マスコミの伝える(作り出す)「世論」「国民感情」とは不思議なものだ。私にはよく分からないことが多い。
向井亜紀さんの双子男児、出生届受理を認めず…最高裁 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
代理出産の向井さん「ベスト尽くした」…TVで : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
どうやら彼らが選んだ「代理出産」という方法についてマスコミは温かな眼差しを向けているようだ。
なぜなのだろう。私にはわからない。
高田氏と向井氏、そして関係者を誹謗するつもりはないけれど、正直に言って私は彼らの選択に共感することはできないし、世間の心優しい人たちのように応援する気にもなれない。「代理母」とはすなわちボランティアの女性を「産む機械」として利用する倫理的に問題のある方法と思うからだ。
T夫妻(個人攻撃を避けたいので以下は仮名とする)が「自分たちの遺伝子を受け継いだ子供を持ちたい」と願う気持はよくわかる。自分だって愛する女性と一生を共に過ごす決意を固めたら子供がほしくなることだろう。
だが、いくら不妊に悩んだからといって、日本の法律で認められない「代理母」という方法を選ぶ気持はわからない。
「天漢日乗」さんが「マスコミたらい回し」シリーズ記事で取り上げているように、現代の病院においても妊娠中のアクシデントで命を落とす危険性はゼロではない。「代理母」とはまさに命がけのボランティアだ。
Wikipediaの分類による「サロゲートマザー」であればまだしも理解しやすい。
代理母出産 - Wikipedia
だがT夫妻の選んだのは「自分たちの精子と卵子を結合した受精卵を第三者の子宮で育てる」方法だ。まさに借り腹である。仮に将来「人工子宮」が開発されたとしてそれを利用するのと何も変らない。まさに女性を「産む機械」として利用している。
柳沢厚生労働大臣が人口統計を説明するのに「生む機械の数は限られている」という例えを用いたとき「人として(女性として)許せない」と怒ったブロガーは多かった。
まさに女性を「産む機械」扱いする代理母という方法について、さぞかし彼らは違和感を抱いていることだろう。…と想像してブログ検索してみた。
[産む機械 許せない]の検索結果 - goo ブログ
奇妙なことに、柳沢大臣の(取り消して謝罪した)失言に激怒したブロガーのほとんどが、代理母という方法について特別な関心を持たず疑問を感じていないようだ。
私の感覚では、柳沢「産む機械」失言は「ただの言葉遣いの過ち」である。
「産む機械」という概念を肯定し広める社会的影響があったとも思えない。
むしろ、マスコミと野党、女性団体の総攻撃を見て「『産む機械』などという言葉、いや発想そのものが現代日本では許されないのだな」と思い知らせる教育的効果のほうが高かったろう。
だが、T夫妻の事例では現実の女性がまさに「産む機械」として利用されたのである。
「代理母」という不妊医療を周知させ肯定的に印象付ける影響は大きい。
なにしろ、多くのマスコミが心情的にT夫妻に寄り添った報道をし同情と共感をかき立てている。
「T夫妻がかわいそう」「判決は間違っている」「自分たちがT夫妻と同じことをしても認められるはず」という考えかたが数百万人規模で増加したとしても不思議はない。
こちらのブログの春霞氏は「柳沢発言全否定」「代理母肯定」の立場を取っておられる。
Because It's There 柳沢伯夫厚生労働相「「女性は子ども産む機械」と発言~この本音発言の問題性は何か?
