九里 【九里】を探して三千里

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和邇氏(丸邇氏)の伝承(5)丸邇氏と海部氏との関係 その1.

2018-11-03 | 古代 和邇氏

「践祚大嘗祭と古事記」坂橋隆司著 大塚書店
第五節 天語歌―― 春日の袁杼比売を通して――

春日丸邇(わに)の佐都紀臣(さつき)の娘の袁杼比売(おどひめ)は雄略天皇の妃となられた方である。

~~~*~~~
まず、この天語歌のわかりやすく訳されたページを見つけたので、ご紹介したい。http://isuzujinja.blog103.fc2.com/blog-entry-2012.html?sp

また「雄略天皇」が
丸邇の佐都紀氏の娘で
「オドヒメ(袁杼比賣…おどひめ)」を妻にしようと
春日にお出ましになったとき
その途中で「オドヒメ」に会いましたが
「オドヒメ」は恥ずかしがって岡に逃げて隠れました。

そのときに「雄略天皇」が読んだその歌は
「『オドヒメ』が隠れた岡を
金の鋤を持ってきて見つけるまで掘り返してみようか」

その歌を読んだ場所を「金鋤の岡」といいます。

また「雄略天皇」は長谷にいる頃
たくさんの枝が茂る欅の木の下で宴会をしているとき
伊勢の国の三重から仕えていた釆女(うねめ)が
「雄略天皇」に大きなお盃を差し出しました。

そのとき、たくさんの枝が茂る欅の木から葉が落ちてきて
その盃に入ってしまいましたが
釆女は葉が落ちて盃に浮いていることに気付かず
そのまま「雄略天皇」に差し出してしまったため
「雄略天皇」は「無礼者!」と怒り
釆女を突き倒しその首に持っていた刀を突きつけ斬ろうとしたとき
釆女が「雄略天皇」に言いました。

釆女「どうぞ殺さないで下さい!
申し上げたいことがございます!」といって読んだ歌は
「『天皇』の坐す宮殿は朝日が輝き夕陽が照る美しい宮殿
竹の根のようにしっかり根付き木の根が這うように揺るぎなく
赤土を突いて杵で固めたように堅い堅い宮殿
檜で造った新嘗祭の御殿の側には
たくさんの枝が茂った欅の木が立ち
その上の枝は天を覆い
中の枝は東の国を覆い
下の枝は西の国を覆い
『天皇』の御代が益々栄えていくことを表しているようで
その繁った中から落ちてきた葉が盃に浮かぶ様は
この国の初め漂う海にコオロコオロと矛でかき混ぜて
国をお造りになった様子に似ていて恐れ多く
すべては『天皇』の栄える様子を表しているのです
このように申し上げます」

釆女はこの歌を読んだので罪を免れることが出来ました。

この時に正妻の「ワカクサ」が歌ったその歌は
「大和の国の高市の小高いところに建つ新嘗祭の御殿
その側に凛と立つのは葉の広い椿の木
その椿の葉のように広い心で輝きを広く与えてくれる
『天皇』さまに豊御酒をたてまつりたい
このように申し上げます」

そこで「雄略天皇」も歌を読みました。

雄略天皇「この宮殿に仕えているすべての者たちよ
ウズラのようにヒレを取りかけて右へ左へと駆け
セキレイのように尾が長いかのように俊敏に動き
スズメのようにみんな集まり仕事して
今日も酒に食事に準備して有り難いことだ」

これら3首の歌は天語歌といいます。

~~~*~~~
歌謡の最後に
「許登能 加多理碁登母 許袁波」という「はやしことば」が付いていることから、これらが天語歌とわかるのだそう。

坂橋氏はこのように繙いている。
『これらの歌は八千矛の神を祀る神社の神事歌謡としてうたわれていた歌だという事はわかるが、ただこれだけでは、誰が語り伝えたかはわからない。そこで歌謡を見て見ると、その中に「阿麻波世豆迦比」(天馳使)という語が語られている部分があることに気がづく。…この天馳使の「アマ」は、海部の「アマ」で、海馳使とした方がいいのではないかと思う。』

『その理由に『倭名類聚抄』郷名に、伊勢の国朝明の郡杖部の郷に、鉢世都加倍、安房の国長狭の郡丈部の郷に、波世豆売という郷があるが、これらの伊勢、安房は海部に関係のある土地柄で。その郷名は、その土地の「ハセツカイベ」の部民の名から出たと考えられるからである。…海民の一族で、古伝説を語り伝える職掌を持った家柄があったのではないかと思う。』

この「ハセツカイベ(ハセツカベ)」が気になったので、調べてみると宝賀寿男先生がお書きになっているページがあった。
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/siogama-j/siogamaj1.htm
そして、更にその続きと言っても過言ではないページも見つかった。
https://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513/32223518.html

