万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

’ガラパゴス’でも悪くないのでは?

2021年12月16日 13時59分19秒 | 国際経済

 グローバル化の時代にあって、日本経済が衰退した主たる原因の一つとしてしばしば指摘されているのが、’ガラパゴス化’です。このガラパゴス化という言葉、否定的なニュアンスを含むのですが、行き過ぎたグローバリズムを前にしますと、必ずしも悪いとは言い切れないように思えます。

 

ガラパゴス現象とは、『種の起源』の著者として知られるチャールズ・ダーウィンが、調査のためにガラパゴス諸島を訪れた際の観察に因んで命名されています。大陸から900㎞離れた東太平洋上にある同諸島は、他の種と隔絶されてきたため、独自の生態系を発展させていたからです。独自性は強いのですが、その分、外部からより凶暴で繁殖力のある生物が上陸すると、あっと言う間に淘汰されてしまう運命が待ち受けているのです。

 

もっとも、ガラパゴス化は、ガラパゴス諸島といった小さな孤島に限った現象ではなく、比較的大きな島嶼においても観察することができます。例えば、日本列島の生態系にあっても、アメリカ大陸からブラックバスやブルーギル等が上陸したことにより、日本古来の淡水魚が危機に瀕する事態となりました。琵琶湖では、アユ、ビワマス、ホンモロコ、ゲンゴロウブナ、ニゴロブナ、ビワヒガイ等の淡水魚がブラックバスの餌食となり、その生息数は激減してしまったそうです。外来種による従来種の駆逐の事例は枚挙に遑はなく、‘強者生存’も、生物界の宿命のようにも思えてきます(‘適者生存’では、環境に変化がない場合における、外来種が従来種を淘汰するケースについては説明できない…)。かくしてガラパゴス諸島での観察と未来予測はテクノロジー等にも応用され、孤立状態において進化してき技術や製品の生存危機を表す用語として広く使われるようになったのです。

 

しかしながら、生存競争に優る’強者’が、必ずしも’良いもの’とは限りません。巨大魚のブラックバスは、フィッシングを趣味とする人々にとりましてはエキサイティングな釣りを味わえる’良いもの’ではあっても、他の多くの人々は、鮎や本諸子、鱒に鮒といった従来種や固有種を愛でるのではないでしょうか。食材としておいしさのみならず、絵に描かれたり、詩歌に詠われたり、季語として使われるなど、日本の文化や日本の食生活に溶け込んできたのですから。海外から日本を訪れる人々も、外来種しか生息していない日本の湖水など、面白くも何ともないことでしょう。文化や生活の豊かさや奥行きの深さ、そして、人々の繊細な感覚を呼び起こし、感受性を育む環境は、強者が弱者を無慈悲に駆逐してしまう状況下においては成立し得ないのです。

 

外来種が生態系に与えるマイナス影響は、やがて人々に危機感を齎すこととなり、政府もまた、従来種や固有種の保護に取り組むと共に、外来種の規制に乗り出すに至ります。今日では、外来生物法が制定され、生態系に悪影響を与える外来種の飼育、運搬、売買、放流、そして輸入が禁じられたのです。このことは、野生生物であれ、完全に国境を越えた移動を自由化すれば、人為的な介入によってしか、生態系は保護され得ないことを示しています。否、生物の多様性の保護のためには、ガラパゴス状態を保つ方が望ましいと言えましょう。

 

以上に生態系におけるガラパゴス問題を見てきましたが、生物の世界と経済の世界とを同列に論じることはできませんが、今日の経済のグローバル化、あるいは、デジタル化の行く先には、どこを見回しても凶暴性と繁殖力のあるブラックバスやブルーギルしか生息しない世界が待っているような予感がします。そして、強者による独占や寡占化の末、もはや進化の余地のない行き詰まり、あるいは、人類文明が退化しまうようにも感じられるのです。こうした停滞した未来が予測し得るからこそ、敢えてガラパゴス化を目指すという方向性もあって然るべきように思えます。それは、真の意味での多様性の尊重であり、独自に発展した別系統のテクノロジーや知の系譜があればこそ、人類は、隘路から脱出、あるいは、これを事前に回避することができるかもしれないのですから。

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