九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

昨日『中世初期歌人の研究』が届いた。

2018-11-25 | 日記

武士と思っていても、歌で繋がるご縁が広がっていたり、
武士と思っていても、宗教の世界の中で生きていたり、
場所も鎌倉で活躍していると思っていると、京であったりと、、

昨日までは宗教関係(日蓮)を調べていて、思わぬつながりに息をのんでいた私だったが、
今日はこの本を開いて、今度は歌がつなぐその広がりに、驚いている。

藤原秀能は「みずみずしい歌才」と著者である田渕句美子に評されている。

~~~*~~~

そして、そこに非常に重要なことも書かれていた。
以前登場していた波多野義職のことだ。

https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/%E7%BE%A9%E8%81%B7

秀能が義職男であるとは言い難い。
おそらく義職一族と秀宗一族とは何等かの関りを有している…という推論に留めたいと思う。
(田渕氏)

私はこのつながりに何等か引っ掛かりを感じたので、ちょっと書いてみよう。

もしも義職が実父であったら、波多野・荒木田氏とも近く、公暁の事件の際に自害したのも義職の息である義典である。秀能の実父が義職であるならば、兄弟である。
そして何よりなぜ「藤原」と名乗るようになったのかを考えるに「秀郷」の存在を無視できないと思う。

もう一つの私の仮想は、
実父は和田宗実で、養子として入った先が藤原秀郷流の波多野氏であり、義職とも同じ一族であったという事に落ち着きそうであるが、女性が間にいたのではないだろうか?婿養子として…

つまり宗実の妻が波多野氏などの藤原秀郷流なのではないだろうか?
そうすることで、藤原秀郷流波多野氏一族と同様に系図の中に書かれていたのではないだろうか。


和田義盛の妻は渡会氏の娘であり=横山氏の養女であった。
和田宗実の妻はもしかすると荒木田氏の娘であり=波多野氏の養女であった可能性もあると思う。

~~~*~~~

秀能は「ひでよし」と「ひでたう」とも読めるそうで、田渕氏は「ひでよし」ではないかという説である。



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6 コメント

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和歌の一族 (りひと)
2018-11-26 09:16:38
別件や人間ウォッチからも和歌に慣れている一族を探しています。いい視点だったらり、うまく感情の動きを笑いに変えたり出来る才能、これは環境も影響しそうに思います。こちらの記事の方、興味深いので時間が出来たら調べてみたい方になりそうです。

あと思っていたイメージでは京都の方と考えているんですけど、東京にも藤原秀郷の関係する場所にいっぱい出会うんですよね。実際にいらしたとは思いますがそれだけなのか?その地との関わりも色々と妄想しております。鎌足とケヤキを追ってますけど、今日もケヤキ発見してしまいました。神社は移転したけど地域の方の思いで小さな区画で維持されていますけど、その近くに明らかに木の保存のための不思議なスペースが。元は神社の敷地だったのでしょうからやたらに木はきれませんよね。どうもケヤキと港そしてそこに市場っていうのがイメージされてしまいます。
船をつなぎ留める木のイメージでそこが津(港)であり、そこに色々な地域の特産物が集まりそして市場というか物の移動が成り立つような場所があったんではないかな?と。

それにより自分の身体に良い物(薬)の情報も入ってくる。そこで縁が生まれて治るみたいな流れをイメージしています。なんか今日酉の市に行ったのでその交渉のようにお互いが会話を楽しみながら物と物を交換するような文化を持っていた可能性を感じています。3740、9412、7850

すでに送っていたら削除してくださいね。お伝えするだけで満足ですので。
そのイメージ、すばらしいですね。 (kunorikunori)
2018-11-26 10:48:38
りひと様

津(港)のイメージ、そして物と物を交換する際に生まれる会話を楽しみながら…中世の声が聞こえてきそうです。
デュジャヴという映画で、中世のさざめき、音楽が、リアルに立ち上ってくるような映画ですが、今そんな感じになりました。

