懐かしい、いや、古臭くて聞く気にもなれない歌を聞かされた。
小倉弁護士が新しいエントリで、クラシックな匿名言論批判を行っている。
ITに強いと自称されている弁護士先生がこういう認識なのは不思議でもあり残念だ。
ネットにおける実名至上論というのはすでに事実上絶滅したものと思っていた。
その証拠に、2ちゃんねる、yahoo掲示板、そしてブロガーのほとんどは(私を含めて)匿名である。調査したわけではないが、匿名派と実名派の割合は9:1、あるいはもっと匿名派の比率は高いだろう。すでに匿名による言論はネットのデファクトスタンダードである。
去年、西尾幹二氏のブログにおいて「空白の十分間」事件なるものが起きた(goriさんによるまとめ)。
多くの批判的コメントが寄せられ、それに憤慨した西尾氏は「私を批判するものは実名を名乗るように」(褒めるときは匿名でもいいのだろうか?)というサイトポリシーを掲げられた。
西尾氏の場合、お年がお年なのでネット界の常識になじめない、また自らの権威を守りたい気持が強いのは良くわかる。同意はしないが同情はする。だが、小倉弁護士の場合はまだ40前であり、柔軟な思考ができるだけの若さを期待したのだが。
ネットにおける匿名/実名論についてはすでにあちこちで散々論じつくされているので、今さら私が付け加えるべきものは何もない。
ネットで読ませてもらった匿名/実名論のうち、特に感銘を受けたのは
小泉総理は運が強すぎる まとめページ の管理人、ヤスツさんによる実名と匿名の意義についてITビギナーと対話してみるだった。
ヤスツ氏はここで懇切丁寧な議論で実名至上主義の誤りを説いている。ヤスツ氏は匿名、対するN.I.さんは実名(ヤスツ氏の配慮により伏せられている)だが、二人の議論を見ればほとんどの人が「実名の発言者は匿名の発言者よりも質が高い」とする前提は間違っていると思うことだろう。
一点だけ実名論の問題点を書くならば、それはつまり、自由であるべきネット界の言論人にポジショントークを強要するものになりかねないのだ。
リアル世界での序列や権威をネット界で再現することに一体どんなメリットがあるのだろうか。高い社会的地位を得ている人(たとえば高名な弁護士さん)ならば、自らの権威を最大限利用して名もなき批判者たちを蹴散らしたいと願うだろうが、ネットの利用者のほとんどは市井の一般人であり、権威に押さえつけられることはあっても、プライバシーを全世界に晒すかわりに権威という武器を利用することはできないのだ。ネットにおける実名至上論は強者の論理であり、自由な言論を抑圧したい人々が好む説である。
小倉弁護士が「NHKに対する政治家の『圧力』問題」であれほどまでに報道の自由を神聖視しているのに、ネット界では統制を強めようとする側に立つことは一見不思議に思える。
だが考えてみれば既成マスコミもまたすでに「体制」「権威」であり、エスタブリッシュメントの一員(ちょっと大げさか?)であられるところの小倉弁護士が朝日新聞にシンパシーを感じ、朝日を批判する一般人(小倉氏には「ネット右翼」に見えるのかもしれないが)を好まないのは当然なのだろう。
私は自由な言論を愛する、質の高い言論を望む。だが、権威主義によってそれが可能になるとは信じない。
小倉弁護士が新しいエントリで、クラシックな匿名言論批判を行っている。
ITに強いと自称されている弁護士先生がこういう認識なのは不思議でもあり残念だ。
ネットにおける実名至上論というのはすでに事実上絶滅したものと思っていた。
その証拠に、2ちゃんねる、yahoo掲示板、そしてブロガーのほとんどは(私を含めて)匿名である。調査したわけではないが、匿名派と実名派の割合は9:1、あるいはもっと匿名派の比率は高いだろう。すでに匿名による言論はネットのデファクトスタンダードである。
去年、西尾幹二氏のブログにおいて「空白の十分間」事件なるものが起きた(goriさんによるまとめ)。
多くの批判的コメントが寄せられ、それに憤慨した西尾氏は「私を批判するものは実名を名乗るように」(褒めるときは匿名でもいいのだろうか?)というサイトポリシーを掲げられた。
西尾氏の場合、お年がお年なのでネット界の常識になじめない、また自らの権威を守りたい気持が強いのは良くわかる。同意はしないが同情はする。だが、小倉弁護士の場合はまだ40前であり、柔軟な思考ができるだけの若さを期待したのだが。
ネットにおける匿名/実名論についてはすでにあちこちで散々論じつくされているので、今さら私が付け加えるべきものは何もない。
ネットで読ませてもらった匿名/実名論のうち、特に感銘を受けたのは
小泉総理は運が強すぎる まとめページ の管理人、ヤスツさんによる実名と匿名の意義についてITビギナーと対話してみるだった。
ヤスツ氏はここで懇切丁寧な議論で実名至上主義の誤りを説いている。ヤスツ氏は匿名、対するN.I.さんは実名(ヤスツ氏の配慮により伏せられている)だが、二人の議論を見ればほとんどの人が「実名の発言者は匿名の発言者よりも質が高い」とする前提は間違っていると思うことだろう。
一点だけ実名論の問題点を書くならば、それはつまり、自由であるべきネット界の言論人にポジショントークを強要するものになりかねないのだ。
リアル世界での序列や権威をネット界で再現することに一体どんなメリットがあるのだろうか。高い社会的地位を得ている人(たとえば高名な弁護士さん)ならば、自らの権威を最大限利用して名もなき批判者たちを蹴散らしたいと願うだろうが、ネットの利用者のほとんどは市井の一般人であり、権威に押さえつけられることはあっても、プライバシーを全世界に晒すかわりに権威という武器を利用することはできないのだ。ネットにおける実名至上論は強者の論理であり、自由な言論を抑圧したい人々が好む説である。
小倉弁護士が「NHKに対する政治家の『圧力』問題」であれほどまでに報道の自由を神聖視しているのに、ネット界では統制を強めようとする側に立つことは一見不思議に思える。
だが考えてみれば既成マスコミもまたすでに「体制」「権威」であり、エスタブリッシュメントの一員(ちょっと大げさか?)であられるところの小倉弁護士が朝日新聞にシンパシーを感じ、朝日を批判する一般人(小倉氏には「ネット右翼」に見えるのかもしれないが)を好まないのは当然なのだろう。
私は自由な言論を愛する、質の高い言論を望む。だが、権威主義によってそれが可能になるとは信じない。