春霞氏は柳沢大臣の失言について「国側の本音では、代理母だけでなく、女性全てを子供を産む道具・機械であると扱っているのです。代理出産など存在する遥か前から女性はもうずっと長いこと子供を生む道具として扱われてきたのであり、依然として今も「子供を産む道具」扱いは変わらないのです。」と(私から見れば過剰に)悪意を読み取っておられる。
Because It's There 向井・高田夫妻の代理出産、出生届不受理決定~最高裁平成19年3月23日決定
それと対照的に代理出産について「代理出産はもはや技術的には問題視するほどのことではありません。また、臓器移植を例に出すまでもなく、海外で実施することは珍しいことではなく、外国で判決を得れば外国判決の承認の問題になるだけです。手続き的にどこがきわどいのか、とても理解できません。」と技術的・倫理的・法律的な問題点を(私から見れば極端に)軽視しておられる。
正直に言って春霞氏の倫理的基準がどこにあるのかよくわからない。柳沢失言への厳しさとT夫妻(「代理母」不妊治療)への全肯定がひどくアンバランスに感じられる。私自身の感覚だと「産む機械」失言が不道徳なら「代理母」による不妊医療はエゴイズムそのものであり、「代理母」を認めるのであれば政治家が「産む機械」という言葉を発することを認めないと筋が通らない。
たとえば私は脳死による臓器移植を認める立場だ。ドナーカードも所持している。
もし政治家が「移植を待ち望んでいる患者は多いが、提供される臓器は少ない。『臓器資源』の不足は大きな問題だ」と発言したとして、「人間をモノ扱いしやがって!」と激怒することはない。臓器移植を認めた時点で死後のモノ扱いをある程度認めているからだ。
私は今のところこのように考えている。
「政治家が例えとして『産む機械』という言葉を使うのは不道徳ではないが、政治的に不適切」
「現実の女性を『産む機械』として扱わなければ成り立たない不妊医療(代理母)に賛成できない」
「自分たちの遺伝子を残したいというエゴのため第三者を『産む機械』として利用するのは倫理的問題がある」
第三者のボランティアに命がけの出産リスクを強いてまで残さなければならない遺伝子があるとは思わない。
たとえノーベル賞受賞者でも、オリンピック金メダリストであっても。
だが、私のような意見は少数派らしい。
代理出産「母子」認めず 現実が先行 生殖医療 : ニュース : 医療と介護 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
「借り腹」を認めるということは、ボランティアの(あるいは報酬目当ての)女性を「産む機械」として利用するということだ。
「認めて良い」と答えた人はそのことをどれほど理解しているのか疑問に思う。
向井亜紀さんの双子男児、出生届受理を認めず…最高裁 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
タレントの向井亜紀さん(42)夫妻が米国の女性に代理出産を依頼して生まれた双子の男児(3)について、夫妻を両親とする出生届けを東京都品川区が受理しなかったことの是非が問われた裁判で、最高裁第2小法廷は23日、受理を区に命じた東京高裁決定を破棄し、出生届受理は認められないとする決定をした。
代理出産の向井さん「ベスト尽くした」…TVで : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
代理出産を巡る最高裁決定で、双子の男児(3)との母子関係を認められなかったタレントの向井亜紀さん(42)は24日午前、朝日放送(大阪)のテレビ番組にレギュラー出演し、他の出演者から激励の言葉をかけられると、「ベストは尽くしましたので」と語った。
司会者の男性が、双子の名前を愛称で呼びつつ「これからも頑張って」などと声をかけると、向井さんは感慨深げな表情を浮かべ、「はい」と答えた。
どうやら彼らが選んだ「代理出産」という方法についてマスコミは温かな眼差しを向けているようだ。
なぜなのだろう。私にはわからない。
高田氏と向井氏、そして関係者を誹謗するつもりはないけれど、正直に言って私は彼らの選択に共感することはできないし、世間の心優しい人たちのように応援する気にもなれない。「代理母」とはすなわちボランティアの女性を「産む機械」として利用する倫理的に問題のある方法と思うからだ。
T夫妻(個人攻撃を避けたいので以下は仮名とする)が「自分たちの遺伝子を受け継いだ子供を持ちたい」と願う気持はよくわかる。自分だって愛する女性と一生を共に過ごす決意を固めたら子供がほしくなることだろう。
だが、いくら不妊に悩んだからといって、日本の法律で認められない「代理母」という方法を選ぶ気持はわからない。
「天漢日乗」さんが「マスコミたらい回し」シリーズ記事で取り上げているように、現代の病院においても妊娠中のアクシデントで命を落とす危険性はゼロではない。「代理母」とはまさに命がけのボランティアだ。
Wikipediaの分類による「サロゲートマザー」であればまだしも理解しやすい。
代理母出産 - Wikipedia
