地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

「瞳」の舞台、佃島

2008-05-19 10:53:20 | Weblog
明治17年の佃島・・・「五千分一東京図測量原図」より

朝のNHKの連続テレビ小説「瞳」の舞台、佃島の地図を取り上げてみました。
明治17年の姿かたちです。

政情不安な明治初期、確りした地図が不可欠だとして、明治新政府が手がけた地図ですが、完成した明治17年頃は治安も収まり、それほど地図の緊急性はなくなったようです。

そういう背景もあってか、このフランス式のカラフルな素晴らしい地図も、原図段階までできたのに出版されることもなくお蔵入りしたものです。
代わって、モノクロのドイツ式地図が出版されましたが、惜しい話です。

でも、昭和56年(1981)に㈶日本地図センターから復刻され、このように日の目を見た地図です。

「瞳」の舞台は、まだ「泥」と記された「隠顕でい地」の状態です。
丁度、地名と同じような、「田」の字の形をした埋立地です。


石川島監獄署、石川島造船所、住吉社などの文字が見られます。

住吉社は、家康が関東下降の際、摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁夫33人が江戸に移り住んだ時に勧請した神社だそうで、3年ほど前に、360周年記念の大祭がおこなわれた由。
そして、故郷にちなんで「佃嶋」と命名したそうです。

それが今では、石川島播磨重工業の造船所跡地を再開発し、川沿い建てられた超高層マンション群「大川端リバーシティ21」になっています。
おそらく、こんなに大きく変化した地区は日本には他にないでしょう。
今は、政府高官、芸能人、スポーツ選手、実業家が多く在住する高級住宅地です。

しかし、同時に、戦前からの古い町並みや釣り船などが隣り合わせにあり、不思議な風情を醸し出した地区でもあります。
「瞳」の舞台の背景にも、その情景がよく見受けられます。

どちらが、棲みよいのでしょう・・・?
私は、都会の中の田舎がいいね!