水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

吉野 千本桜④ ≪上千本1-喜蔵院・櫻本坊・竹林院≫

2018-04-20 | ├ 奈良(ひとり旅)

 

吉野つづき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井光神社八幡宮

御祭神:井光神(井氷鹿神)

 

 

国津神の「井氷鹿(井光)」は吉野首(よしののおびと)の祖で、
神武天皇の東征に際し井中より出て迎え、
東征の先導役となったとされます。

簡単に言えば、侵攻に屈して帰順した先住の長です。

 

 

帰順せず戦った長脛彦や、土蜘蛛・国栖・鬼だのと称された各地の長たちと違い、
従い貢献すればこうして神として祀ってもらえる。
その子孫や民たちも、命を繋いでいける。

土地と民を守り、戦って滅んでいった者たちとの差を思うと、
何とも複雑な気持になりますが、
帰順した長もまた、土地・民を思ってこその従属なんでしょう。

 

 

他を制した者も、いずれ別の者から滅ぼされる。
勝者もいつか敗者となる。

人の歴史はその繰り返しで、双方それぞれに大義名分があるから、
どの時点で切り取るかによって見方は全然違ってくる。

だから、
天津神に制された国津神は、その時点では被害者だけれど、
もっと遡れば、さらに先住の別系統の国津神を制した加害者かもしれない。

天津神も、後世、別系統の天津神に滅ぼされるかもしれない。

 

そう考えると、国津神だから、天津神だからと、
一概に言えないんだよなあ・・。

なんて、つい思ってしまうのでした。

 

 

 

喜蔵院

 

 

 

 

大峯山護持院の一つで、平安時代に京都の聖護院の一院として創建されました。

宿坊も営んでいます。

 

 

 

繊細な彫り物が素晴らしい

こういうの見ると、また彫ってみたいなあと思っちゃう。

楽しいんだよね。木彫って。

 

 

 

櫻本坊(さくらもとぼう)

 

 

本堂

 

 

こちらも大峯山護持院の一つ。

天武天皇により建立されたと伝わる、
天武・持統帝の勅願寺です。

 

 

 

伝承によると、
天武天皇が夢に現れた桜の木を見つけ、
その場所に
道場を建立したのが始まりなのだそう。

 

 

また、1594年に催された秀吉の花見の際は、
秀次の宿坊になりました。

 

 

 

鮮やかなピンクがとても美しい、しだれ桜。

みなさん夢中でカメラを向けていました。

 

 

年齢国籍問わず、女子はきれいな花々にテンション上がるもんなんです。

かわいいもの、美しいものが大好き。

 

(私は建築物でテンションMAXですけど(笑))

 

 

竹林院

 

 

 

聖徳太子の創建と伝わる寺院で、宿坊としても有名なのだそう。

 

 

 

大和三庭園の一つとされる庭園の群芳園は、
千利休の作、細川幽斎の改修と伝わります。

こちらも、観覧は次回のお楽しみにとっておきます。

 

 

 

 

なお、
東南院~勝手神社
~井光神社八幡宮~櫻本坊・竹林院は、
それぞれ200メートル間隔ぐらいで並んでいます。

 

 

 

 

では、さらに上へと向かって歩きます。

 

 

これ一瞬梅に見えたけど、桜なんですね。

 

 

真っ白な桜。きれいだなあ。

桜というと、ソメイヨシノぐらいしか浮かびませんが、
吉野山では色んな桜に出会えるので楽しいです。

 

 

 

 

あ。かわいい看板ワンコだ。

 

 

人慣れしていて、とても大人しい。

撮影に付き合ってくれてありがとね。

 

 

その④へつづく・・。

 

 

 


この記事についてブログを書く
« 吉野 千本桜③ ≪中千本-金峯... | トップ | 吉野 千本桜⑤ ≪上千本2-雨... »
最新の画像もっと見る