塩竃神社史というものも見つかった。藤原実方につながっている。この人の妹は鈴木重実の室となっており、鈴木氏と、そして熊野と関係が深い。 (疑問もあると書かれているが。)

実方の男子:泰救 母は鈴木重豊の娘 
 男子:長快 熊野別当
 女子:少将内侍- 母は大中臣輔親の娘、白河院女房

https://books.google.co.jp/books?id=Ph8RuwuwLTkC&pg=PP1066&dq=%E5%B0%8F%E9%87%8E%E6%9C%9D%E8%87%A3%E6%9C%89%E5%AD%A3&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjbq4OBt7feAhUKE4gKHbswD3IQ6AEIKTAA#v=onepage&q=%E5%B0%8F%E9%87%8E%E6%9C%9D%E8%87%A3%E6%9C%89%E5%AD%A3&f=false

この海部と伝承、塩竃神社、熊野との関り・・・・を深めていくと、和邇・小野、とつながり、九里ともどこかで繋がっていると思うと、面白い。

壱岐・隠岐・対馬などに遺されている伝承・舞踏もこの海部のものなのではないだろうか?
…と思って調べたら、折口信夫氏が壱岐に調査で渡った際のことが書かれていて、失望したことを述べられている。
「雪の島」https://books.google.co.jp/books?id=7q_V02LpjhsC&pg=PT14&lpg=PT14&dq=%E5%A3%B1%E5%B2%90%E3%80%80%E6%B5%B7%E9%83%A8&source=bl&ots=I9vwhTcT9y&sig=wJMg8bBlrmd6dnGxfs4Qq0Zk2Ps&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjh2b_0wbfeAhUPdXAKHSqXAwAQ6AEwAnoECAgQAQ#v=onepage&q=%E5%A3%B1%E5%B2%90%E3%80%80%E6%B5%B7%E9%83%A8&f=false

折口氏の時代には、もうすでに残されていない海部の伝承(占い)だったようである。(占いをしてから船を出していた。)

熊野と房総との「食文化」につながりがあって、海で行き来していたか?と思ったのだが、
熊野と奥州とのつながりも思っていた以上にあることから、より北へと移動していたのかもしれない。

海で考えると、距離感がまた違っていて面白い!
「船」での移動なので、海の状態にもよるだろうが、時間も歩くよりはずっと速かったであろう。

https://www.cruiseplanet.co.jp/jap/jp_ps_170617.html


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いいですね。 (りひと)
2018-11-04 07:52:22
雄略さんは、歴史上面白い描かれ方をしていますよね。粗暴で荒いんですけどその割に素直で筋道が通った判断をしたりする。息子たちの役割を夢でみたりして適性も見抜いているようにも。
歴史の中でも特殊だけでいないといけない方だと認識しています。けど記事の中でもそこをうまくコントロールしているのが妃でありその素質に左右されるでしょうね。不思議な夫婦ですけどお互いの弱点や長所を理解してリスペクトしながら相乗効果できていたんでしょうね。

もちろんその姫のルーツもある程度は見えてきそうですね。なんせ機転をきかせて歌で対応するという文化を持った一族由来なのですから。時代は違いますけど天武系じゃないのは確かで天智系か額田部系なのは分かりますよね。鎌足も入れておきます。恋愛でもまた人を諭す時にも武力や権力で治めるのではなく機転と発想として人を持ち上げる才能や文化がないと出来ないはずです。

ハツセということばも最近よく出てくるワードですけど海部と字にする前のカイべという音三文字が大事そうですね。もちろん水上活動の関係もまるんですけど、飼うって言葉も意味合いからはありそうにも思います。動物育てられる気質もありそうですね。

欅は、そんな古くからの伝承の中にもあるんですね。びっくり。お水との関係も絶対ある木です。

姫の由来のオという音なんですけど、ヲじゃないかな?オとヲの違いでルーツも見えてくると思いますよ。

雄略さんも個人的には受け入れがたい方ではありますが、素直さとその方独自の信念をお持ちで話せば分かるって思って許容範囲内として調べております。ただこういう方は一代なんですよね。その方がいなくなると周りの方が勘違いしておかしくなってしまう。
息子二人の行く末も心配だったはずです、役割分担させたはずですから。

また兄は房総には祭神として各地にいらっしゃいます。もちろんその前に雄略さんは東北にも縁あったはずだと妄想してますよ。

個人的にはいい岩手盛岡福島、特に福島は山岳とか仏教伝来前の日本オリジナル仏教もあった可能性は感じます。地形的にも東北右側のが古い大陸みたいですよね。奈良時代辺りは山形の方左の方とは接点ありそうに思いますね。

そう思い出しました。鈴木氏ですけど葛西氏との接点が必ずあるようです。葛西氏は関東の謎なんんですけど鈴木を辿ると東北関東なら出てくるとは思います。雄略さんの頃が知りたいですね。

あと最近知ったのですけど、アナホ部という一族が下総辺りには奈良時代の戸籍でいたようなんです。漢字は孔王部と書くようです。聖徳太子のお母様あたりが同じ音関係してますよね。王の文字あり。厩戸王子のが皇子よりいいかな?

