地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

エラトステネスの世界地図

2009-03-14 21:34:38 | Weblog
エラストテネスの世界地図

紀元前3世紀頃の地図です。
当時は既にアリストテレスによって地球が球体であることは知られていました。
しかし、天動説ですが・・・
そして、その地球の大きさを驚くほど正確に計測して、世界地図を作ったのが、ギリシャのエラトステネスです。

彼は、幸いにもアレキサンドリアとシエネ(アスワンのギリシャ名)が同じ子午線上に位置していること、このことは地球子午線の長さを計算するのに大変便利だったわけです。
もしそうでないとすると、三角函数による修正が必要になります。

また、地軸が24度傾いていることから、南北回帰線が生まれ、北回帰線上ぎりぎりに、シエネが位置していたこと、そのことから太陽は必ず一年に1回は真上に来ることが約束されたわけです。

地動説でなく天動説で考えると、私には良く理解できます。

シエネがもっと北に位置していたら、深い井戸の水面に太陽を見ることはできなかったわけですから。

シエネの真上に太陽が来たとき、それは6月21日の正午ですが、アレキサンドリアの太陽は真上から7°12‘南にずれることが解り、両都市間の距離を掛けて地球の大きさを計算したようです。
すなわち  
360°/7°12‘(=50)*5000スタディア(=890Km)=44、500Km
実際の地球子午線の長さが約4万kmですので、その誤差は約1割程度長かっただけのようです。

この、スタディアという距離の単位ですが、これは駱駝の隊商が一日に歩く距離を100スタディアとしていたそうです。メートル法に換算すると、1スタディアは約150~200m、ここでは178m、
駱駝の隊商は一日、約15~20km移動したようです。重い荷物を背負わされて、砂漠の道を・・・

しかし、こうした思考や計算を成し遂げたのが、日本の縄文時代終わり頃のことですから驚きです。
日本の行基図の約1、000年前です。

さて、そのエラトステネスの世界地図(上の地図)が紀元前3世紀頃、紀元前6世紀頃のバビロニアの粘土地図に代わって登城したのです。

この地図の特色は
①、 経緯度線による展開から、当時知られていた世界を,その部分として描いていることです。そのことが、地球の大きさを知る必要にもなったのでしょう。

②、 経緯度の考えに基づいた展開をしていることです。
 先に述べたように、アレキサンドリアとシエネを同一子午線上(南北垂直線上)に描き、それと平行して東西に地中海を描いています。
当時としては地形配分が大変いいようです。
アジアはシルクロードからの情報による知識が記載されたようです。

③、 北を上に描いています。今日では当たり前ですが、この後、中世のキリスト教中心の世界では、東が上に変わります。

では、次回は少し中世の地図を覗いてみましょう。
一寸怖いですが・・・