万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国葬「黙祷」通達が語る河野デジタル相の実像

2022年09月29日 10時28分32秒 | 国際政治
河野太郎デジタル相は、政治家の人材不足が指摘される今日にあって、‘改革派の旗手’としてメディアが注目する政治家の一人です。その一方で、同大臣ほど、国民から不審の目で見られている政治家もいません。河野デジタル相をめぐっては、メディアと国民の評価が正反対なのです。数々の無責任発言や失言を重ね、国民からの信頼を再起不能なほどに失っても、何故か、メディアが何事もなかったかのように復活させてしまうのです。

かくして今日に至るまで、メディアは河野デジタル相を未来の首相候補として持ち上げ、デジタル化を大胆に進める改革者として祭り上げてきたのですが、先日の安部元首相の国葬は、同イメージとは逆に、同大臣が‘全体主義的思想’の持ち主であることを、改めて明らかにしてしまったように思えます。国葬前日の26日に開かれた閣議後のオンライン会見にて「民間人材を含むデジタル庁職員約750人に黙とうするよう求める通知を出した」というのですから。

第1に、河野デジタル相の通達は、日本国政府の方針に反しています。同政府は、内面の自由の侵害、即ち、違憲となる可能性を考慮してか、国民に対する弔意の強制は見送っているからです。つまり、河野デジタル相は内閣の方針に従わず、自らの職権をもって弔意強要へと一歩踏み出したことになるのです。このスタンドプレー、‘一人の改革者による、勇気ある内部改革’という美名で済まされるものではないように思えます。否、むしろ、逆に、多くの国民は、同デジタル相による独裁的で恣意的な職権行使や権力濫用と受け取ることでしょう。

第2に、「通達」という手法にも問題があります。日本国では、法令に基づかずに省庁が「通達」等をもって自らの管掌下にある事業者等に対して指導を行なう「行政指導」が頻繁に行なわれてきたため、法律に根拠を有する法治行政への転換が強く求められるに至った歴史があります。こうした経緯に照らしますと、今般の手法は、行政指導の時代への逆戻りとも言えましょう。同デジタル相は、今後、他省庁に勧告を出す権限、即ち、「勧告権」を積極的に活用してゆくと発言しておりますが、先が思いやられます。

第3に、同通達には、黙祷という心に関わる行為の要請だけに、否が応でも国民の内面に踏み込みます。憲法では内面の自由が保障されているため、河野デジタル相は、‘黙祷せよ’ではなく、強制力も罰則も伴わない‘黙祷するように求める’という‘お願い’の表現としたのでしょう。しかしながら、通達での要請に対して、どれだけの職員がこれを拒否、あるいは、無視できるのでしょうか。大臣からの通達となれば、職場全体に強い同調圧力がかかりますし、同僚の皆が黙祷している中で、一人だけ仕事を続けることは難しいはずです。しかも、厳密に言えば、安部元首相は、国会議員の一人ではあっても、デジタル庁との間には公的な関係はありません(元首相であれ、私人に対する国葬の実施そのものにも疑問が・・・)。民間人のみならず、公務員であるデジタル庁の職員に対しても黙祷を求めることに疑義が呈されてもおかしくはないのです。ここに、政治における官民あるいは公私の区別の曖昧性という全体主義的な要素が見えるのです。

第4に、内面の自由に関連して指摘し得るのが、デジタルというテクノロジーに対する河野デジタル相の意識です。メディア等が描くデジタル社会とは、人々がITやAIといった先端技術を使いこなすことで、自らの物理的な限界をも超えて自由な空間を享受する未来像です。メタバースが提供する仮想空間であれば、一人で部屋に閉じこもっていても全世界を周遊できますし、宇宙旅行も‘実体験’できます。このため、デジタル化=自由化と見なされがちですが、今般の通達は、同デジタル相が人々の内面を拘束することに対して全く躊躇していないことを示しています(逆から見れば、メタバースも、人々を狭い部屋に閉じ込めてしまうことに・・・)。この態度は、ITやAIの隠された目的が、全人類の管理であるとする説を裏付けているとも言えましょう。理系頭脳を有するIT関連の人々は、文系の河野デジタル相とは逆に、何者・何事にも縛られることを嫌う‘真の自由人’が多いので、大臣との認識のギャップに驚いたかもしれません(もっとも、ビル・ゲイツ氏のように自己の自由のみを無限大に拡大しようとする‘自由人’もおりますが・・・)。

河野デジタル相の実像とは、親全体主義であり、かつ、権力の濫用をも厭わない強権的な政治家であるとしますと、メディアは、何故、日本国の民主主義や国民の自由に退行をもたらしかねない河野政権の誕生を後押ししているのでしょうか。この不可思議な現象につきましては、新興宗教団体をも傘下に納め、政治とメディアの両者を操ることができる世界権力の存在を抜きにして説明がつかないのかもしれません。河野デジタル相の黙祷通達は、迫り来るデジタル全体主義の危機を、図らずも日本国民に知らしめているように思えるのです。

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