玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「真実味」と「真実」

2007年12月09日 | 日々思うことなど
不快な話題なので何度も書きたくはないけれど、流言蜚語が横行し空騒ぎが続くのを見すごす気にもなれない。
ケンタッキーフライドチキンの風評被害問題についてこんな意見を見つけた。

バイト君は本当にゴキを油でカリッと揚げたのか? - オースペのブログ
俺このバイトの言うことはかなり信憑性が高いのじゃないかと思う。

まあ、実際油であげたことのある人もいるようだが、あくまで俺の推理で本当にあったことなんじゃないかと思うだけである。

まず、皆が固定観念として持っていることに、

・ゴキは熱湯をかけると死ぬ。
・ゴキは台所洗剤をかけると死ぬ

ということがある。
しかし、どちらも試したことのある俺は、これらが効果がないことを知っている。
熱湯はミニゴキには確かに効果があったが、成虫には動きをトロくするぐらいの効果しかなかった。
台所洗剤にいたっては、ミニゴキさえも倒せない。台所洗剤の有害性を過度に強調した完全な都市伝説である※1。
みんなゴキがこの程度で死ぬ弱い存在だと固定観念としてもっているならば・・・

ゴキが油の中で暴れまわるというのは、見たものにしか分からない真実味を感じる。

ちなみに、昔、彼女の家で油で揚げているときにハエが入ったときがあったが、油の温度は割と高かったはずなのに、しばらくバタついて暴れるところを目撃した。

注・引用に際して改行を詰めました


オースペ氏が何を信じようと勝手だが、こういう素直すぎる見方が広まるのは問題がある。
最初に言っておくが、私はゴキブリを油で揚げると即死するのかそれとも暴れまわるのか知らない。試したことはないし、実験する必要があるとも思わない。「事件」の有無とは無関係だ。それがわからない人が多いのは不思議である(このことは後で)。


オースペ氏の意見の中心は
 「ゴキが油の中で暴れまわるというのは、見たものにしか分からない真実味を感じる。」
という部分なのだろうが、私には「だから何?」としか思えない。
ちょっとよくできた小説を読めば「真実味を感じさせる表現」はいくらでも見つけられる。それなら作者は実際に体験をしたのかというとたいていの場合そうではない。SFやファンタジーの書き手は宇宙や異世界に行ったことはなく、ミステリーや歴史小説の作家は人を殺したことも歴史的事実を目撃した経験もない。真実味ある表現が生まれるのは作家の「表現力」と読者の「共感力」の合作による。
「プロの作家は表現力があるからフィクションでも真実味を出せる(素人には無理)」「真実味を感じるのは真実だから」という反論が予想されるが、それはケータイ小説愛好家の「ケータイ小説は普通の小説よりリアルだ」という意見と本質的に変わりない。表現力が足りなくても読者の共感力があふれていれば充分なリアリティーが生まれる。「真実味を感じる」のと「真実である」こととは次元の違う問題であり、直結させるのは危険だ。
このあたりの問題はたぶんクオリアとか認知科学に関わってくるのだろうが、私にはよくわからない。茂木先生教えてください。とりあえず今は「リアリティ(真実味)とリアル(真実)は違う」「人間の認知力は限られており世界の実相を知るのは困難だ」と自分を戒めるだけだ。

直感的な「真実味」を地平線の向こうに蹴飛ばしたあとで初めて客観的事実について検討できる。
事実を追求する方法としては科学的手法あるいは法廷的手法が適切だろう。超自然的手法(神託とか超能力)を望む人はお好きにどうぞ。
科学的手法が使えれば望ましいが、もし「KFCゴキフライ事件」が事実だとしてもそれを科学で証明できそうな気がしない。物証は出ていないし、フライヤーは掃除され油を交換しているだろう。データを得るのは困難だ。となると、法廷的手法を用いるほかない。
…と、偉そうに言ってしまったが私は法律についても法廷の手続きについてもろくに知らないのである。以下は単なる素人の思いつきとしてお読みください。



さて、それでは「KFCゴキフライ事件」は法廷の検証に耐えられるのか。
元バイトのmixiにおける書き込みが真実を伝えるものと認められるのか。
私はとうてい無理だと思う。

補強法則 - Wikipedia
中世において「自白は証拠の女王」(Confessio est regina probationum)といわれたように、自白は刑事手続においてきわめて有力な証拠であり、その証明力は過大に評価されることが多い。このため、捜査機関はいきおい自白獲得に力を注ぐこととなる。

このような自白の性質が、自白獲得のための拷問など、人権侵害行為につながることがないよう、又、自白のみに偏した裁判がなされることがないように補強法則は設けられた。


この「事件」には被害者がいない。
ここで争われるのは「風評被害問題」ではなくゴキフライ事件の有無である。
KFCは「事件」の存在自体を否定している。店の客からも「ゴキブリのフライを出された」という被害届けは出ていないようだ。被害なき事件は存在しうるのか。

仮にKFCが大人の事情で被害を認めることを拒否しているのだとしても、罪体(犯罪事実の客観的側面)が存在しない。
具体的には「11種類のハーブを用いた特製の衣に包まれ、KFCで使われているショートニングによって揚げられたゴキブリ」という最重要証拠がない。殺人事件に例えれば死体が出ていないようなものだ。

北九州監禁殺人事件のように死体が発見されなくても殺人罪が認められることはある。だがそれは最重要証拠の不在を補うだけの証言や証拠があってのことだ。私の知るかぎり「KFCゴキフライ事件」については何も存在しない。

