玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

いまさら「ダ・ヴィンチ・コード」(2)

2008年09月01日 | 本の感想
ネットで感想を見て回ったら評判いいんですね、「ダ・ヴィンチ・コード」って。
普段あまり本を読まない人が「これはすごい、面白い!」と感じるのはわかるけれど、読書好き・小説好きと思われる人までほめている、時には絶賛してるのを見て驚いてしまった。

他の人の感想を見ると、「シオン修道会」「聖杯探求」「レンヌ・ル・シャトーの謎」といったキリスト教的オカルトが受けているようだ。その気持はよく分かる。私もコリン・ウィルソンの本(「世界不思議百科」)で初めて「レンヌ・ル・シャトーの謎」を知ったときは興奮した。
それでも、キリスト教や中世史、秘密結社と陰謀論について多少の知識を得るとその手のお話が「歴史の真実」というより「トンデモ」に近いものだとわかってくる。新説を聞かされて興奮するより「ネタとして楽しめるか」を基準に評価するようになってしまう。汚れちまった悲しみに、というかなんというか。
それはともかく、「ダ・ヴィンチ・コード」に書かれているキリスト教史とオカルトはネタとしても底が浅いようで、多くの批判を浴びている()。オカルト初心者が「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」という作者のハッタリに感心してしまうのは無理もないが、せっかくオカルトに興味を持ったのだからこれをきっかけに広大なオカルト・トンデモの世界を探検して楽しんでほしいと思う(ただし足元と頭上には気をつけて)。

私の場合「シオン修道会」や「聖杯探求」についてある程度の免疫がついていたので(澁澤龍彦とコリン・ウィルソンのおかげ)、作者のハッタリに感心するよりも「大風呂敷をどうやってたたむのか」ばかり気になった。そうなるとダン・ブラウンの小説技術の問題になる。これがはっきり言ってダメなのである。とにかく素人臭い。
かといってぜんぜん楽しめないかというとそんなことはない。扶桑社ミステリー文庫か二見文庫で月並みな海外ミステリの一冊として出るのなら別に文句はないが、「衝撃の問題作」として一冊1890円の上下刊(単行本)として出されると「ちょっと勘弁してくれ」と言いたくなる。さらにそれが大ベストセラーになってしまうと「ベストセラーに良本なし」という言葉を思い出してしまう。

最初の殺人事件とダイイング・メッセージが馬鹿らしいことは前にも書いた(Amazonの書評で同じことを言ってる人がいた)。ミステリ好きならこの時点で「あれ、変だぞ」と警戒する。
その後もコント並みに安っぽい。ハーヴァード大学教授の主人公と暗号の専門家であるはずのヒロイン英国王立歴史学会員の宗教史学者が、レオナルド・ダ・ヴィンチのもっとも有名な「暗号」に頭をひねり悩むのである。私のような素人でもすぐに「これは鏡映文字だ」と分かる。こういう間抜けな仕掛けを見せられると作者の頭が悪いのか、あるいはよほど読者を見くびって書き飛ばしたに違いないと思ってしまう。
同じように安っぽい仕掛けが何度も続き、「ディズニーランドに行ったつもりが花やしきだった」という違和感とともに読み進めることになる。何も花やしきが悪いわけじゃないが、花やしきの入場券をディズニーランドのチケットとして売るのはよろしくない。そういえば大昔の「タモリ倶楽部」で「ディズニーランドを紹介」と称して花やしきでロケをした回があった。あれはもちろんギャグである。

「ダ・ヴィンチ・コード」ははっきり言って「以前から知られたオカルトネタを小道具に使った三文小説」でしかない。元ネタの「レンヌ・ル・シャトーの謎」が英国で出版されたのは1982年(邦訳は1992年)、「謎」を紹介した「世界不思議百科」(コリン・ウィルソン)が邦訳されたのは1989年だ。とっくに手垢が付いている。それなのに衝撃的な新説のごとく宣伝され受け入れられるのを見ると変な感じがする。どこかの国で「ノストラダムスの大予言」がブームになったら多くの日本人は「いまさらノストラダムスかよ!遅いよ!1999年に恐怖の大王は来なかったよ!」と思うはずだ。オカルト好事家にとって「シオン修道会」も恐怖の大王と同じく「とっくの昔に来なかった」ネタである(シオン修道会 - Wikipedia)。

単なる三文小説がなぜ世界的大ブームになったのか。キリスト教国で話題になるのはわかる。オカルト業界では知られた説でも素人さんには耳新しい。驚き感心し「歴史のタブーを暴く真実の書」と勘違いする人が出るのも無理はない。とはいえ、ブームがそのまま日本でも再現されたのは不思議なことだ。欧米でブームになっても日本では受けないものは珍しくない。日本にキリスト教信者は少なく、もちろんキリスト教タブーもない。タブーを暴く快感もない。
たぶん多くの日本人はもともとキリスト教に納得できない奇妙さを感じていて、その理由を説明してくれる何かを求めていたのだろう。「処女懐胎とか復活・昇天を信じる変な宗教」の「奇妙さ」をそのまま受け入れるのは難しく、オカルトと陰謀論で味付けした「ダ・ヴィンチ・コード」が口に合ったのだ。
日本料理が口に合わない外国人でも「テリヤキ」なら食べられる、おいしいと感じるようなものだろうか。外国人がテリヤキを好きになるのはいいが、「テリヤキがすべて」「テリヤキこそ日本料理の本質」と勘違いされると困る。真面目なキリスト教徒、特にカトリックの人たちが「ダ・ヴィンチ・コード」に抗議するのも無理はない。

キリスト教の「秘められた歴史の真実」(と称するトンデモ)が受けたのはまだわかるが、「ダ・ヴィンチ・コード」が「小説としてよくできている」という評価は私にはわからない。エンターテインメントは面白ければいいんだ、自分は楽しめたからこれはよくできた小説だ、というだけでは納得できない。「ダ・ヴィンチ・コード」がよくできているとしたら、スティーブン・キングやマイケル・クライトンの小説は神業である。
人様の好みをとやかく言うのは野暮なことだが、私の場合「ダ・ヴィンチ・コード」の「間違い」よりも小説として出来が悪いことに腹が立つので、どうしても文句が出てしまう。
本好きの多くがオカルト知識を持たないのは仕方ないけれど、小説としての程度はちゃんと見きわめてほしい。日本で「ダ・ヴィンチ・コード」が得た「週刊文春 2004年ベスト10」第一位、「このミステリーがすごい! 2005年度版(2004年)ベスト10」第4位という名誉は過大評価もいいところである。「ミステリチャンネル」と「本の雑誌」はベストテンに選んでいない。これが見識というものだ(参考資料「2004年度 ベスト本」)。


「ダ・ヴィンチ・コード」批判で共感した記事

 「ダ・ヴィンチ・コード 最終解読」
 『ダ・ヴィンチ・コード』を読みました。
 カトリック信者が読んだ『ダ・ヴィンチ・コード』 - カトリックせいかつ。
 ダ・ヴィンチ・コードに思う
 昨日の変な検索/今流行りの『ダ・ヴィンチ・コード』 - あんとに庵◆備忘録

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