万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

岸田政権の防衛費増額方針への懸念-通常兵器では勝てない

2022年08月15日 13時42分42秒 | 日本政治
 本日8月15日は、昭和天皇が玉音放送により連合国が発したポツダム宣言の受け入れを表明した日として人々の記憶に刻まれています。毎年、決まって青い空が広がる蒸し暑い日となるのですが、先の大戦において失われた尊い命への思いから、どこか厳粛な空気に覆われます。鎮魂と平和への祈りの日でもあるものの、今年は、例年といささか様子が違っているように思えます。ウクライナに続き台湾にあっても有事が絵空事ではなくなり、戦争というものが、再びリアルな情景として迫ってきているからです。

先日、岸田文雄首相も、今般の内閣改造にあたり、対中防衛力強化を目的とした防衛費増強の方針を重ねて強調していました。ペロシ米下院議長の訪台を機とした台湾海峡の緊張の高まりを受けた、国際情勢の変化への迅速なる対応として国民にアピールする狙いもあるのでしょう。あるいは、中国脅威論をもって故安部元首相の‘遺志’ともされる憲法改正への追い風としたい思惑もあるのかもしれません。同方針に異を唱えるマスメディアも殆どなく、あたかもシナリオ通りに既定路線を歩いているかのようです。

戦前であれば、政府やマスメディアによる煽りに乗せられて、国民の多くも‘時代の潮流’に抗うこともなく、突然に舞い込んできた‘開戦の報’に狂喜さえしたのでしょう。しかしながら、今日の日本国民の多くは、同大戦が残した歴史の教訓に学んでいますし、かつ、核時代を生きています。岸田政権が誘導する方向に国民が動くかどうかについては、すこぶる疑わしいのです。

そもそも、真珠湾攻撃という奇襲については、当時、イギリスがアメリカの参戦を渇望していた点を考慮しますと、‘嵌められた戦争’という見方も強ち否定はできません。また、国際社会全体が地政学的戦略思考という魔に取り憑かれていた時代でもあり、不要な戦争を、二項対立を経た世界支配の段階的プロセスにおける必然、あるいは、合理的な行為として遂行されていた側面もありました(ヘーゲル哲学の影響?)。戦後は、世界各地において植民地の独立もあり、民族自決(民主主義)、主権平等、内政不干渉等の原則に基づく現代国民国家体系が成立しましたが、戦後にあっても、しばしば世界支配の思惑がグローバルな経済利益と結びついて顔を見せるのです。そして、第三次世界大戦、並びに、核戦争のリスクが現実的な危機として認識される今日もまた、超国家権力体が描くシナリオが発動される危険な局面にあると言えましょう。

 それでは、日本国が得た歴史の教訓と核兵器の存在は、岸田政権の防衛力増強方針にどのような疑問を投げかけているのでしょうか。先ずもって、通常兵器の増強は、仮想敵国が軍事大国、かつ、核保有国である中国である以上、結局、財政上の無駄となるどころか自国に破滅的な被害を招きかねないのではないか、という重大な懸念があります。たとえ、中国が、核兵器の先制不使用の原則を堅持し、双方が通常兵器のみで戦う場合、戦場となるのは日本国となる公算は極めて高いと言わざるを得ません。台湾をめぐり米中開戦となった場合でも、中国は、米軍基地が置かれている日本国に対して攻撃を仕掛けるでしょうし、尖閣諸島に対する人民解放軍による直接的に軍事侵攻が発端となって日中戦争に至る場合にあっても、主たる攻撃の対象は日本国となりましょう。そして、先の戦争にあって、仮に原爆投下がなければ本土決戦となり、一億玉砕を覚悟しなければならなかったように、今日の対中戦争でも、通常兵器による攻撃は日本国を焼き尽くかもしれません。ロシアの軍事介入によって占領されているウクライナ東部は、主戦場となったために破壊し尽くされ、廃墟と化しているとも報じられています。

 また、本ブログで再三指摘しているように、一方が核保有国であり、かつ、もう一方が非核保有国である場合には、戦う前から戦争の結果は分かっています。核兵器の使用が勝敗の決定要因となる点も、第二次世界大戦の経験を得た教訓です。先の大戦では、日本国側が著しい劣勢にある状態での米軍による使用でしたが、日本国も、起死回生を期して原子爆弾の開発に取り組んでいました。核兵器を前にしては通常兵器における闘いは無に等しく、非核保有国にとりまして核の非対称性は越えることができない限界を意味するのです。

 もっとも、日本国は、日米同盟の下でアメリカから核の傘の提供を受けていますので、アメリカが日本国を見捨てない限り、上記の懸念は杞憂に過ぎないと言うことになります。しかしながら、自国が中国から核攻撃を受けるリスクを覚悟しつつ、日本国のために核のボタンを押すとは考えられず、上記の懸念は現実のものとなる可能性は決して低くはありません。アメリカが同盟国を信頼していれば、日本国が核を独自に保有することには抑止力を増強こそすれ何らの問題もなく、むしろ、肩の荷が降りるはずです(日米間にも核の相互抑止が働きますし、今日にあって、原爆投下の復讐のためにアメリカに対して核攻撃すべきと考える日本人は殆ど皆無では・・・)。

 合理性に徹して予測すれば、岸田政権による防衛力増強の具体的な内容には、核保有が含まれる必要がありましょう。通常兵器だけを増強しても、核という強力な後ろ盾がなければ、防衛力のみならず、抑止力としての効果も自ずと限られてしまいます。また、アメリカとの核シェアリングではなく、核の単独保有でなければ、核の非対称性に陥るリスクから逃れることができません。NPTにあっても合法的に脱退できますので、日本国は、独自に核武装をし得る状況下にあります。それにも拘わらず、岸田政権が、非核化の路線に固執し、核武装を政策オプションから外すのであれば、日本国民の多くが薄々気付いているように、岸田内閣が、超国家権力体の傀儡政権である可能性は俄然高まりましょう。先の戦争における悲劇を繰り返さないためには、国民こそ、“時代の潮流”なるものに迂闊に流されることなく、知恵を絞って罠から逃れる術を探るべきではないかと思うのです。そして、この問題は、‘世界大戦’並びに‘世界支配’と不可分に結びついているだけに、日本国のみの問題ではないのかもしれません。

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