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国会議事堂周辺を散策

2013-01-20 | 散策

国会議事堂周辺を散策

 

お天気も良く、出かけました。急なことなので準備もなく、いつもテレビで見る首相官邸など国会周辺を歩きました。

 

コースは地図の赤線です。

 

明治初期の地図と比較すると、下の図のようになります。

特に目立つのが、溜池です。今は駅名でしか残っていませんが、外堀通り沿いに、ずいぶん長細い大きな溜池だったのですね。

 

先ず、日枝神社にお詣りしました。

   

元官幣大社で国の保護を受けていました。

東京では明治神宮とここの2社だけです。

戦後、このような社格を表章する制度はなくなりましたが・・・。

立札の由緒によると

「鎌倉の初期秩父氏の流れ重継は江戸太郎を名乗りその館の中に日吉の大社を勧請した。降って文明年間(1478年ごろ)足利の宰相太田道灌持資が城内に、更に天正18年徳川家康が入府し江戸城内の紅葉山に新社殿を造営した。徳川三代家光は一般市民の参拝の便を企るため半蔵門外に遷座、朱印地を六百石に加増、・・・

振り袖火事のため永田町溜池に臨む景勝の星ヶ岡に遷座、現在に至る。・・・

明治維新、遷都により江戸城は明治天皇 皇居(宮城)となり、当神社は皇城の鎮守神として官幣の大社に列した。」

 

そこから、石段(明治16年の旧図にもあります)を下って

首相官邸へ出ました。

テレビではちょっと貧相に見えますが、実物はどうしてどうして、立派なものです。

竹籔の植え込み沿いに登っていくとあります。正面入り口までは見れませんが。

 

そこから議員会館を経て国会議事堂へ

そして、国会前の和風庭園に足を延ばしました。

 

この庭園の地は、大変古くから見晴らしのいい風光明媚な土地として重宝され、室町時代の末期、太田道灌がよんだ歌が紹介されていました。

  わが庵は 松原つづき海ちかく ふじの高根を軒端にぞ見る

 

そこから、隣に連なる庭園の「日本水準原点」を観に行きました。ここは、もと参謀本部のあった所でもあります。

紹介記事ではよく目にしていましたが、実際お目にかかるのは初めてです。遅くなりました。

東京都教育委員会の説明板によると

「日本全国の統一された標高決定のための基準として、明治24年(1891)5月に水準原点が創設されたが、この建物はその水準原点標を保護するために建築されたものである。設計者は工部大学校第一期生の佐立七次郎(1856~1922)。建物は石造りで平屋建。建築面積は14.93㎡・・・

日本水準原点標庫は石造による小規模な作品であるが、ローマ風神殿建築に倣い、トスカーナ式オーダー(配列形式)をもつ本格的な模範建築で、明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重である。(前の日銀の建屋に似ているように思いますが・・・)」とありました。

また、その横に国土地理院が設置した最新の説明板によると、

「・・・日本水準原点の位置は、この建物の中にある台石に取り付けた水晶板の目盛の零線の中心である。
その標高は、明治6年から12年までの東京湾の潮位観測による平均海面から測定したもので、当時24.500メートルと定めた。

その後、大正12年(1923)の関東地震による地殻変動に伴いその標高を24.4140メートルに訂正したが、平成23年(2011)3月11日の東北地方太平洋沖地震による地殻変動に伴い24ミリメートル沈下したため新たに24.3900メートルに改正した。平成23年10月21日」とありましたあ。

常に標高が変化しているのですね。

山の標高もその都度変わります。

その庭園内には、もう一つ、憲政記念館があります。

維新の時の薩長中心の藩閥政治に対抗し、公平な日本憲政を確立した尾崎行雄氏を記念したものです。

かくして、本日の散歩は終わりにしました。


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