2016.1.15 紫天の独唱によせて詠める歌一首。

エルサレム
鷹舞いあがる大空の群青の果て
我も行くなり。

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h.28.4.1

2016-04-01 20:21:53 | メモ
現存在にとって可能的実存に基ずく行為は疑問である。なぜなら、時間のうちで己れの存立を保つための現存在の配慮は無制約者に逆らわねばならないからであり、この無制約者への道は現存在に損失をもたらし破壊に導くかもしれないから、現存在の配慮にとってはおぼつかないからである。その配慮は実存的行為を現存在みずからの存立のための諸条件のもとに置こうとしたがる。しかし可能的実存にとっては、現存在のそのような無制約な利用と享受は既に没落である。なぜなら、可能的実存はそれみずからの現存在の現実を、みずからが無制約的なものとして把握されるところの条件のもとに置くからである。それに対して、無制約的な単なる現存在の意志は、それの現存在が徹底的な挫折の現実としてそれ自らに明らかになるとき、絶望せざるをえないのである。
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