それを感じ取れるりひと様、素晴らしいですね!
今、図書館で読みました。 (自閑)
2018-11-26 19:59:48
kunori様
今、ご紹介いただいた中世初期歌人の研究の一部を読みました。感謝申し上げます。
読んだと言っても、2時間で5冊同時に読んでいるので、その一部です。
後鳥羽院の隠岐の近習で、藤原清範の動向が分からず、迷っていた所です。該当箇所で新古今の謎が一つ解けそうです。
ただ、今は宮内卿に重点を置いているので、情報が有る場所が分かっただけでも嬉しくて、一人ビールで乾杯している所です。(流石に2時間で五冊は脳を休めないと。。。)
(^_^)/□☆□\(^_^)
実は私のブログは、素稿ですので、毎日以前投稿した内容を修正しているので、徐々に完成に近付けると言う手法です。
拙句
初雪やストーブ点けてビールのむ
(バラバラの季語ですが。又いつもの冬がやって来ましたね)
笑えるんですけど (りひと)
2018-11-27 09:17:52
現世でもまさにそこを感じました。
ちょうど和邇氏系の親戚と突然電話で一緒に歴史と地域散歩をしてきました。おまけに朝一、この神社行きたいと思ってうっかり数年前のチラシみてちょうど祭も終わった後で落胆。そしたらお片づけで1万出て来て、おまけに電話で動ける資金になってしまいました。カード使えないお店ほどいいお店ですので。

その中で行く前にキーワードが出て来て、その後そのキーワードが行ったお店で出て来てさらにお店の方と色々なお話をしながら単純な物の販売ではない会話のやり取りでさらにお互いのその時間にとてもいい効果があったように思う経験をしました。どうも今まで話していないところにその地への過去からの縁が案内する方より深いし長い年月あるのにびっくりでした。という事で父関係かとも思っていましたけど私自身にもワニさんの関係ありそうですよ。

ドイツに行くと買い物が時間かかっても楽しくてしょうがないと思っていて日本に帰ってくるとただ販売だけする販売員にがっかりした事あります。
会話を楽しまないんです。単純に物とお金を交換するだけ。ブランドなどでそもそも買うのを目的で行く今のスタイルで時間を効率良くとは思いますけどそれでその物への愛着が増えるのか?と思ったらそうではない。

ドイツでは販売員さんが何をお探しか?と一緒に一生懸命合う物を探してくれます。共同作業ですね、それも専門性のある知識とまたお客様の方の見極めで正直に教えてくれます。だからこそ自分だけでは見つけられないような物や初チャレンジの物も目から鱗状態でその一連の会話が思い出になります。なので物にも思い出が付加価値で付いてきます。

自分の思い通りの買い物をしたい人には面倒なのかもしれませんが、人の合わせたり現状を受け入れたりする能力はとってもその買い物で養われるんです。何より相手を受け入れる事が会話の数でだんだん仲良くなるのもあり自然に出来るようになる。自分が欲しいものと相手が持っている物との調整が出来るようになる。

ドイツでも接客の時間返せって人もいないし、今日はあまりいい買い物出来そうもないのでまたきますってはっきり言っても問題ないです。いい物がないって言えば仕方ないですしね。
高い物を押し付けてくるような感じがしたら遠慮なくあっ違うって逃げてもいいですしね。日本はそれが多いですので楽しめませんね。

酉の市とかも駆け引き、そう大阪の値切るのもケチとかではなく会話を楽しみながらやっていると思うと和歌の文化にも関係してきそうですね。

お金を手段としてただ買う事をしているとまずできない経験ですし、そういう事に慣れていないと出来ないでしょう。そもそも関係者でもそれが恥ずかしいとか嫌に思うタイプもいますので。

色々な民族との関わりのより養われる適性もありそうですね。5259
素稿として完成へ! (kunorikunori)
2018-11-27 12:06:59
自閑さま

私もその方法、トライしてみます。
バラバラで、いつまでたっても「まとめ」にならず、またまた「まとめ」のはずがあらぬ方向へ…

何とか今年をめどにまとめなくては!とは思っているのです。

もうこれ以上増やさず、深める…としたいです。
ドイツでのお買い物。 (kunorikunori)
2018-11-27 12:18:33
りひと様

なるほど。私は日本で「今日はあまりいい買い物出来そうもないのでまたきます。」って言いたい時が、、、でも言えずにこっそりと出てきたり。
「共同作業」で欲しいものを探し当てるのは、面白そうデスね。
私自身も、そういう楽しみ方を忘れていたなぁと思いました。

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