万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ザッカーバーク氏はヒーローなのか?

2019年12月14日 14時52分22秒 | 国際政治
 IT大手の創業者たちは、マスメディアの宣伝効果もあって、デジタル時代の寵児として登場してきました。フォロワーの数も飛びぬけており、彼らが行く先々ではその姿を撮影しようとしてスマートフォンをかざす人々に取り囲まれます。あたかも、デジタル時代のヒーローのように…。

 マイクロソフト社のビル・ゲイツ氏や今は亡きアップル社のスティーブ・ジョブス氏などがその先駆けなのでしょうが、若くしてSNSに新しいタイプの交流サイトサービスを提供したフェイスブックのザッカーバーク氏などもその代表格と言えるかもしれません。中国でも、アリババの創始者のジャック・マー氏が颯爽と登場しています。こうしたIT大手の創業者たちは常に注目の的であり、その存在に憧れる子供達や若者も少なくないはずです。しかしながら、現代のITヒーローたちは、どこかで何かが欠けているように思えるのです。

 現代のITヒーローたちに欠けているもの、それは、端的に言えば、公的な責任感に基づく利他の精神ではないかと思うのです。古今東西を問わず、ヒーローと呼ばれる人々には、この両者が備わっていたように思えます。例えば、フィクションでありますが、英雄物語の典型的なパターンは、勇敢で正義感に満ちた青年が人々を苦しめる邪悪な存在に対して自らの命を賭して戦いを挑み、見事に打ち倒すと言うものです。結末は常にハッピーエンドであり、人々が悪から解放されるところでお話は終わります。現実の歴史にあっても、勇気を振り絞って悪しき統治者と闘った志士、あるいは、隣国からの攻撃から自国を護り抜いた護国の英雄たちには、自己犠牲をも厭わない他者に対する責任感が見受けられるのです。

 一方、現代のITヒーロー達には、そもそも護るべき対象が存在していません。彼等がユーザーに提供しているのは利便性というサービスに過ぎず、人々の生命や身体といった基本権や自由を護ることを仕事としているわけではないのです。むしろ実態は逆であり、例えば、フェイスブックは、ヘイトスピーチ等への対応を名目として、自ら運営している交流サイトに投稿されたユーザーの発言を私的に検閲する権利まで獲得しています。私的検閲要員として雇用されている従業員の数は相当数に上るとされ、日々、ユーザーたちの投稿内容を目を皿のようにしてチェックしているのです。その効果は、ITによって国民を完全監視下に置くことに成功した中国が既に証明しています。また、今日、IT大手によるデータの独占やそれに基づく‘囲い込み’が問題視されていますが、これらの行為も人々の自由な選択肢を拡げるというよりも、プラットフォームごとの‘経済圏’に分割され、狭める方向に働きかねないリスクがあるのです。つまり、ITヒーロー達は、一つ間違えますと、主役のヒーローどころか、古典的な英雄物語において倒されるべき存在として描かれてきた悪役を演じかねないのです。

 デヴュー当初はヒーローであったIT企業の創始者たちも、今では、様々な問題点が表出することでアンチ・ヒーローの立場に転じるリスクにさらされているのですが、こうした現状を打破する手段として、フェイスブックは、リブラ構想を打ち出したのかもしれません。銀行に口座を持てない途上国の人々にウォレットを提供し、低コストで国境を越えた送金を可能にするとして…(もっとも、真の目的は、グローバルな金融支配では…)。この目的は、確かに弱者救済となりますのでヒロイックなのですが、フェイスブックが本拠地を置くアメリカに対しては、FRBの通貨発行権を侵食しますし、リブラの信用低下によって金融危機を誘発すれば、アメリカ国民を含めた全世界の人々に禍をもたらすこととなりましょう。つまり、ここでも、ザッカーバーク氏は、‘リーマンショック’ならぬ‘リブラ・ショック’を招き、人々を苦しめる悪役に転じることとなるのです。本日も、フェイスブック社が従業員の給与データを紛失したとするニュースが報じられており、こうした杜撰なデータ管理体制からしますと、デジタル通貨の信用を維持するのもままならないことでしょう。

 今日、利益の最大化が目的とされてきた企業文化にも変化が生じ、社会や従業員に対する責任をも問われるようになってきています。周回遅れとされてきた日本の企業文化が、気がついてみればポスト・グローバリズムの最先端にあったことにもなるのですが(全く問題がないとは申しませんが…)、責任感と利他的な精神に欠けた企業家は、やはりヒーローにはなり得ないのではないかと思うのです。そして、こうした企業側の意識の変化が、グローバリストをして国家と国民の権利と自由に対して配慮する方向へと向かわせるならば、猛威を振るってきたグローバル原理主義を是正する転機となるのではないかと思うのです。

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