Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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事件報道の罪?

2008-02-16 12:41:38 | シカゴ
2週間前のシカゴ郊外でのショッピングモールでの事件に続き、無差別銃撃殺人がまたおこった。

今度はシカゴから車で1時間ほど西にあるノーザン・イリノイ大学の構内だ。5人の学生と犯人合わせて6人が命を失った。

1999年のコロンバイン高校での乱射にはじまり、昨年のバージニア工科大での事件を含め、学校内やショッピングセンターなど公の場での銃の乱射殺人が続発している。僕はシフトの関係で昨日の事件の取材にはいかなかったのだが、テレビで延々と流される生中継の映像をみながら、ふとこんなことを考えていた。

こんなに事件が起こるのは、メディア、すなわち報道機関にも責任があるのではないか。。。

たしかに5人も10人も犠牲者がでればそれなりの大事件ではある。しかしメディアが大々的に、そしてセンセーショナルにこういう事件を報道すればするほど、コピーキャット(模倣)事件がどんどん増えていくのではないかと感じるのだ。

事件がテレビや新聞で大きな脚光を浴びて、世間に与える影響が大きいほど犯人にしては願ったりの結果だろう。そしてそういうセンセーショナリズムは、それを見ている将来の犯人候補(?)をかえって勇気づけることになっていやしないだろうか?逆に考えて、仮にメディアがこういう事件をほとんど報道しないか、大袈裟に扱うことをしていなかったとしたら、果たして似たような事件がこれほどまでに続発していただろうか、と思うのだ。

こんなことを考えていたら、事件報道の目的とは一体なんなのかよくわからなくなってきた。

僕が考えるところのジャーナリズムの使命とは、現実を報道することによって、その状況改善を目的とすること、である。例えば戦争や貧困など、世間に知られざる現実を一般社会に伝えることにより、世論を動かし、そこから争いを食い止めたり、社会的弱者の生活状況の改善につなげていくことだ。

しかし、あらためて考えてみて、学校での乱射殺人のような事件の報道が一体何の役にたっているのか、はっきりとした答えが見出せない。逆に、前述したように、事件をセンセーショナルに報道することによって、将来起こりうる事件をかえって増やしているのではないか、とさえ思うのだ。まあそうは言ってもこんな仮定を証明することはできないし、これはあくまで僕の私見に過ぎないのだけれど。。。

仮に僕の考えが正しいとしても、現実的にメディアがこういう事件を無視したり黙殺したりすることは考えられないし、要はその報道の仕方に問題があるのだろうと思う。

まあいまの社会ではこんな提案は実現不可能であろうが、これから報道機関、特にテレビは、こういう事件がおこってもセンセーショナルに扱うことはせず、あくまで冷静に事実を最小限に述べるだけにとどめてみたらどうだろう。

もしメディアが、「自分たちが事件再発の一因を担っているのでは。。。」という認識と疑問をもち、報道姿勢をあらためるとしたら、将来の犯罪事情は変わっていくと思うのだけれど。。。