今のところ「事件」の証拠は元バイトの「告白」(mixiでの書き込み)だけだ。後に虚偽であり見栄を張ったものと本人が否定している。
日本国憲法38条3項によれば(いきなり話が大きくなる)「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」と定められている。とはいえ、本物の法廷ではないのだから堅いことは言うまい、当ブログでは「充分な信頼性があれば自白だけを証拠に有罪を認めうる」ことにしよう。
それではどんな場合に充分な信頼性があると認められるのか。

世の中には変な人がいて、やってもいない犯罪を「自分がやりました」と自首してくることがある。特にマスコミで大きく報道される事件では珍しくないらしい。目立ちたいだけだったり、頭がおかしかったり、あるいは刑務所に入り食事と寝場所を得るのが目的だったりする。
そんなとき警察は「自首してきたんだからこいつが犯人に決まってる」と素直に認めて逮捕する    …わけではない。
警察が狙うのはあくまでも真犯人であってニセモノには用がない。その見極めに使われるのが「秘密の暴露」だ。

秘密の暴露 - Wikipedia
秘密の暴露(ひみつのばくろ)とは、刑事事件等で、取調べの際に被疑者が捜査官の知らない事項を自白することであり、一般的に真犯人しか知りえない事実の事であり、その事実を裏付ける捜査の結果、事実に間違いない確証を得られればたとえ物的証拠や目撃証言が無くても「秘密の暴露」を行った者は有罪となる。ただ秘密の暴露は迫真性や具体性によって判断されるのではなく、事件との関連性において自白となるかが問われる。


さて、「KFCゴキフライ事件」において元バイト少年の「告白」に秘密の暴露はあるのか。
mixiの書き込みを見てみよう。

テラ豚丼に対抗して、ケン○ッキーゴキブリ揚げのゆとり登場まとめ@wiki - 現在までの状況
ってかね、ゴキブリって油で揚げてもなかなか死なないんだよー



死んだかと思って出すと動きだすからね



衣つけて圧力かけて揚げたら死んだけど


たったこれだけである。
どこに秘密の暴露があるのか、どこに「見たものにしか分からない真実味」があるのか。
そんなものはありはしない。
「ゴキフライ」を思考実験すると、高温の油に入れられたゴキブリの運命は

・ 即死する
・ 即死はしないがしばらくすると死ぬ

二択である。他の結果は現実的にありえない。
SFなら「油に入れると巨大化するスーパーゴキブリ」を書いてもいいが、現実世界でそんなことが起きると信じる人はいないだろう。
さて、仮に元バイトの少年が「ゴキブリを揚げたとホラを吹いてやろう」と思ったとき、「入れたらすぐに死んだ」と書くのか、それとも「油で揚げてもなかなか死なない」と書くのか。浅はかな仲間内のウケを狙って創作するなら後者を選び派手に暴れさせるほうが面白い。
元バイト少年の「告白」に秘密の暴露は存在しない。仮に再現実験をして「なかなか死なない」が事実と判明しても、である。二択で選べて想像で簡単に装飾できる選択肢が「真犯人しか知りえない真実」であるはずがない。


一方ではこんな話もある。

アイツは嘘つきだ、と経験者は語る。 - wHite_caKe
なんかね昔、私は弁当屋でバイトをしていたんですけどね、ある日いつものようにフライヤーの前で山ほど唐揚げを揚げていたら足元をカサカサッって何か走ってね、目を落としたらそこにゴキブリがいてね次の瞬間、やつがこちらの顔めがけて飛んできてね……なんであいつらってすぐこっちに向かって飛んでくるの?

とにかく飛ばれた私が思わず

「そおい!」

とか言いながらのけぞってよけたら、ゴキブリの野郎、そのまま高温の揚げ油の中に飛び込んでいっちまいやがってね。

そしたら、

「ジュワジジッ!」

みたいなすごい音がして、ゴキブリは一瞬でキツネ色にからりと揚がってしまったのですよ。びっくりした。完全に揚がってレアな部分なんて微塵もなく、水分がとんだせいかさくさくと軽い仕上がりになっていました。いやもちろん食べてないけど。

色んな食材を揚げたことがありますが、あんなに瞬間的にからっと揚がるものってそうはありません。


シロイさんの話が本当の体験談なのかどうか私は知らない。疑っているわけではないが単純に「事実を知らない」のである。私はシロイさんでも弁当屋の店長(その場に居合わせたとされる人)でもない。シロイさんの話を裏付ける証拠を持たない。誰かに「シロイさんが某弁当店でゴキブリをフライにしたそうですが、それは事実ですか?」と聞かれたら「彼女がブログに書いたのは読みましたが、それが体験談なのか創作なのか知りません」と答えるしかない。ゴキブリが瞬時にカラッと揚がるのか、それともなかなか死なずに暴れるのか知らない。ゴキブリの種類や油の温度によって違いが出そうだ。どちらでもいい、別に知りたくもない。
事実かどうか、ではなく「真実味」について言えば、私にとって元バイト少年よりはシロイさんの文章のほうがずっと真実味がある。状況設定も描写も自然である。一皿百円じゃない回転寿司のイクラと同じくらい本物っぽい。
だが、「真実味」と真実は次元が違うことを私は知っている。描写が地味だから信用できるとか、あるいは逆に派手だから本当だろうとか、そういう素直な思い込みは危険だとわかっている。自分が全てを知ることはできず、「実感」は時に大間違いすること(特に恋愛方面では)を代償を払って学んできた。

私は血液型性格診断も、「水からの伝言」も、「鏡の法則」も、ケータイ小説の「リアルさ」も、そして元バイト少年の書き込みも信じない。信じるに足りる根拠がないからだ。素直な人たちが「これはリアリティがある、だから本当のことだ、リアルだ」と力説すればするほど眉に唾をつける。

だからいつも私の眉毛は濡れていてちょっと臭いのである。