In the Field/大和国中の大地からエッセイ

奈良に暮らす名もなき人間のつたないブログ

一般的には不吉な夢と言うらしい

2015年08月06日 | To die in vain

▼奈良は昨夜も熱帯夜となり、とにかく暑くて寝苦しかったです。もうすでに何日熱帯夜が続いてきたのか、また今晩から何日熱帯夜が続くのか、想像がつきません。

▼熱帯夜のような寝苦しい夜は、涼しい話題がいいのですが、涼しいを通り過ぎて、昨夜は不吉な夢を見ました。それは、私が癌になり、余命一年と言われて、治療(投薬)を受けているところでした。普通なら夢とは言え、死に至る可能性がある病となると人間慌てふためくのが普通だと思います。しかし、夢の中とは言え、私は比較的落ち着いて行動していて、自分自身を客観的に見ていました。

▼だからタイトルに、「一般的には」不吉な夢と言うらしいと表現いたしました。この夢でも、現実の世界でも私は全く悟りなんか開いていませんが、現実の世界では、私は慢性腎不全により人工透析を必要となってからもうすぐ丸10年になりますので、いつの間にか自分自身をある程度突き放して見られるようになったのかなあと勝手に解釈しています。

▼生も死も天の差配であると、そんな達観はできませんし、私が考える死生観もそんな何もかも自然に受け入れられるほどの度量は全くありません。誰だって死は避けたいです。しかし、死に固執することで、苦しみを持ち続けることになるのではないかとも思います。

▼夢は現実社会や現実の心理状態を投影すると言います。昨夜の夢で私はある程度でも客観的に自分自身を見られたのであれば、それでいいのではないかと思います。長く生きることだけが人生の成功、ひいては透析を長く続けることになるわけですが、「透析人生〇十年」と長さだけを競うだけが人生の成功ではないと改めて思いますし、要は人生も透析で繋いだ命も中身であり、時間をいかに使うかということが大事であることを改めて認識いたしました。