九里 【九里】を探して三千里

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熱田神宮家 周辺のつながり

2020-10-17 | 雑記


https://reichsarchiv.jp/%E5%AE%B6%E7%B3%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E5%8D%83%E7%A7%8B%E6%B0%8F#noriyoriq

https://www.jstage.jst.go.jp/article/aichikenshikenkyu/22/0/22_48/_pdf


http://mfj.co.jp/hoshinoshinorekishi/
範信の兄範忠の娘は季範の養女となって足利義康(鳥羽院北面・左衛門尉、保元の乱後昇殿、従五位下、検非違使)に嫁ぎ、義兼(八条院蔵人)を産み、熱田大宮司家は後世の足利将軍家との血脈も繋ぐ事となった。

義兼は治承四年(1180年)、頼朝のもとに参じ、翌年北条時政の娘を妻室に迎えたことにより頼朝の義兄弟にもなり、ともに熱田大宮司家を出自とする母をもつことから、源氏嫡流、足利氏、大宮司家の関係は一層密接なものとなった。   

===*===
・・・とある。

系図でわかるように、熱田神宮家から星野氏・千秋氏が出ている。
そして熱田神宮家とは尾張氏とつながりのあった大江氏、中原氏、が繋がってくる。  
さらにまだ証拠はつかんでいないのだが、二宮の宮司であった良峯姓の原氏とのつながりがあるだろうと予測する。  

平貞能の家司的存在であったはずの原氏が、急に源頼朝のもとにはせ参じたわけには、この熱田神宮家とのつながりがあったから…と思われるのだ。

そして、良峯の原氏が、土岐氏にどのような形がわからないのだが、覆いかぶさられた感じがする。
高春ー高直…高国・高範となるのだが、
その高範とは、千秋高範だろうか?年代的に無理はないかもしれないカ?
熱田神宮家千秋氏の系図の中に高範がいて、1330年あたりの生まれかと思うのだ‥。ちょっとズレているかもしれない。
高範の娘が若狭守護 斯波義種室となっている。この斯波義種の妻は千秋高範の娘と、もう一人が土岐頼康の娘である。

原弥三郎高国…が原氏と土岐氏の中間に居る人物。なかなか情報は出てこない。



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