姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
「近江水茎岡山城」 吉田勝 著 日本古城友の会
昭和56年に発行されたこの小冊子に九里種信が土地を売った理由となるかな?と思えることが出ていた。
「明應五年(1493年)父員秀が江南守護職六角高頼の守護代伊庭貞隆と共に京極勢と坂田郡摺針峠で戦って討死した為、十八歳となっていた高雄は九里城へ帰って家督を襲いだが、同八年(1499年)伊庭氏の要請により九里城を離れて島郷の牧村に居館を設けて移った。」
但し、どの資料を基に書いたのかが不明である.
上記に紹介した文章は、昭和53年に書かれた「琵琶湖の浮城ー水茎岡山城攻防史」成澤邦正著の「年表」を基にしたのではないか…とも思う。
この二冊の本は、九里氏の明應期から九里三重郎が没するまでの全体像を見渡すために貴重な本である。
しかし、員秀は明應五年には討死していないのではないだろうか?
九里員秀 明應十年 六月に記載あり。↓
【忠富王記】
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100135539/viewer/49
九里員秀は忠富王記の明応七年・十年の記載に出てくる。
コマ19の九里四郎次郎
コマ36に明応10年が始まり、コマ49に九里員秀(六月)
その後七月からは舟木小次郎(小二郎)や、小二郎男が登場してくる。
今後は、員秀の名は見えなかった。見落としはあるかもしれない。。
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/2520405100/2520405100200010/azuchi/
右下にある四角をオレンジの帯に沿ってスライドさせてみてください!
古文書が~~♪ すごいと思う。
各博物館や図書館がこのようにスライド式を普及させると、古文書も楽しく学べるのでは?