Traditional Surrogacy … 夫の精子(もしくは精子バンク)を使用して代理母が人工授精を行い、出産する。代理母。サロゲートマザー。この場合は代理母の遺伝子が子供に引き継がれるのであり、自分の血を分けた子供を生むことになる。生物的あるいはドーキンス的意味において出産のリスクを冒す価値がある。
だがT夫妻の選んだのは「自分たちの精子と卵子を結合した受精卵を第三者の子宮で育てる」方法だ。まさに借り腹である。仮に将来「人工子宮」が開発されたとしてそれを利用するのと何も変らない。まさに女性を「産む機械」として利用している。
柳沢厚生労働大臣が人口統計を説明するのに「生む機械の数は限られている」という例えを用いたとき「人として(女性として)許せない」と怒ったブロガーは多かった。
まさに女性を「産む機械」扱いする代理母という方法について、さぞかし彼らは違和感を抱いていることだろう。…と想像してブログ検索してみた。
[産む機械 許せない]の検索結果 - goo ブログ
奇妙なことに、柳沢大臣の(取り消して謝罪した)失言に激怒したブロガーのほとんどが、代理母という方法について特別な関心を持たず疑問を感じていないようだ。
私の感覚では、柳沢「産む機械」失言は「ただの言葉遣いの過ち」である。
「産む機械」という概念を肯定し広める社会的影響があったとも思えない。
むしろ、マスコミと野党、女性団体の総攻撃を見て「『産む機械』などという言葉、いや発想そのものが現代日本では許されないのだな」と思い知らせる教育的効果のほうが高かったろう。
だが、T夫妻の事例では現実の女性がまさに「産む機械」として利用されたのである。
「代理母」という不妊医療を周知させ肯定的に印象付ける影響は大きい。
なにしろ、多くのマスコミが心情的にT夫妻に寄り添った報道をし同情と共感をかき立てている。
「T夫妻がかわいそう」「判決は間違っている」「自分たちがT夫妻と同じことをしても認められるはず」という考えかたが数百万人規模で増加したとしても不思議はない。
こちらのブログの春霞氏は「柳沢発言全否定」「代理母肯定」の立場を取っておられる。
Because It's There 柳沢伯夫厚生労働相「「女性は子ども産む機械」と発言~この本音発言の問題性は何か?
春霞氏は柳沢大臣の失言について「国側の本音では、代理母だけでなく、女性全てを子供を産む道具・機械であると扱っているのです。代理出産など存在する遥か前から女性はもうずっと長いこと子供を生む道具として扱われてきたのであり、依然として今も「子供を産む道具」扱いは変わらないのです。」と(私から見れば過剰に)悪意を読み取っておられる。
Because It's There 向井・高田夫妻の代理出産、出生届不受理決定~最高裁平成19年3月23日決定
それと対照的に代理出産について「代理出産はもはや技術的には問題視するほどのことではありません。また、臓器移植を例に出すまでもなく、海外で実施することは珍しいことではなく、外国で判決を得れば外国判決の承認の問題になるだけです。手続き的にどこがきわどいのか、とても理解できません。」と技術的・倫理的・法律的な問題点を(私から見れば極端に)軽視しておられる。
正直に言って春霞氏の倫理的基準がどこにあるのかよくわからない。柳沢失言への厳しさとT夫妻(「代理母」不妊治療)への全肯定がひどくアンバランスに感じられる。私自身の感覚だと「産む機械」失言が不道徳なら「代理母」による不妊医療はエゴイズムそのものであり、「代理母」を認めるのであれば政治家が「産む機械」という言葉を発することを認めないと筋が通らない。
たとえば私は脳死による臓器移植を認める立場だ。ドナーカードも所持している。
もし政治家が「移植を待ち望んでいる患者は多いが、提供される臓器は少ない。『臓器資源』の不足は大きな問題だ」と発言したとして、「人間をモノ扱いしやがって!」と激怒することはない。臓器移植を認めた時点で死後のモノ扱いをある程度認めているからだ。
私は今のところこのように考えている。
「政治家が例えとして『産む機械』という言葉を使うのは不道徳ではないが、政治的に不適切」
「現実の女性を『産む機械』として扱わなければ成り立たない不妊医療(代理母)に賛成できない」
「自分たちの遺伝子を残したいというエゴのため第三者を『産む機械』として利用するのは倫理的問題がある」
第三者のボランティアに命がけの出産リスクを強いてまで残さなければならない遺伝子があるとは思わない。
たとえノーベル賞受賞者でも、オリンピック金メダリストであっても。
だが、私のような意見は少数派らしい。
代理出産「母子」認めず 現実が先行 生殖医療 : ニュース : 医療と介護 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
代理出産には、夫婦の精子と卵子を結合した受精卵を移植して出産してもらう「借り腹」と、夫の精子を妻以外の第三者の卵子に結合させて産んでもらう「代理母」の2種類がある。
「代理母」により生まれた子供が実子かどうかが争われたケースで大阪高裁は05年5月、公序良俗に反するとして認めず、最高裁も実質的な判断をしないまま高裁決定を支持した。
