Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

ナリウッド

2005-11-14 17:27:20 | アフリカ
「ナリウッド」、なるものがある。

ハリウッド映画にちなんだインド映画の「ボリウッド」(ボンベイの「ボ」からとっている)同様、ナイジェリアでつくられる映画を「ナリウッド」映画とよぶらしい。

しかしその内容は、撮影技術、脚本などとてもハリウッド映画と比べられるような代物ではなく、ほとんどはテレビドラマに毛の生えたようなB級、いやC級映画だといっていい。

それでもこのナリウッド映画、娯楽の少ない庶民達にとって手軽に楽しめることから莫大な人気を誇っており、ナイジェリア国内のみならず、アフリカ大陸中(といっても主に英語圏)に広がっている。

製作ペースも異常な早さで進む。平均して2-3週間、早ければ1週間で一本の映画を撮影するという。大手から小規模なものまで制作会社も数知れず、毎週月曜日には街のショップには新作のDVDがずらりと並ぶことになる。

ラゴスの街中にあるイドゥモタ市場。食料品に雑貨や工具、ここにくれば生活に必要なものは何でも揃うと思われる巨大市場だが、ここにDVD小売り店のひしめく一角がある。それぞれの店に山のように積まれたDVDや、所狭しと貼付けられた映画のポスターが、ナリウッド人気を物語っているようだ。

このナリウッド映画、漁村の取材中にも何度か目にする機会があった。村の映画館(といっても掘建て小屋のなかにテレビが置いてあって、そこでDVDを上映するだけだが)や、訪れた家庭で大人から子供までみな夜になると映画を楽しんでいた。

ナリウッドの繁栄はナイジェリア経済にもおおいに貢献しているし、喜ばしいことだと思う。ひとつだけ気になったのが、映画の中にギャングものなどかなり暴力的なものが少なくなかったことだ。ドンパチものや殺人など、低級ハリウッド映画の影響がよくあらわれていて、こんなところにも、アメリカの暴力文化が浸透しているのだなあとすこし残念にも思った。

まあ所詮は娯楽映画のこと、そんな心配など単なる老婆心に過ぎないのだろうけど。。。



水道のない村

2005-11-12 00:23:38 | アフリカ
(写真)

ナイジェリアのデルタ地域。

イタック・アブシというこの漁村には、電気も水道もひかれていない。

村のほとんどの住人は、発電機を購入できるほど生活に余裕はないので、夜はランタンか蝋燭の光のみで過ごすことになる。

水についても、雨水と少しばかりの井戸水が生活用水の源だ。

炊事、洗濯、水浴びから飲料にいたるまで、ドラム缶に溜めた雨水をつかうことが多いが、地面の水溜まりから水を調達することも少なくない。
どんよりと濁ったその水は、どう見てもきれいだとは言いがたい。
しかし、こんな水をつかって料理もつくるのはもちろん、喉が渇けばみなそのままごくごくと飲んでしまう。
身体がなれてしまっているとはいえ、やはりこんな水を飲んでいれば病気になることもある。
この村では去年コレラと思われる病気で5人死んだという。

海を小舟で5分程わたった向こう岸には、エクソン・モービル(石油会社)のターミナルがある。夜になると、そこには煌々と明かりが灯り、まるで近代都市さながらの様相を呈する。

イタック・アブシの住人達が漁にでる海から石油を吸い上げ、石油会社は莫大な利益をあげている。

しかし、そこに長年住んでいる村の人々は何の恩恵ももたらされない。

イタック・アブシに、近い将来電気や水道がひかれる予定は、ない。





不漁の夕暮れ

2005-11-10 06:45:08 | アフリカ
ナイジェリアの取材がひとまず終わった。
次の取材先はアンゴラの予定であったのだが、海上石油設備を訪れるための許可が石油会社からまだおりていない。
このために予定を変更して、とりあえず中東にはいろうということでレポーターと計画を進めている。

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写真

ナイジェリア、デルタ地域。

2人の漁師の操る小舟にのって、大海原へと繰り出す。
1時間程沖へでた頃、少しずつ空が赤く染まってきた。
同じように沖へでてきた漁師の船が300メートル程先にみえた。
漁師は船首に立ち上がり、魚の姿に眼を凝らす。

