ、日本へ行く旬が来たな。」
と感じたのが大きな決定打となりました。
もともと、いつか日本に住めたらいいねーと話してはいましたが、
今だ!と思ったこの機会に、公務員職も手放して、一家で大移動する
決意をしました。
今の何の問題もない楽な生活を手放して、新しい新境地に
出かけることは勇気が必要でしたが、今までも
「あ、コレだ。」
とふと心に浮かんだというか、気が向いた方向へ進むことを
直感的に決めて人生を歩んできたので、今回もそれに従う事にしました。
冒険な人生ですね。
直感で物事を進める私のやることを理解できないのは無理もありません。
子供も二人いますし。
確実なサラリーマン人生を歩んできた父は、私たちのすることを
強く反対しました。
でも、いつもぶつかるんです。
アルゼンチンへ来る時も、何をする時も。
でも、これは新しい事を始めようとする私の心を試す試練というか、
自分の気持ちを固める為の土台づくりをしろと神さんに言われているような
気がするので、一悶着いつもありますが、心を静め、自分の心を整理し、
思いを誠実に文章にしたためて、両親に読んでもらいます。
もう何度目かな。儀式のようになりつつあります。
雨降って地固まる。
そして結局は許してくれる、やさしい両親です。
娘可愛いが為に、遠くへ離れることも許してくれる、
そんな寛大な両親を持つ私は幸せです。
私が両親の立場で、秀吉と茶々が遠くへ行きたいと言ったら
どうするだろう。
やっぱり動揺するやろうなぁ。
許せるかなぁ。
一度きりのこの人生、後悔はしたくない、させたくないと
思ったら許せるかな。
今回も私たちの決心を受け止め、旦那様のビザの保証人にも
なってくれました。
早くこの可愛い盛りの二人の孫を見せてあげたいです。
というわけで、ドタバタしています。
出発は3月12日。後ちょっとです。
大丈夫かな。
ブログもどうするかわかりませんが、
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