2016.1.15 紫天の独唱によせて詠める歌一首。

エルサレム
鷹舞いあがる大空の群青の果て
我も行くなり。

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h.28.4.5

2016-04-05 20:04:38 | メモ
現存在の充実が世界存在である。可能的実存は、それみずからが現象する領域としての世界のうちにある。
知られたものとしての世界は疎遠なものである。私は世界に距離をもって立っている。悟性にとって知られうるものや経験的に学び知られうる物は、単にそのようなものとしては私を突き放す。つまり、それらのものは私にとって他者である。私はそれらに無関心であり、それらの現実的なものにおいては優勢な因果律にゆだねられ、妥当的なものにおいては論理的強制にゆだねられることになる。私はそれらのもののうちでは安全にされていない。なぜなら私はそこに私と親近なるものの言葉を聞かないからである。私がより決定的に世界を把握しようとすればするほど、他者として、ただそれだけのものとして何の慰めもない世界のなかで、私はますます故郷を喪失したように感ずるようになる。
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