言の葉ひらひら - Wordy Leaves Dancing

「はじめに言葉があった」
"In the beginning was the Word."

美術館の絵のような

2006-02-08 | 美の葉


今日はクラスのfield tripでシカゴ美術館に行ってきました。大学生の頃は、美術を副専攻していたのでよく行ったものですが、今回は結構久しぶりで違った気持ちでまた楽しめました。シカゴ美術館といえば、有名な画家の絵画が沢山ある贅沢なところ。印象派ではモネ、マネ、ピサロ、ルノアール、後期印象派ではセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、それからピカソ、ミロ、シャガール、ダリなど・・・ 大御所の絵画達は、何回見ても勉強になるし、その度に発見や感動があるものです。しかし、そのような「お偉い」作品とは別に、私を待っていてくれる、いわば友達のような別の意味で特別な絵があるのです。有名でもなく、売店で絵葉書としても置いていないような絵。そんな絵がいつ頃から気になるようになったのか定かではないのですが、そこに行く度に仲良くなるような感じで、今ではシカゴ美術館に行く度、一人でそっと挨拶しに行きます。今日は、何だか厳しく見透かれたような気がしたっけな・・・

ある時、べスパーでリーダーが「あなたにとってイエスとはどんな存在ですか?」と質問し、輪になった十数人のクリスチャンとシェアした事がありました。自分の体験を具体的に語る人あり、抽象的に自分にとってのイエスを表現する人もあり・・・ その中で今でも覚えている印象的な発言がありました。「僕にとってのイエスとは、ある美術館に行くと、なぜか必ず見に行く決まった絵のようなものだ。」それを聞いて、例の絵を思い出しました。描いた画家の名もいまだ知らず、ガイドブックにも載っていないあの絵が、私を呼ぶのは何故だろう・・・ 今日もその前に立ち、少し考えてみました。理屈ではわからない。でも、きっと私にとってのイエスも、それに似ているのかもしれない。私にとって彼は世界三大宗教の内のキリスト教の創始者イエスという「有名な作品」としてではなく、私の他の誰にも知られずそっと館内の隅に佇むもの、でもどうしてもそこに行かずにはおれない、そんな力を持つもののような気がします。