万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ワクチン接種が問う全体と個人の問題 part2

2021年06月03日 12時24分45秒 | 社会

 戦争と感染症との間には、幾つかの相違点があります。第一に、戦争にあっては、敵は目に言えますが、ウイルスや細菌の人体への侵入によって引き起こされる感染症では、見えざる敵を相手に闘わなければなりません。つまり、後者では、敵は‘内部化’されるのです。このことは、敵を完全に排除しようとすれば、図らずも‘敵’になってしまった感染者、つまり、味方を対象としなければならないことを意味します。

 

 このことは、第二の違いを説明します。戦争にあっては、政府の行動は敵が存在する外側に向けて働きますが、感染症にあっては、政府の防御策は内側、即ち、国民に向かいます。しかも、その国民は、感染者と非感染者に分かれてしまうのです。この状況下で全体が個人に優先されるとすれば、それは、感染拡大を最小限に抑えるために感染者に対して実施される厳しい行動制限、あるいは、厳格な隔離です。感染された方々には申し訳がないのですが、それが強制であれ、要請であれ、感染者の基本的権利や自由は制約を受けてしまうのです。感染者に対する行動の制約については、それ程の異論はないのではないかと思います。

 

 それでは、感染者と非感染者が混在する状態にあって、政府は、非感染者、即ち、健康な国民に対して全体の優先を主張できるのでしょうか。戦時にあっては、戦場の兵士のみならず、非戦闘員である民間の国民に対しても、国家の防衛を理由に全体の優先が求められます。都市のロックダウンや緊急事態宣言の発令などの措置は、まさしく、感染症を誰もが感染者となり得る全体の危機と見なしたからに他なりません。そして、集団免疫の獲得を目指すワクチン接種の推進も、この見方の延長線上にあると言えましょう。

 

 確かに、天然痘ワクチンやBCGのようにワクチンの安全性がエビデンスを以って凡そ100%保障されているとすれば、全国民がワクチンを接種したとしても、個の犠牲の問題は生じません。全国民を対象とするワクチン接種は、戦時にあっては、核ミサイルを含む最新鋭のミサイルまでも確実に破壊するミサイル防衛システムのような役割を果たすからです。実際に、将来における生物化学兵器の使用に備え、国産ワクチンの開発を促す声も聞かれます。ワクチン接種によって平時に戻ることができるのですから、接種推進派のワクチンへの期待はこの側面から説明されます。

 

しかしながら、その一方で、ワクチンの安全性に疑義がある場合には、全体と個人との間の利益の比較考量の難しさはミサイル防衛システムの比ではありません。何故ならば、安全性が100%証明されていないワクチンを国民に接種させた場合、一つ間違えますと政府が自国民に対して生物兵器を使ってしまう結果を招きかねないからです。この重大なリスクにおいて、政府と国民との間には、全体の優先と個人の基本権とをめぐる深刻な摩擦が生じることとなります。ウイルスという’共通の敵’との闘いを根拠としてワクチン接種を進めている政府が、ワクチン警戒派から見ますと、国民の命を危険に晒す’国民の敵’に見えてしまうのですから。国民の基本権の保護は政府の基本的な役割の一つですので、警戒論者からしますと政府によるワクチン接種の推進は本末転倒であり、自国の政府が’敵なの’か’味方なの’かわからなくなるのです。少なくない国民が政府に対して疑心暗鬼となる状況は、一致団結が旨とされる戦時では殆どあり得ない事態です(ワクチン接種をめぐっては、政府と国民、並びに、国民間における警戒派と推進派との間での分裂が起きやすい…)。

 

人の基本的な権利とは天賦のものですので(自然権とも呼ばれる…)、ここに至って、国民の多くは、自らの命や身体に対する自己の権利に思い至ることとなりましょう。全体の個に対する優先は、’全体’の目的が「国民の安全や福利」にあることを前提としています。この点は、戦時の方がよりはっきりとしています。国民によってこの要件が欠けていると判断された場合、国民は、自らの自由な意思決定によって政府から自らの身を護ると共に、自らをその一員とする社会をも護らなければならなくなるのです。

 

日本国では新型コロナウイルス禍は他の諸国と比較して軽度であり、遺伝子ワクチンも安全性不明の治験段階にある中にあって、日本国政府が、国民に対して全体の優先を主張し得る程の正当、かつ、合理的な根拠を有しているとは思えません(政府の真の目的は、オリンピックの開催では…)。報道によりますと、政府は職場や大学等でのワクチンの集団接種を実施する方針のようですが、政府による企業に対する協力要請や社内における同調圧力の醸成、あるいは、非接種者に対する差別的な待遇は、上記の考察に照らしますと、国民の基本的な権利並びに自由の侵害ともなりましょう(憲法違反では…)。ワクチン接種とは、基本権の核心である命にも関わり、かつ、個々の身体に対して行われるものですので、今般のワクチン接種に関しては、やはり、個人の自己決定権が最優先されるべきではないかと思うのです。

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