慈悲深くもなく無慈悲でもなく無感動であり、法則性に隷属したり偶然性によろめいたりして、世界はそれみずからについては何も知らない。世界はとらえられない。けだし世界は非人格的に私にあい対し、部分的には説明されうるが全体としてはけっして了解されないものだからである。
それにもかかわらず、私は世界を別の仕方では知っている。そのときの世界は私に身近かであり、私はそのなかに住まっており、そこで安らってさえいる。その世界の法則性は私の理性の法則性である。すなわち私は私を世界に順応させ、私の道具を作り、世界を認識することによって安らっている。世界は私に語りかけ、世界のうちには、私の関与する一つの生命が息吹いている。私は世界に身をゆだね、世界のうちにいるときに全くくつろいでいる。世界はその小さなものや現前するものにおいて私にとって居心地のよいものであり、その巨大なものにおいて魅惑的であり、また身近なものにおいて無邪気なものであり、また遠方にあるものとしては私をそちらの方へと連れ去ってゆこうとする。世界は私の期待どうりの道を進まないが、しかし予想もしなかった実現や不可解な拒絶によって世界が私を驚かすときでさえも、私自身は没落のうちにありつつもなお世界に対する信頼を抱いている。
それにもかかわらず、私は世界を別の仕方では知っている。そのときの世界は私に身近かであり、私はそのなかに住まっており、そこで安らってさえいる。その世界の法則性は私の理性の法則性である。すなわち私は私を世界に順応させ、私の道具を作り、世界を認識することによって安らっている。世界は私に語りかけ、世界のうちには、私の関与する一つの生命が息吹いている。私は世界に身をゆだね、世界のうちにいるときに全くくつろいでいる。世界はその小さなものや現前するものにおいて私にとって居心地のよいものであり、その巨大なものにおいて魅惑的であり、また身近なものにおいて無邪気なものであり、また遠方にあるものとしては私をそちらの方へと連れ去ってゆこうとする。世界は私の期待どうりの道を進まないが、しかし予想もしなかった実現や不可解な拒絶によって世界が私を驚かすときでさえも、私自身は没落のうちにありつつもなお世界に対する信頼を抱いている。