地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

浅間火山北麓の地質図

2008-06-22 20:26:10 | Weblog
浅間火山北麓の地質図

(浅間)賽の河原 ハイキングを 6/28~29(一泊二日)で予定しています。
この機会に、浅間山の噴火を調べてみました。

地図は1:25,000図で浅間火山北麓の地質図です。

火山は、古い火山灰の上に、新しい火山灰を重ねていきます。
その厚さが1m以上になると、その火山灰の存在を認めています。
そのための境界線を等厚線と言っています。
等高線でなく、等厚線です。

軽石や火山灰の厚さは火口から遠ざかるにつれて規則的に薄くなりますが、風向きにも支配されて、等厚線は火口から特定方向に長く伸びることもあります。
円に近い等厚線は、その噴火が長期間継続していろいろな方向に風が吹いた様相を示しています。

さて、地質図の色については,先に(2008.06.20)述べたように、
古い時代の地層は濃く,若い時代のものほど薄く着色することになっています。

浅間山も、幾たびも噴火を経てきております。
歴史に残っているだけを羅列すると、

①、天明3年
②、1108年
③、1万5800年前の噴火
④、2万4300年前の山体崩壊
が、揚げられます。

①、1783年(天明三年)の噴火 (鎌原 吾妻 鬼押出し)
赤色~黄色系統で表現した鬼押出し溶岩(Alf)、吾妻火砕流(Aig)、鎌原土石なだれ(Ada)、鎌原熱雲(Abt)、そして釜山スコリア丘(Acn)です。

鬼押出し溶岩と吾妻火砕流は山頂火口から流出したようです。
この2つの流れが火口の南側(長野県側)には流れ下らないで北側(群馬県側)にだけ流れ下ったのは、当時の山頂火口の縁が傾いていたからのようです。
山頂火口縁から北へ5.6kmまで流れ進んで停止しています。

②、1108年の噴火 (追分)
黄緑色で表現した追分火砕流(Big)が、山頂火口から四方に広がっています。
しかし西側は黒斑山が、東側は仏岩の山体が障壁になり、山麓まで火砕流が達したのは北と南の二方向だけだったようです。

③、1万5800年前の噴火(平原)
ピンク色で表現した平原火砕流(Hig)が火山中心から四方八方に流れ広がり、堆積物が谷を埋めて広い平坦面をつくっています。
火砕流は黒斑山や仏岩の山体の上も通過して、薄い堆積物をそこに残しています。
急崖では失われたが、平坦面には堆積物がいまでも残っています。
浅間山の北麓一帯は、平原火砕流の後に噴出したカラフル火山灰と嬬恋軽石に厚く覆われています。

④、2万4300年前の山体崩壊 (塚原)
黒斑山が突然崩壊して、塚原土石なだれ(Kda)が発生したようです。









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