一方、向井さんの場合は「借り腹」で、遺伝上の父母が一致するため、違和感を持つ人が少ない。厚労省が03年に約4000人を対象に行った調査では、夫婦の受精卵による「借り腹」の場合、44%が「条件付きで認めて良い」と回答、「認められない」の24%を上回った。
「借り腹」を認めるということは、ボランティアの(あるいは報酬目当ての)女性を「産む機械」として利用するということだ。
「認めて良い」と答えた人はそのことをどれほど理解しているのか疑問に思う。
以下、引用。
帝王切開を選んだ理由についてはこう語った。
「私の子どもではないので、産道を通すわけにはいきません。だから帝王切開にしたのです。心理的な問題です。それに、テレビクルーが撮影していたこともあります」
次第に有償の代理出産契約を禁じる州が増えたため、キーン氏は無償の意思のある代理母を探したこともあったが、その途端、応募がなくなったという。
私は91年にキーン氏に長時間取材したことがある。
十数年前のことであるにもかかわらず、彼が私に吐いた本音の一言が今でも脳裏から離れない。彼はこう断言したのである。
「必要なのは、グッド・ウーム(健全な子宮)だけだ」
子宮を完全にモノ扱いにしているように聞こえた。
つい最近、『ザ・ベビー・ビジネス』という本を出版したハーバード大学のデボラ・スパー教授は代理母についてこう警句を吐いた。
「アメリカでは、有償代理出産の選択ができるのは裕福な家庭だけです。もちろんそういう見方はしたくありませんが、現実は赤ちゃんを売っているのと同じです。感情面だけではなく、そういうビジネスとしての真実をみるべきです」
現実は赤ちゃんを売っているのと同じです。感情面だけではなく、そういうビジネスとしての真実をみるべきです
引用元:ttp://www.globe-walkers.com/ohno/article/dairibo0610.html
アメリカ人の代理母にインタビューをしました。
ttp://www.globe-walkers.com/ohno/school/column010.htm
記事には書けなかったが、夫は自己破産していた!
シンディにしてみれば、妊娠前に3ヶ月間、毎日ホルモン注射をしなければならない。副作用もある。
美談では済まされない!
代理母について10数年間ぼくがやってきた取材から浮かび上がった構図と今回もまったく同じだった。裕福な日本人と貧しいアメリカ人である。両極端に位置するカップル。向井亜紀は自分が逆の立場になることを考えたことがあるのだろうか。自分が他人のために代理母をやるか考えたことがあるのだろうか。健全な子宮があったときを思い出してほしい。他人のために自分の子宮を貸そうと一瞬でも思ったことがあるのだろうか。
彼女の小学校の息子は、学校でお母さんが日本人夫婦のためにお腹を貸したことを言いふらして、自慢しているという。お母さんがどれほど肉体的にも精神的にも辛かったかは子供は知らない。
↑より引用。
2003年6月、妊娠9週にして向井が経過を公にし、大きな話題となった。シンディさんにとっては4回目の妊娠だが、今回は体外受精で代理母。実は不安の毎日だったという。
「妊娠が判明するまでが辛かったんです。妊娠しやすくするため、毎日、ホルモン注射を打つ必要があるからです。私にはイライラする副作用があったんですよ。妊娠してからも心配事はありました。赤ちゃんが元気かどうか超音波検査もやりました」
アメリカ人の代理母にインタビューをしました。
ttp://www.globe-walkers.com/ohno/school/column010.htm
向井亜紀の代理母
ttp://www.globe-walkers.com/ohno/interview/dairibo.htm
アメリカ人の代理母にインタビューをしました。
http://www.globe-walkers.com/ohno/school/column010.htm
向井亜紀の代理母
http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/dairibo.htm
生殖補助医療について、詳しい解説がされている資料がありましたらご案内ください。
僕自身はすでに表明している通り、代理母賛成、臓器移植賛成、人権についてはアプリオリなものではない(人間=機械)、という立場です。こうした立場はエゴイスティックなものであろう、と自覚はしていますが、何が良い判断なのか、納得できる基準を見出していませんので、いろいろな方の意見をお聞きしたいと思っています。
コメントから察するに、いろいろと詳しくご存知のようですので、参考になる議論をご紹介いただければありがたいと思います。
そういう論理であるならば、いままで、男性は世継ぎ、家継ぎ、遺伝継ぎのために、女性を「産む機械」として利用してきた、とこちらからは断定できますよ。
男性が産む機械として実質的に女性を利用してきたことについてはどのようにお考えですか?(柳沢大臣の発言に世の多くの女性が猛反発したのは、そうした従来の男性社会の背景があるからですよ。)
そのことについてはまったく論外、想像外で、生殖補助医療としてのGC(ジェステイショナル・キャリア=代理母)に関しては、「産む機械として利用している」ですか? それはあなたの頭の中だけでの話ではないのですか?
