栗太郎のブログ

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「伊勢神宮の暗号」 関裕二

2014-02-13 20:00:17 | レヴュー 読書感想文

著者は、はじめにいう。
〈伊勢神宮が整えられた七世紀から明治維新に至るまで、持統天皇と明治天皇のたった二人しか足を伸ばしていない〉、と。
なんとも、びっくりした。歴代、ほとんどの天皇が訪れていないのだ。
けして京都から伊勢が遠いことはない。距離だけをいうのなら、伊勢より離れた熊野など、悪路を越えてまで何度もお参りしている天皇さえいる。
世間一般の感覚で言えば、熊野に行った帰りに、ちょっとご先祖様のお墓参りくらい寄ってみたらどうよ、と思う。
しかし、そんな感覚さえも、著者はこう言う。
〈「天照大神は、本当に天皇家の祖神なのだろうか。天照大神は恐ろしい神なので、天皇はどんどん遠ざけていったのではないか〉、と。
日本において、単に『神宮』といえば伊勢神宮のことであるように、幾万とある神社の頂上にあるのが伊勢神宮であると思ってきた。
天照大神を祀る神社がなぜ伊勢にあるのか?という疑問があっても、さして気にも留めていなかった。
そして著者は、〈伊勢神宮とは誰が、いつ、なぜ必要としたのだろう〉と問いかけて、本編に入っていく。
そんな誘惑に、のっけからこっちも見事に引っぱられていくのだ。


伊勢神宮は古代より伊勢の地にあったわけではない。
伝承によれば、もともと宮廷内にあったのを、幾度かの遷座を経て、第11代垂仁天皇の時代に伊勢の地に定まったという。
著者は、そもそもその伝承を信じてはいない。
まず、天武天皇がこの地で太陽神を祀ったのだという。その時は、男神であったともいう。
発端は、天武がまだ大海人皇子と名乗っていたときに、兄の天智天皇と争った壬申の乱。
天智と袂を分かった大海人皇子が、いったん東国に逃れ、尾張氏の助力を得て勢力を回復し、近江にて天智軍に勝利した。
そして、乱の勝利に貢献した尾張氏が崇拝していた「海人の太陽信仰」の神を祀ったのだと。
つまり、論功行賞の褒章という意味合いだろう。
その神様を、天武の死後に、妻の持統天皇が天照大神という女神にすり替えたものだという。
消すことができなかったから上塗りした、そんな印象だ。
すり替えには理由がある。だいたい、夫婦だからといって天武と持統の意思が一緒ではないのだ。そこが一番肝心なところ。
持統のその後の行動は、壬申の乱で夫・天武の敵であった、父・天智への回帰であった。
それは、天皇後継者の選定をみればわかる。天智の血筋につながる身内へ皇位を継承しようとしているのだから。
そして、女帝である自らから始まる、新しい天皇家の正当性を捏造するために、女神である天照大神を作り上げた、のだと。
それを手助けしたのが、藤原不比等だ。不比等の父は、かつて天智の盟友であった鎌足。(壬申の乱の時には亡くなっていたが)
天武の治世の間、不遇をかこっていた不比等は、藤原氏の復権を目論んでいた。
思惑が一致した持統と不比等のふたりは、〈悪事を糊塗するための方便の書〉、『日本書紀』を作り上げた、というわけだ。

その根拠を、様々な人物、出来事、地域勢力、古墳などを引き合いに出して証明していくのだ。
そして最後に、こう締めくくる。

〈天照大神ではない謎の神が、丁重に祀られている。この神こそ、女神・天照大神出現以前の、ヤマトの王家の祖神である〉、と。

謎の神ってなんなんだ?
本の最後に、〈伊勢神宮の秘密は解き明かされた〉というのだが、それじゃあその「祖神」はどう説明したのか。
肝心のその正体を明らかにしないまま、終わりにされては気になってしかたない。
著者をしても、その正体を断定できかねる、ということか。だから、タイトルは「暗号」なのか。


満足度6.5★★★★★★☆

伊勢神宮の暗号 (講談社プラスアルファ文庫)
関 裕二
講談社


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