で多分皇子も王子の方の関係者で上に白の冠なしにこだわって探してます。関東だと王子、奈良だと王寺、大阪だと天王寺。岡山あたりももちろん関係すると思いますよ。美女と野獣的な契約だけじゃない信頼もあった提携結構。スサノオにも似てますね。静岡大仁も気になってます。修善寺近いですからね。温泉とお湯、お水の関わりがあるはずですので見つけ易いとは思います。

どうも牛にもなってますけど猪ではないかな?と。
個人的には奥様のご実家が知りたいです。
春日もキーワードですね。でその延長線上に関東神奈川辺りも関係してきての房総だと思います。

昨日は奈良の大和川あたりのお寺の丸瓦と同じ版の物が横須賀で出ているようですよ。
そうそう蓮華紋も神奈川の国分寺でみてきました。けやきもありました。そこはヒントだと思いますね。五弁が好みですけどその花弁に枚数やその他間図案によっては系統と時代も分かるようです。奈良では高市、薬水あたりが個人的に気になってる場所です。木の信仰と薬師的な伝承も奥様の方にはありそうに思います。

お酒に食物を浮かんだのも、深読みしたら9/9の重陽との関係もちょい思ってしまいますね。菊の上のお水。お水+植物!そんないい効果も知っていた一族でしょうね。9/9は九里の日ですからね〜!関係ないはずなしです。9978
返信する
私も重陽思い出していました! (kunorikunori)
2018-11-04 11:23:59
りひと様
私も、落ち葉の時期から…重陽‥が思い浮かんでいました。
そして、たくさんのヒント、ありがとうございます!
「ヲ」、たしかに。でもどのように区別をしていたのか、私にはいまだにわかりません。ヲカダ氏や、オキ氏。。。ヲキ氏もいます。
そういえば、ヰの使い方も。
そのあたり、不明確なままです。もしもご存知でしたら、教えてください‼
返信する
ふふふ、ちょい説明いないと。 (りひと)
2018-11-04 18:51:17
すみません。雄略と崇神は私の中で一緒なんですよ。で以前入れたコメントは崇神さんの伝説のものですよね。めんどくさくてすみません。

けど今系譜みてかなりありかも?って思いましたよ。

ヲは大彦命からの血筋のヲだと意識してます。
で崇神さんの奥様は大彦命系の女系でいい筋です。巫女気質ありです。なので垂仁さんから神社絡みも出てきますよね。で長男さんは房総へ。

で8代孝元天皇から9代開化さんになるのが不思議で10代崇神で奥様で調節していると思います。
つまり迦邇米雷さんの筋が本来の男系の直系でそこに女系の嫁に入ったのが崇神的な役割の一族。そんな悪い関係ではないはずで道主命系の筋の大事さも理解出来るはずですね。

そもそも歴史は人間が作ったものでオリジナルが変化してはいないはずなので実体験でその筋がどうなっているいるのか?見ていくと本来の事も見えてくるとは思います。

当麻蹴速と野見宿禰とか八幡神と応神天皇のあたりでの謎解きもここに関係するはずです。考古学で色々出てきたら面白いですよね。東北では武烈さんもいますよ、八幡と一緒に。これもセットです。栗原って場所ですしね、九里と八幡も今後関わってくると思います。

とにかく雄略のお話で崇神のお話をしてしまいすみません。今後正解なのか間違いなのか?そこも楽しみにしてくださいね。
逆にいうと、間の応神さんの時代を入れて分断させてるだけなのかも?応神さんの時代もどうも違うらしいですよね。そうか、崇神さんが応神さんかな?歴史の中では相当同じ人物を別人格として登場させているように思うのは私だけかな?

妄想ばっかりですみません。1255
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なるほど。 (kunorikunori)
2018-11-08 21:44:32
りひと様

「間の応神さんの時代を入れて分断させてるだけなのかも?」って、そういえば、何か浮いていますよね。
私には、勉強しないとわからない事ばかりですが、とりあえず、ヲは、大彦命からの血筋のヲ と覚えておこうと思います!
ありがとうございます。
返信する
途中で送っちゃった (りひと)
2018-11-09 00:17:10
多氏と大彦命はどっちが早いのか?確認したら神武さんですね。ヲと神武さんが関係するなら少し理解してみようかとは思います。

祖母は赤い初期尾張系(女継承)で父は白い和邇系。祖父はトミ系で両方に入ってる。で赤い初期尾張(男継承)はトミ系だと考えるといよいよ出揃うかもしれません。出雲系としたら青にしてもいいかな。三つ巴の勾玉三つくっ付けたけど久々つけてみようかな?尾張と和邇とトミは絶えずくっ付いていそうに思いますね。2075
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