玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

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興奮しやすい「良識的」マスコミの恐ろしさ

2007年04月20日 | 日々思うことなど
昨日の記事で長崎市長銃撃事件についての報道が「原因と結果を混同している」と批判したが、今日になってようやくまともに暴力団を批判する社説が出てきた。

  asahi.com:朝日新聞社説:長崎市長殺害―暴力団をのさばらすな
  社説 北海道新聞:長崎市長の死*暴力に屈しない社会に

「長崎市長」「射殺」というキーワードに興奮して「平和運動」「反核」「民主主義」と叫んだものの、あまりに教条的で上滑りしていることにようやく気付いたらしい。犯行の翌日は興奮するのも無理はないが(本当はよくない)、なぜ昨日の時点で「問題は暴力団だ」と気付かなかったのか不思議だ。

この事件ではマスコミの興奮しやすい体質が特にはっきりと現れて、興味深く感じるとともに空恐ろしくなった。
たとえば安倍総理の事件直後のコメントへの批判。

  asahi.com:朝日新聞社説:長崎市長殺害―テロへの怒り共有しよう
 実家と事務所に放火された加藤紘一・元自民党幹事長は、今回の事件を聞いて「暴力で発言や行動をとめることがあってはならないという怒りをもっと強く共有しないと、こういう事件は続発する」と述べた。その通りだと思う。

 その意味で、安倍首相の事件発生直後のコメントには首をかしげざるを得ない。「真相が究明されることを望む」というひとごとのような言葉からは、怒りが感じられなかったからだ。

  社説 北海道新聞 長崎市長の死*暴力に屈しない社会に
 残念なのは安倍晋三首相が今回の事件発生直後に出したコメントである。「真相が究明されることを望む」と、通り一遍のものでしかなかった。

繰り返すが事件「直後」のコメントへの批判である。
朝日と道新は犯行の動機や経緯が何もわからない時点で安倍総理が「怒り」を表明することを期待している。
これはちょっと恐ろしい。

私は総理大臣の事件直後のコメントとして「真相が究明されることを望む」というのは完全に適切だと思う。事件が衝撃的であればあるほどトップに立つ人間は落ち着いていなければならない。興奮しやすい人がヒステリーを起こすのは仕方ないが、決してそれに引きずられてはいけない。

たとえば、尖閣諸島や竹島、北方領土付近において日本と係争国との間で紛争が起きたとする。
そのとき総理大臣は直ちに(正確な情報を得る前に)「怒り」を表明すべきなのか。
右翼や自称愛国者は興奮して断固たる処置を要求するだろうが、外交と防衛に責任を持つ総理大臣が、確実な情報も慎重な判断も持たずに攻撃的な姿勢を見せるのがよいとは思えない。

要人暗殺と領土紛争は別だ、とお思いになる方もいるだろうが、人為的な緊急事態への対処と言う意味で変わりはない。
今回の事件でマスコミと一部野党政治家が望んだ
  「危機 → 批判(攻撃)」
という行動パターンは短絡的で危険な情動反応である。なまじ「良識」のふりをしているから性質が悪い。
権限を持ち責任を負う指導者の行動は基本的に
  「危機 → 情報収集・分析 → 対処」
でなければならない。

昔も今も、日本の「良心的」マスコミは実に正義感が強く興奮しやすい。
戦前・戦中・戦後と時代は変わり、国粋思想・軍国主義からコスモポリタン・平和主義に思想は変わっても、彼らの体質は何も変わらないようだ。
今回の長崎市長銃撃事件における「テロだ!」「平和運動と民主主義の危機!」「首相は強い怒りを示せ!」という連鎖反応は、70年ほど前に中国で居留日本人が襲われたとき起きた「暴支膺懲!」「利権の危機!」「政府の弱腰を許すな!」という反応と似てはいないか。
山本七平が生きていたらさぞ苦笑し呆れることだろうと思わずにいられない。
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