万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”話し合い万能主義”の盲点

2015年11月13日 10時07分19秒 | 国際政治
中国軍艦、尖閣付近で反復航行=防衛省「特異な動き」と注視
 左翼系の政治家や思想家は、周辺諸国との間に緊張や対立が高まる度に、”話し合いで解決を”と主張し、自らを戦争に反対する平和主義者と見なして悦に入っています。対話や交渉による外交的な解決は誰にの耳にも心地よく響きますが、果たしてこの主張、正しいのでしょうか。

 短期的な視点からしますと、”話し合い”は、武力に拠らずに対立が解消されるのですから、確かに平和的手段の一つです。実際に、交渉の席で自らの主張をぶつけ合うことで妥協点を見出し、当事者双方が納得する形で問題が解決されることもありますので、”話し合い”は、全面的に否定されるべきものでもありません。しかしながら、”双方納得”ではなく、一方が、もう相手方に対して軍事的圧力や買収攻勢をかけるなど、合意内容を自国に有利に誘導する場合、あるいは、バーター取引の結果として違法行為が容認される場合には、長期的に問題を残すことになります。例えば、尖閣諸島問題では、中国の軍事力と巨大市場に配慮して、日本国は、中国側が主張する”棚上げ論”を認めるべき、との意見があります。また、南シナ海問題でも、親中のスタンスの識者からは、米中は、サイバー問題と海洋法違反問題のバーターで手を打つのではないかとする憶測があります。前者の事例では、中国の根拠のない不当な要求に日本国が屈することを意味しますし、後者の事例では、どちらも犯罪である”殺人と強盗のバーター取引”となり、何れも法秩序の崩壊を招くと共に、譲歩した側が不条理な状況を甘受せざるを得なくなります。そして、特に重要な点は、合意内容を不満とし、公平・公正な法秩序の構築をめざず、あるいは、不条理に抵抗しようとした側が、そのための具体的な行動を採った場合、相手国は、それを合意違反と見なし、自らの武力行使を正当化する可能性があることです。つまり、長期的には、安易な合意は、暴力主義、あるいは、無法国家の側が、さらに暴力を重ね得る状況をもたらすのです。

 合意が成立する時点、即ち、第一ステージだけを取り上げますと、話し合い路線は平和的であり、武力の行使は回避されます。しかしながら、その合意内容に一方的な権利侵害の容認といった不公平、不平等、不条理…が含まれている場合には、第二ステージとして、武力行使が待ち受けているかもしれません。この場合、不当に自らに有利な合意を勝ち取った側にも相手側の合意不履行という口実を与えるのですから、”話し合い路線”を平和主義と同一視してはならないと思うのです。

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コメント (2)
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