SAGAMIHARAの風1

日常生活をスケッチします。

H30年お墓事情(H30.7.22)

2018年07月22日 | 日記
 コンビニ数より多い日本のお寺だが日常に仏教思想などはほとんど感じられないが唯一葬式やお墓に関してはお寺に世話になっていた。ただし、最近では坊主のお経も有り難味を感じられず葬儀も身内のみ(家族葬)無宗教で行われるケースも増えてきた。 
 特に仏教の宗派によっては戒名に数十万否数百万円もかかると聞く。そして新規に墓を建立すると数十年前に数百万円は当たり前の世界でもあった。田舎から都会へ出てきてサラリーマンになった人間の夢は郊外の一戸建てと新規墓の建立とも言われた。そんな時代も過ぎ去り彼らがリタイヤする頃には少子高齢化が進み家族制度も崩壊しており、現在における墓の存在はむしろやっかいものとなっている。

我が実家の墓は上記のごとく田舎から出てきてサラリーマンになった農家の末っ子が所帯をもち家族が増えそれぞれ独立し始め本人もリタイヤする頃に大金をはたいて近くの寺の墓所を買い墓を建てた。それから30年、自分たち夫婦もこの墓に入り子供たちが墓の面倒をみるころに上記のごとく世の中は大きく変わり家族制度も崩壊ばかりでなくお寺、和尚、葬儀、墓の価値観も変化してきた。最近では個別の墓から集団の墓(供養塔)をつくり宗派に関係なく格安で受け入れたり、墓の所有者の継続には年齢制限を撤廃し、戒名も妥当な値段で引き受けて寺自体の経営も円滑にして存続を第一に考えているお寺も増えてきている。他方、利便性の高い場所に寺をもつ住職は従来と変わらずに高額な戒名と墓と墓石、継続者の年齢制限、毎年檀家への更なる要求、そして高額な離檀料の要求など20年前の価値観を今に持ち続けている寺もある。後者の寺が我が実家の寺事情であり現在、兄が施主であって60歳を過ぎた弟には継ぐ資格がないと言い放った和尚に対して何も抵抗できない状況である。

 このままでは兄や我々夫婦の葬儀や墓すらも上記和尚のいいなりになるばかりでなく実家の墓の存続もできないのだ。そこで新たに自分たちの墓を寺とは関係ない墓苑につくることを検討している。幸い、ワイフの実家の墓問題をお願いしている弁護士によると跡継ぎのいない墓に関しては法律上何も責任は生じないとのこと。後は心情問題のみ。

 最近の墓苑は近年の墓事情を考慮してか低価格でコンパクトな墓と管理が可能であり後継者がいなくなった場合には自動的に供養塔に移動するようで子や孫に対して負担させることがないようなシステム(当然、戒名、法会、離段料も任意)となっている。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする