日本史学習拾遺

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震災で石垣が崩壊 白河小峰城の今

2015-01-18 21:41:36 | 日記
昨日今日はセンター試験でしたが、私の定時制高校では今年は誰も受験しないので、別世界の出来事のようです。教員になって初めての気分です。過去のセンター試験に関する記事へのアクセスがちょっと増えていたようですが、今年については予想も分析もできずすみません。これで二日目も終了、お疲れさまでした。

さて、私は、先週の3連休は大学通信教育のスクーリングで奈良に行っており、今日も、科目修得試験を受けに行くなど、年明けから自分の勉強で全く余裕がありませんでしたが、世の受験生と一緒に、試験を終えて、今やっと、解放感に浸っているところです。
このブログも少し書いていかないと、いろいろたまっております。

今日は、お正月に実家に帰った時の画像を中心に紹介します。
実家は、福島県白河市です。福島県の南端、栃木県那須町と県境をはさんで接しています。福島県は、先の震災以来、地震速報などでもおなじみになったかと思いますが、原発のある海沿いの地域を浜通り、新幹線が走っている県の中央部を中通り、そして西側の地域を会津地方といいます。白河は中通りです。
白河は、東日本大震災での被害は、浜通りや、中通りでも北部の福島市などに比べれば深刻なものではありませんでした。
しかし、震災後、原発からの距離が遠いわりに、放射線量がやや高めに出ました。中通りの福島市、郡山市、そして白河市と、北の方から風に乗って流れてきたようです。

白河において、震災の被害で衝撃的だったのは、お城の石垣が崩壊したことです。寛政の改革も行った松平定信も治めていた白河藩11万石のお城・小峰城は、日本百名城にも数えられている、石垣の美しい城跡です。
その、白河市のシンボルともいえるお城の石垣が、震災によって、見るも無残に崩壊したのです。
あまりにひどいので、二度と元のようには復旧できないのではないかと呆然としたものです。
白河の被害の中では、このお城の光景が、私にとって一番のショックでした。



これは2011年4月の画像。

復旧工事をするとはいうものの、3年経っても進展している様子がなかったのですが、このお正月に見たら、ちょっと進んだかな・・・?という雰囲気が。



石垣の石の色がところどころ白っぽくなっていて、新しい石を入れて復元したのでしょうか。そして、「クモの巣貼り」と言ったか、ちょっと違う言い方が正しいのかもしれませんが、クモの巣のように同心円状に美しく石を積んだ、このお城の特徴的な場所も、写真で見るとちゃんと復元されているようで、ああ、よく復元したなあ・・・と、しみじみ見入りました。



↑クモの巣状の石積みの部分がわかりますか?











まだまだの所もありますね。
しかし、全体として、復旧に向けて少しずつでも前に進んでいるようです。

ところで「ふるさと納税」を私もやってみました。まずは地元からということで。白河市は「ふるさとしらかわガンバレ寄附金」というらしいです。寄付の目的を選べるので、「小峰城復元支援事業」のために、という目的で寄付しました

このふるさと納税制度でその地域の特産品がもらえるというので、その特典をめあてに特定の自治体に寄付が集中しているようですね。日本には寄付文化があまりないということで、その定着のために一役買っているようですが、あまり特典という見返りを求めすぎてはいけませんよね。

白河の場合は、地元のお米とか、白河だるまのストラップとか、南湖のそばにある翠楽苑の招待券とか、でした。ありがたくいただきました。市長さんの直筆署名入りお手紙も入っていました。

まずは地元に、ということで、次は、奈良県桜井市に・・・と考えています。イベントで振込用紙をもらったというのもありますし、何しろ、あの箸墓古墳、纏向遺跡をはじめとして、多くの遺跡がある桜井市には、発掘事業をどんどん進めていただきたいですから、そのささやかな支援になればと・・・三輪そうめんもいただけるみたいですから(笑)

今日はこのへんで。

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