柳沢大臣の発言と代理母の問題を絡めて、マスコミ批判をするのは、単に物知らずとしかいいようがありません。(むろん、一般のブログですから、表現の自由ですが)代理出産の自己決定権を認めれば、債務奴隷、臓器売買、薬物中毒まで認めなくてはならないといった考えにも、論点が非現実的に飛びすぎていて、なぜそこまで「自己決定権の範囲が拡散する」と断定するその根拠がわかりません。(これもあなたの想像、あるいは心配にすぎないのでは)
ネバダ州修正法の規定により「契約書に明記されている子の出産に関連した医療費及び生活費以外の金員等を代理出産する女性に支払うこと又はその申出をすることは違法である」
だそうです。つまりギャラをはずんでしまうと代理出産契約がネバダ州の法律に違反してしまうので高田夫妻が実親として認定されなくなってしまう様です。
冷静に自分のこととしてリスクをとらえ、考えればおのずと選択肢が決まるように思います。
しかし、実際にはそうでない選択肢を選ぶ人がいることは事実であり、その背景の一つに教育レベルの低下があるのではないかということを意図して先日のコメントを入れました。
意図が分かりにくかったかもしれません。申し訳ありません。
私は「自己決定権」で代理出産を認めるなら、臓器売買や自殺幇助や薬物依存も認めなければならないのではないかと思います。そういう考え方もあるし、そういう価値観で成り立つ国も存在しうるでしょうが、私は賛成できません。
ありがとうございます。
私はここで言う「自己決定」を重視したいと思っています。しかし、それで万事解決とも思えません。
自己決定を重視できないのは、おそらく冷静に合理的な判断を下せる保証が無い=判断力の欠如、リスクやリターンの判断材料の不足や格差による価値観の相違があると思っておりますが、いかがでしょうか?
