水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

蒲郡③ 清田の大樟 <愛知県蒲郡市清田町下新屋>

2018-03-29 | ├ 愛知(ひとり旅)

 

蒲郡ラストは、「清田の大樟(せいだのおおくす)」です。

 

 

 

 

 

 

さて、先ほどの水竹神社から徒歩10分弱の所にある大クスを目指します。

 

 

穏やかな景色を眺めつつ歩いていると、
気持もほっと暖かくなり、1月の寒さも幾分和らぐ気がします。

 

 

 

蒲郡と言えば、これ!

 

 

蒲郡みかん。

 

 

みかんの産地と言えば、和歌山・愛媛・静岡あたりが浮かびますが、
愛知県人にとってやはり馴染みが深いのは、
この蒲郡みかんじゃないでしょうか。

 

 

子供のころは、いつもコタツでみかんをバカ食いしていて、
「食べ過ぎると手が黄色くなるよ」
なんて親によく言われたものです。

 

色鮮やかなみかん畑を眺めながら小道を進むと・・

 

 

清田の大樟、登場。

 

 

まずはそのお姿に圧倒されます。

想像以上の立派さに、
しばし言葉を失う。

 

 

 

ぐるっと一周。

どこから見ても絵になるなあ。

 

 

 

今にも動き出しそう。

 

 

枝なのか幹なのか、もうよくわからない。(笑)

自重を支えきれず、
あちこちに補強がしてあります。

 

 

 

この大樟は国の天然記念物で、
樹高22m、根回り13.6m、幹回り14.3m。

愛知県下では最大のクスノキです。

 

 

樹齢は推定1,000年以上。

 

 

源義家が奥州の反乱平定に出陣する際に植えたという
伝説があるのだそうです。

 

 

うーん、このプリプリおしり。

名古屋市内の村上社をはじめ、
こんな風にどっしり膨らんだ根元になってるクスノキをよく見かけますが、
ほんと、なんでこんな形になるんでしょうねー。

 

 

あ、モンスターズインクにこんなの出て来なかったっけ?

メガネのおばさま。

 

 

 

来訪時は、1月初めの凍えそうなほど寒い日でした。

でもこの巨樹を前にして、
そんなこと忘れるくらいテンション上がってたんで、
北風吹く中、1時間程この場に留まってました。

 

 

もうね、ずーっと眺めていたかったのよ。

 

 

 

みかん畑を見下ろしながら、ひっそりと佇む大クス。

 

 

明治初期までは、清田一帯にはクスノキが生い茂っていて、
このような大クスが何本もあったんだそうです。

しかし、開発による伐採で次第に姿を消していき、
最後に残ったのがこの大クスなんだとか。

 

 

この巨樹は、長い長い時間の中、
様々なものを見てきたんですね。

 

 

 

巨木や大岩には、もれなく注連縄や祠が存在しますが、
こちらも同様です。

 

 

 

古木や磐座なんかを目の前にすると、
思わず手を合わせちゃうって人が多いと思うけど、
それって、古来からある自然崇拝の形ですよね。

 

 

自然物に宿る精霊を崇拝する、「精霊崇拝(アニミズム)」とは少し違って、
自然物・自然現象そのものを神格化し、崇拝する、「自然崇拝」。

 

 

日本人の中に、
いにしえから脈々と受け継がれている自然崇拝と祖霊信仰。

自然や自然現象への尊敬、畏怖の気持は、
日頃あまり意識しないだけで、ちゃんと心の奥底には残っている。

だから、ふと手を合わせたくなる。

 

 

「神が降臨するもの(=依代)」として、
あるいは「神そのもの」として認識されている、
注連縄が張られた御神木や磐座。

私はそれらに対して、
「神」という意識を持ったことがありません。

そこに神が宿るとか、神であるとか言うよりは、
「生きている木」「意思のある岩」という風に、
自然物そのものとしての生命力を感じるのです。

 

 

木や磐の中に神がいるとか、
木や磐が神だとか、
そういうんじゃなくて。

木は木として、磐は磐として、生きている。

私という空っぽの入れ物の中に、精霊が宿ってるわけじゃなく、
私は私そのもので生きている。

それと同じ。

だから、万物に神が宿るという自然崇拝とは
またちょっと違うのかな。

 

人間も動物も虫も植物も、みんなおなじ、生き物。

そして、生命活動をしていない石でさえも、
生命力を感じます。

 

 

だから、同じ生きている者同士、
語りたくて手を合わせる。

樹齢が数百、数千年なんて言ったら、
ものすごーい大先輩だけど、
生き物としては、同じ仲間だと思っている。

 

 

森羅万象に神が宿る
というよりは、
すべてのものに命と意識が宿っている。

そう感じます。

私にとって神は、それらとはまた別の存在です。

 

 

あえて言うなら、仏像なんかは、
「何かが宿っているもの」として見てるかな。

偶像崇拝派じゃないので、仏像にはそれほど惹かれませんが、
仏像や観音像が、すなわち仏そのものだとは思えなくて、
それこそ「依代」的な。
生命は感じないけど、何かが入ってる。

そんな気がします。

 

 

 

 

さて、さすがに寒さで手がかじかんで来たので、
そろそろ場所を移し、岡崎へ。

蒲郡駅まで戻ります。(ここから歩いて30分弱。)

 

 

 

 

 

大クスさん、またね。

 

 

 

最後に、
蒲郡駅までの道中にも、印象的な木に出会いました。

 

 

今度は気候のいい時期にお邪魔しますね~

 


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