僕の写真展が逗子で開かれている。
人ごとのように書いてしまったが、「僕の」というよりは「じょじょさんの写真展」、といったほうがしっくりくるからかも知れない。
じょじょさんという女性は、90年代(だと思う)に海外青年協力隊として西アフリカのリベリアに赴任していた助産師だ。その後、旦那さんの仕事の関係もあって2年程おなじ西アフリカのコートジボアールで生活し、昨年の夏に日本に帰られた。
内戦後1年がたったリベリアを再び訪れるところだった2004年8月のある日、パリの空港で乗り継ぎの飛行機を待っていると、ふと僕の耳に日本語がはいってきた。アフリカ行きの飛行機を待つゲートで日本人と出会うことはほとんどない。子供連れの家族だったこともあって、めずらしくてちょっと声をかけてみた。それがじょじょさんの一家だった。
リベリアの取材が終わってから、コートジボアールのお宅で日本食を御馳走になったりしてお世話になった。その後はメールでお付き合いさせていただいているが、アフリカ、特に西アフリカにとても強い思い入れをもっている女性である。
そのじょじょさんが、企画してくれた僕の写真展が先週の木曜日から開かれている。
彼女の人徳で集まった友人、知人達からのサポートもあっただろうが、写真に関して全くの素人の彼女が、たった一人で企画からビラ配り、展示までをおこなってくれた。たびたび彼女のホームページで準備期間の近況を拝見させていただいていたが、その情熱にはなみなみならぬものがあり、だからついに開催にこぎつけたときはまさに「じょじょさんの写真展」というべきものになっていたのだ。
2年前に拙書「ぼくの見た戦争」が出版されたあとも、多くのボランティアの人々の手によって日本の各地で僕の写真展を開くことができた。なかにはじょじょさんのようにたった一人で企画し、開催してくれた場所もあった。
本のあとがきにも記したように、以前の僕には「自己満足」のために写真を撮っている、という気持ちが強かった。いまでもそういう気持ちがあることには変わりはないし、自己満足なくしては人の心も動かせないと思っている。しかし、激しい内戦を経験し、その後のリベリアの人々と接していくうちに、だんだんと別な感情も芽生えてきた。
撮る者には撮ることに対する責任がある。
僕の撮った写真を見た人達の気持ちを、結果として紛争地で苦しむ人々を助ける行動に結びつけること。。。そんな当たり前とでもいえる「撮る者の責任」が最近ようやく明白に見えるようになってきたような気がするのだ。新聞や雑誌の読者や、写真展に足を運んでくれた人々からの募金で、少数ではあるにせよリベリアの子供達の学費をまかなったり、家庭を助けることができるようになった。
写真を撮るときにはたった一人でも、どんな形であれそれが公の場に発表されるまでには多くの人々が関わることになる。じょじょさんをはじめ、こういった人達の尽力があるからこそ僕の写真の存在価値がでてくる、ともいえるのだ。
(写真展の詳細はじょじょさんのページへ)
http://plaza.rakuten.co.jp/shasintenseikou/
人ごとのように書いてしまったが、「僕の」というよりは「じょじょさんの写真展」、といったほうがしっくりくるからかも知れない。
じょじょさんという女性は、90年代(だと思う)に海外青年協力隊として西アフリカのリベリアに赴任していた助産師だ。その後、旦那さんの仕事の関係もあって2年程おなじ西アフリカのコートジボアールで生活し、昨年の夏に日本に帰られた。
内戦後1年がたったリベリアを再び訪れるところだった2004年8月のある日、パリの空港で乗り継ぎの飛行機を待っていると、ふと僕の耳に日本語がはいってきた。アフリカ行きの飛行機を待つゲートで日本人と出会うことはほとんどない。子供連れの家族だったこともあって、めずらしくてちょっと声をかけてみた。それがじょじょさんの一家だった。
リベリアの取材が終わってから、コートジボアールのお宅で日本食を御馳走になったりしてお世話になった。その後はメールでお付き合いさせていただいているが、アフリカ、特に西アフリカにとても強い思い入れをもっている女性である。
そのじょじょさんが、企画してくれた僕の写真展が先週の木曜日から開かれている。
彼女の人徳で集まった友人、知人達からのサポートもあっただろうが、写真に関して全くの素人の彼女が、たった一人で企画からビラ配り、展示までをおこなってくれた。たびたび彼女のホームページで準備期間の近況を拝見させていただいていたが、その情熱にはなみなみならぬものがあり、だからついに開催にこぎつけたときはまさに「じょじょさんの写真展」というべきものになっていたのだ。
2年前に拙書「ぼくの見た戦争」が出版されたあとも、多くのボランティアの人々の手によって日本の各地で僕の写真展を開くことができた。なかにはじょじょさんのようにたった一人で企画し、開催してくれた場所もあった。
本のあとがきにも記したように、以前の僕には「自己満足」のために写真を撮っている、という気持ちが強かった。いまでもそういう気持ちがあることには変わりはないし、自己満足なくしては人の心も動かせないと思っている。しかし、激しい内戦を経験し、その後のリベリアの人々と接していくうちに、だんだんと別な感情も芽生えてきた。
撮る者には撮ることに対する責任がある。
僕の撮った写真を見た人達の気持ちを、結果として紛争地で苦しむ人々を助ける行動に結びつけること。。。そんな当たり前とでもいえる「撮る者の責任」が最近ようやく明白に見えるようになってきたような気がするのだ。新聞や雑誌の読者や、写真展に足を運んでくれた人々からの募金で、少数ではあるにせよリベリアの子供達の学費をまかなったり、家庭を助けることができるようになった。
写真を撮るときにはたった一人でも、どんな形であれそれが公の場に発表されるまでには多くの人々が関わることになる。じょじょさんをはじめ、こういった人達の尽力があるからこそ僕の写真の存在価値がでてくる、ともいえるのだ。
(写真展の詳細はじょじょさんのページへ)
http://plaza.rakuten.co.jp/shasintenseikou/
写真展に行ってきました。
生の写真は写真集とは違う迫力を感じました。
これからも撮りつづけてください。
そして、微力ながらも応援させてくださいね。
準備期間中、チラシを持っていった先で「ああ、あなたは、この高橋さんのために写真展を開くんだ」といわれて、危うく理性が吹き飛びそうでした。
「助産婦としてリベリアにいて、当時の子ども達が少年兵になっていたかもしれないのです」
高橋さんの写真展ですが、その先にはいつもリベリアの子どもがありました。
私の協力隊の任期終了間際、リベリアの人たちに送別会をしてもらった時、「あなたたちを決して忘れない」と約束したことが、やっと少し果たせたような気がします。
何を書いても、私の本当の気持ちを表現できないのですが、高橋さんにはたくさん感謝しています。
私の写真展ではないです。
やはり、高橋さんの写真展であり、リベリアの写真展です。
よく人は生きているのではなく生かされているのだと言いますが、写真もアフリカの小物たちも、じょじょさんによって息をふきこまれることで、より生きていたような空間でした。
さすが助産師さんだけあって、みごとに命を産み出していました。
あったかかったヨ~、この写真展。初めから終わりまで。
特に中身が熱かった!沢山の人達のエネルギーが渦まいていて。
より多くの人達にメッセージを伝えるこういう機会をつくってもらえたこと、そしてこの写真展に注ぎ込んでくださったその情熱、感謝しています。