おそらくこの原因は教育に行き着くだろうと思っています。
>安部奈亮さん
「充分な(多額の)報酬を払うとビジネスになるからいけない」ということで限度額が決まってるらしいです。
「業者からば当初、保険とか入れないで1万8000ドルの謝礼に、双子の場合ばプラス2000~3000ドルといわれました。」
www.globe-walkers.com/ohno/interview/dairibo.htm
9ヶ月以上かかる命がけのボランティア、無事に出産しても肉体的負担は大きいですから、2万ドルではひどく少ないですね。
>ともえサロンさん
代理母が他人の場合も倫理的問題がありますが、近親者の場合は「有形無形の圧力」でむりやり承諾させることも起こりえます。
考えれば考えるほど代理母には問題が多すぎます。
>通りすがり(03-25 21:51:53)さん
私も「代理母を使って自分たちの遺伝子を残そうとする」人たちに対しては「自分のクローンを作ろうとする独裁者」と同じくらいの共感しかできません。グロテスクです。
>あさん
ご意見は承りました。
>通りすがり(03-26 22:48:05)さん
「自己決定」を重視すればそういうお考えになるのですね。
わたしは「比喩」より「現実に実行」したこと、世論への影響力を重く見るので同意しかねます。
柳沢大臣の言葉に影響されて「私は産む機械の役を果たすぞ!」と決意した女性の話を聞いたことがありません。
その逆の例はたくさん聞きますが。
>oguさん
逆に「アメリカ人が日本人を代理母として利用した」場合、T夫妻を応援した人たちの反応は好意的かどうか気になりますね。
>DHさん
「自己決定」をあまりに重視すると債務奴隷とか臓器売買とか薬物中毒とかも認めなければならなくなりそうで、私としては春霞氏のような考えかたには納得できません。
それはちょっと安すぎますね、T夫婦は生殖活動を舐めていると思います。代理母という仕事は数百万円もらってもおかしくない重労働です。
フィリピンの腎臓売買もそうですが、臓器売買とか代理母は、、一番苦労をした人にきちんとした報酬が払われていないので、商道徳に反しています。
イデオロギー的なことを云々する前に、まず自分のために命を懸けてくれた人に、それ相応の報酬を払うべきです。でなければ、貧乏人の弱味につけ込んだわけですから、女郎部屋の女衒や奴隷を酷使するプランテーション主とやっていることは選ぶ所がありません。
早速で恐縮ですが、御紹介の春霞氏の記事、私も拝読しましたが、米本氏の懸念(小生から見ればもっともと思えるのですが)を一蹴されている点など首を傾げる所がままあるように思います。
仰るように代理母こそ「子供を産む装置」と言われても仕方がないと思います。
単なる個人的な想像ですが、代理母を肯定する方々は「柳沢発言とは異なり、女性自身が子供を産む装置になることに同意しているし、人の為になる行為でもあるのだから問題ない」というような考え方なのかも知れません。
これが途上国の女性を代理母にしていたら、リベラルな人は何というのでしょう。
母親が娘の代理母になったケースは微妙なのですけれど、金銭が絡む生殖活動には基本的に反対です。
精神が「私」で、肉体は「私」が所有し「私」が制御している「機械」だと捉えてみればどうでしょうか。
柳沢発言が叩かれたのは、「産む機械」という発想ではなく、その発言に、女性の精神=「私」を認めず、
肉体の所有権、制御権を侵害するような響きを感じるからのような気がします。
それを踏まえて今回の代理母問題を考えると、ボランティアの人からしてみれば、「私」の肉体を「借り腹」=「産む機械」として利用する決定をしたのは、あくまで「私」であり、T夫妻という他人ではありません。ですから所有権、制御権を侵害されたわけではないと言えます。
T夫妻にしても、そのエゴは日本では(割合として)理解されるものですし、「産む機械」を所有する女性と(今回はボランティアとはいえ)きちんと契約を済ませている段階で、エゴと言えるものではありません。
このあたりで差異が生まれてくるのかなと思っていますがどうでしょうか。
っていうなら最初からT夫妻で通せばいいのに。
>高田氏と向井氏、そして関係者を誹謗するつもりはないけれど、
欺瞞じゃないか。どうどうと批難すればよい。
心情的には理解できる部分もあるが、やっちゃいけないことをやった短慮な愚か者と名指しで非難すればいいじゃないか。
なんだその中途半端な態度は。絶望した!
ずっと一連の報道には疑問を抱いていました。というか、個人的に共感できなかったですね。エゴとしか感じられない。
ほしいほしいと人のお腹をつかって(利用して?)まで自分の子供を持とうとする行為は、エゴでなかったら何なのだろうと思います。
そもそも純粋にビジネスとして考えたとしても、代理母を頼む人達はきちんとそれに見合う報酬を払っているのでしょうか?
一人の人間を一年間拘束するのだから、300万円くらいは払うべきだし、その間の医療費は当然依頼夫婦が払うべきだし、最悪の場合を考えて生命保険も負担するべきでしょう。これはただの補償です、当然報酬として更に数百万円は払うべきでしょうから、最低500万円くらいは母胎を提供する女性に払わなければ、不当な搾取になるはずです。
さて、アングラでも(表向きは無償でしょうから)きちんとそれだけのお金を払っているのか。
母胎を貸す女性が金に困っていることにつけ込んで、きちんとした金額を払っていないのだとしたらひどい話です。