今日は雨の中でしたが村の日役です。
12組の担当はオクシバとか言う所の
林の奥にある地面から少し下がった
水路の砂利上げでした。
この村の山谷にはそれぞれ昔の地名が
付いていて古い人や山に詳しい人は
それですべて通じるのだからすごい。
テンフォン、ラクセン、ウタンダ、ヨニビシ、
などなど。たまに聞いても分からない。
しかしそう言う地名がないと確かにもう
何が何処だか説明のしようがない。
水路に着くと約30mに渡って砂利にや大きな
石で埋まっていた。いきなりテンション下がる。
かといってぼんやり眺めていてもどうにも
ならないので8人ほどでジョウレンを手に一列縦隊
になって挑む。
その作業はいつも最終の新幹線が通貨した夜の12時
から始まった。
みんながクラトンと呼んでいたその現場は岡山市から倉敷
へぬける新幹線のトンネルで上りと下りの間のコンクリート
を掘り水路を作ると言うものだった。
僕がそこへつれていかれた頃にはもう入り口から1500m
ほど奥へ進んだ頃で800キロのディーデルのコンプレッサー
に繋いだ削岩機を持つ人とジョウレンを持つ人とが
交互にやはりここでも一列縦隊に並び少しづつ前進するのだった。
ふとそんな懐かしい記憶を思い出した。
12組の担当はオクシバとか言う所の
林の奥にある地面から少し下がった
水路の砂利上げでした。
この村の山谷にはそれぞれ昔の地名が
付いていて古い人や山に詳しい人は
それですべて通じるのだからすごい。
テンフォン、ラクセン、ウタンダ、ヨニビシ、
などなど。たまに聞いても分からない。
しかしそう言う地名がないと確かにもう
何が何処だか説明のしようがない。
水路に着くと約30mに渡って砂利にや大きな
石で埋まっていた。いきなりテンション下がる。
かといってぼんやり眺めていてもどうにも
ならないので8人ほどでジョウレンを手に一列縦隊
になって挑む。
その作業はいつも最終の新幹線が通貨した夜の12時
から始まった。
みんながクラトンと呼んでいたその現場は岡山市から倉敷
へぬける新幹線のトンネルで上りと下りの間のコンクリート
を掘り水路を作ると言うものだった。
僕がそこへつれていかれた頃にはもう入り口から1500m
ほど奥へ進んだ頃で800キロのディーデルのコンプレッサー
に繋いだ削岩機を持つ人とジョウレンを持つ人とが
交互にやはりここでも一列縦隊に並び少しづつ前進するのだった。
ふとそんな懐かしい記憶を思い出した。