黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「6・15」を考える

2012-06-16 05:19:48 | 仕事
 昨日は「6・15」、朝から逃亡中のオウム真理教高橋克也が捕まったという報道や「消費税増税」がいよいよ大詰めを迎えた、というようなニュースが満杯で、やはり「6・15」と言うのは特別な日なのかなと思い、午後になったら今朝からのニュースと絡めて「僕の6・15」について書こうかなと思っていた矢先、手順を間違えたわけではないのに、PCに不具合が生じ、メカに弱い僕としてはお手上げ状態になり、思いあまって知り合いの編集者に聞いたのだが、今度の僕のようなケースでは「放っておくのが、一番」ということで、今朝まで何もせず「放って」おいたら、従来のように使えることが判明し、一安心し、これを書くことにしたという次第である。
 さて、昨日書こうとした「僕の6・15」だが、若い人には遙か昔の歴史上の出来事になってしまった「60年安保闘争」及び「70年安保闘争」のことである。もちろん、「日米安全保障条約」の改訂を巡って政府(保守勢力)とそれに反対する全学連や社会党(総評)・共産党が連日激しい攻防を繰り広げていた「60年安保闘争」において、「全学連」の隊列にいた東大生樺美智子さんが警察機動隊との衝突で頭を割られ死亡するという事件があった「60年6月15日」は、まだ僕はその時中学生で、新聞(家が貧しく、テレビがなかった)で「国論を二分する」そのような激しい闘争を身近に感じることはなかったのだが、教室に来る先生方の多くが「浮き足立っている」感じで、中には授業に身が入らず、「自習」などと言って職員室に帰ってしまう先生などもいて、「ああこれは大変なことが東京で起こっているんだな、そしてそれはこんな田舎にまで影響を及ぼすものなんだな」、と思ったものであった。
 「60年安保闘争」が、占領期(1945~52年)が過ぎ講和条約と共に結ばれた「日米安保」が「独立国家・日本」の行く末を決するもので、その第1回の改訂(10年ごとに改訂されることになっていた)を巡って、このままアメリカに「従属」するような形で日本はあり続けるのか(保守派)、それとも東西冷戦時代にあっては大変困難な道だけど「中立」的な立場を取るのか(革新派)、で激しく争い、結果的には「アメリカ追随」を主張する保守派が「勝利」し今日に至っているのだが、僕にとっての「6・15」は、「60年安保闘争」から10年経った「70年安保闘争」であった。ただ、「70年安保闘争」と言っても、学生運動は70年の「安保改訂問題」よりも、戦後の「大学教育」を中核としてその枠組みを変える体制側の動き――それは、「授業料値上げ」や「学生会館の管理運営権の否定」「学生寮の自治権剥奪」といった「大学改革」という名の管理強化――や、今や当たり前になっている「産学協同路線」や旧態依然たる大学教育への学生の「異議申し立て」=反対闘争(「学生叛乱」と言われた)の方にもっぱら力が注がれていた感があった。もちろん、「日米安保条約」に深く関係し、1972年に実現する「沖縄返還」を巡って、新左翼各党派によって「沖縄奪還」であったり「沖縄解放」であったりしたが、一つの政治的テーマとして存在し、その意味では「70年安保闘争」という意識がないわけではなかった。しかし、「70年」前後の「政治の季節」におけるその中心的な関心は、「知の叛乱」「帝大解体」などが如実に示していたように、「大学はどうあるべきなのか」「(旧態依然たる)大学をどう変えていくのか」といった問題であり、また「自己否定」や「造反有理」などといった言葉が象徴するように、新左翼諸党派は別であったが、多くの無党派学生にとっては、もっぱら「どう生きるべきか」といった哲学的な命題の上に「日米安保改訂」や「沖縄返還問題」というような「政治的課題」が乗っている、という感じであった。
 ――そうであったが故に、「政治の季節」の中心世代であった「団塊の世代=第一次ベビーブーム世代」が、高度成長期からバブル期を経て安定期に入った日本経済を中核となって支え、今また彼らが「定年」を迎えると、彼らの能力を「地域」や「消費」の場で使おうとする動きが活発になっているのだろう。
 しかし、「政治の季節」(全共闘運動・70年安保闘争)が終わった直後から言われてきたことだが、それ「以後」の政治や社会を動かしてきたのは、まさにそのような「政治の季節」を体験してきた人たちで――典型的な例として、早稲田大学の過激派(党派名は言わない)の闘士であった民主党の仙石氏を上げることができるだろう。氏は今や野田政権(民主党)の中枢にあって「原発再稼働」や「消費税増税」に狂奔している――、彼ら(僕ら)は、それ以前の旧態依然たる「体制」は壊したが、壊した後の「新しいもの」は、壊す前よりもひどいものになった、ということである。熱心な読者は、学生運動に参加していた僕が筑波大学の教師になっていることに反発し続けた「コメンテーター」がいたこと、彼らは僕が大学をやめたら何も言わなくなったことを覚えているのではないだろうか。「裏切り者」という意識が常に「裡」に存在し続けてきたことを、今さら「弁解」がましく言いたくはないが、あの時代に培われた「批評(批判)精神」だけは忘れずにこれからもやっていく、としか言えないが、政治の世界を眺めていると、最早「主流」は団塊の世代を通り越して、「二世議員」がその典型と言っていいのだが、見せかけでしかない「豊かさ」の中で育った苦労知らずの「ぼんぼん」たちが、「経済」に引きずられて、将来を「暗いもの」にしているようで、何とも不気味である。
「6・15」の昨日考えたことは、以上のようなことであった。詳しいことは、先に書き上げた『井伏鱒二と<戦争>』(仮題)と今書いている「フクシマ」論に対する駁論を読んでもらえればいいのだが、刊行時期が決まっていないので……。

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