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中原氏を再考してみる。(3)

2019-03-05 | 中原氏バラバラ情報

自閑様が以前コピーをしてくださった箇所、昨日の日本の苗字七千傑さんの系図と比べると、「基広」の系が七千傑さんの方では消えている。
それだけではなく「貞清」以下が大きく違う。

という事は、問題を起こした基広の系を消しているのだと思う。

この基兼の父は基広であろうと思うのだが、(九条兼実に凶悪人と酷評されている基広。)
基広ー基兼ー基時…となるのでは。

もう一つの可能性は
基広ー基康…です。

…という事は、兄弟かもしれない。「基兼」「基康」

鹿ヶ谷事件で問題を起こした「中原基兼」。

三左衛門事件をおこした「中原政経」。(一条高能に仕えていた)

この二つの系のその後は消されているのではないだろうか。

どこか(伯耆?)に配流された後に源通親が没し、その後に許されたとも聞く。

しかし、情報が少ない。

~~~*~~~

もう一つ、中原氏関係で。


源氏の木曽冠者(かんじゃ)義仲は、帯刀(たてわき)先生(せんじょう)義賢(よしかた)の二男である。

義賢は去る久寿二年(一一五五年)八月、武蔵(むさし)国大倉館で、鎌倉の悪源太(あくげんた)義平(よしひら、義朝の長男)に討ち亡ぼされた。
 その時、義仲は三歳の幼児であった。乳母(うぼ)の夫である中三権守(ちゅうぞうごんのかみ)の中原兼遠(なかはらかねとお)がこれを抱いて、信濃(しなの)国の木曽に逃れ、義仲を育てた。

…という事は、義仲の乳夫母もこの武蔵国大倉館に住んでいたと思われるのだ。
中三兼遠なので、三男である。

日本の苗字七千傑の「中原氏」によると、兼経ー【兼頼と某と兼遠と兼之】兄弟の部分である。まず父兼経に関して調べてみよう。

兼経に関しては、但馬国城崎の人 中原兼経之此(筑摩県史)という。また、外記補任にも「中原兼茂」が「兼経」の事と思われるそうである。

また、なぜ木曽にいたのか…という事だが、大吉祖庄という庄園があり、そこの担当で宗像の大宮司家の庄司に抜擢されていたのが、「中原兼経」であったのだ。
そのことがあって、兼遠も木曽に逃げようと思ったに違いない!




兼経の担当していた但馬国城崎は治部大輔平行範の所領である。
行範の父は、平範家であり、その妻は藤原清隆の次女 (猫間中納言)である。
その清隆の息が「藤原光隆」であり、義仲に会いに行き、大変な目にあって帰ってきた人物である。

この平範家・行範とのつながりがなければ、「猫間中納言」とのつながりも生まれなかったであろうと思われる。

とはいえ、兼遠は、源義賢の息義仲の乳父母であった。
もう少し、掘り下げたい。



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2 コメント

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Unknown (りひと)
2019-03-05 22:19:48
いい感じ。
私の相性としても義仲のスジ好きなんですよね。為義は好きなんですけど義朝が苦手で頼朝もあまり好きでないんです。で最近の大河の平清盛も少し観ていて小日向さんの役?かと思って調べてみました。為義は小日向さんでしたね。その息子さんが記事に出ていた方ですかあ。サカの付く方が演じていたんですね。義仲はそう松平と縁があるのがまた木曽と縁がありまして、義仲関係の所にも以前行きましたね。で安倍晴明がまたいたんですけどそれがまた臭いというか厄介というか?苦手なんです。義仲のがいいです。という事で白峯神社に為義さんの絵がありそうなのも理解出来ますよ。あそこも近くに晴明いるんですよね。まあこの件は深く掘らずスルーして。

と考えると義仲は、中原の縁で信濃へ行ったという事になりそうですね。義賢が嵐山で五輪塔って私の父の探索のキーワードとまた合致しちゃいましたよ。それ以外も結構ありますよ。また、ウィキが正しいのか?分かりませんけど義賢の奥様で義仲のお母さんの名前が小枝御前?っていうのにピンときちゃうんですよね。大江は大枝とも考えられますので、怪しいですよ。中原っぽくも思いますし、関係はありそうですよね。義仲の仲も中原からの音の要素はありそうですよね。仲間の仲もかなり面白い展開になるかもしれませんね。
以前頼朝の頼って字をどんな字か確認した事あったんですけどあまりいい意味合いではないとの返事ありましたよ。でならば仲のが良いのでは?源氏はブームがありますよね、名付けでは。

源氏はややこしいので掘らないで置いておきイメージだけどの筋が好みかで考えてはずっときましたけど、なるほどと思う事ありましたし、関係者の関係の恩恵もある事も今までは面倒だと思っていましたけどむしろおかげでありがとうと感謝の念も持って接する事になりそうです。

因幡でいうと別件でも鳥取出てきましてね、黄檗宗のお寺が気になってます。元は禅宗だったようですし。家康の影もありそうですね、江戸時代の鳥取にも。またあちらにも東照宮が祀られているのも考えると薬師なり木の信仰もありそうですね。小枝もまたお花の名前も子供につけるってちょっと気になりますよね。

そうそう、松平さんのお寺で知ったのですけど法然は勢至丸だったんですね。

それと牛若丸だけじゃない阿野関係の若丸とかもこの前調べたんですけど現世でも若干お世話になっているのもありますね。常盤も怪しいですよね。渋谷には常盤松。まあ個人的な事ばかりなんですけど、まさか金王丸て中原かな?両方に絡んでいるのは中原の特徴かもしれませんね。
大枝と小枝! (kunorikunori)
2019-03-05 23:34:18
りひとさま

本当ですね。考えもしなかったです大枝と小枝!
きっと中原!すごく中原っぽいです。

いろいろ調べていたら、また三左衛門事件に。
何かしらありそうです。この周辺。
今、文覚を調べていて「六代」=平高清という人物も初めて知りました。
まだまだ知らない人が出てきます。

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