「天気が良くない。。。」
僕をのせた漁師のジェリーは、様子を探りながら3時間程海上を漂ったあと、結局その日漁をあきらめた。
何度か網を仕掛けてテストしてみたが、ほとんど魚もかからないし、僕にはよくわからないが、どうも天候が良くないようだ。

船のモーターにかかったガソリン代およそ1000ナイラ(約700円)が赤字になった。

こういう日も珍しくはないという。 




ラゴスにて思う

2005-11-07 06:56:19 | アフリカ
村の取材を終えて、昨夜喧騒の街、ラゴスに戻ってきた。

といっても、僕らの宿泊しているゲストハウスはメインストリートからは奥まったところにあるので、都会の騒音からはすっかり切り離されている。僕はどちらかといえば賑やかなところが好みなので、逆に静かすぎて逆に落ち着かないほどでもある。

今日は、いままで時間がとれずにできなかった写真の整理にほとんど一日を費やした。

窓から賑やかな通りが見えるような部屋に滞在していたら、ついふらふらと表にでていきたくなっていただろうから、静かな環境にいてかえって良かったのかも知れない。食あたりになってから服用している抗生物質のために、まだビールも飲めないし、結局夜もホテルのレストランで簡単に済ませることにした。

いつものことながら、写真の整理をしていると、一枚一枚それを撮ったときのことが思い出される。

初めて漁師と夜間の漁に出かけ、船酔いでへろへろになったこと。乗っていた小舟の船底が水漏れしていて、カメラ片手に水かきを手伝ったこと。英語は喋れないが、ひょうきんに僕らを笑わせてくれた村の長老。そして大きくきらきらと輝く瞳をもった村の子供達。。。。

今回は色々な「初めて」の経験もさせてもらい、随分長いことこの国にいたような気もするが、実際には入国してから2週間も経っていない。

それにしても今回の取材はあまりにも駆け足で、ひとつの土地にとどまれたのがせいぜい3日。なんとか打ち解けてきた頃にはもうさよならといった具合で、とてもじっくり腰を据えて撮るということはできなかった。このプロジェクトのためにこれから訪れなくてはならない多くの国々と、限られたスケジュールのことを考えれば、これも仕方のないことなのだけれど。

僕の場合、滞在する国に関係なく、その土地の印象を決定するのはそこで関わりを持った人々との出会いだ。その関わりが長く、濃厚になればなるほど、との土地に対しての入れ込みも深くなるし、いざ別れの時にはつらくもなる。

そういう意味では、滞在も残り2日となったこのナイジェリアとの別れは、それほどつらいものにはならないだろう。

ただ、この国が、ぜひともまた戻ってきたい魅力に溢れる土地であるということを確かめるには十分であったとは思うけれど。。。


ようやく復活

2005-11-04 18:08:26 | アフリカ
丸一日無駄にしてしまった。

昨日は結局下痢がおさまらず、体力をすっかり消耗してしまったので、村までたどり着けずにやむなく近くの町で休むことに。

午後2時頃ホテルにチェックインして、そのあとは薬をのんでただひたすら横になって眠った。

朝になって大分気分も良くなり、身体に力もはいるようになったので、バナナとパパイヤ、それからオムレツを食べる。昨日は食べ物のにおいをかいだだけで吐き気を催すほどで、水以外何も口にできなかったから、だいぶ回復したようだ。

午後から再び村へ向かう。




ダニと食あたり

2005-11-03 17:47:22 | アフリカ
体中が痒い。。。ダニだかなにか知らないが、ベッドに潜む虫にしこたま食われたようだ。

また別の漁村で3日間を過ごしたあと、ポート・ハーコットに戻ってきた。今回訪れたのはブラスという土地だが、規模もかなり大きく、村というよりは町といった方がいいかも知れない。ゲストハウスも点在しており、僕らもそのひとつに宿泊しながら、一漁師の家族を取材した。

宿はいうまでもなく、設備などはほとんどない。かろうじて一日の半分くらい電気がとおるものの、水道はないのでバケツに溜めた雨水で身体を洗う。ベッドに敷かれたシーツもあまり洗濯することなどないのだろう、朝起きると背中や腕、足まで虫に刺されており(食われた?)、いまだに痒くて閉口している。

ブラスは、先週訪れたイタックアブシに比べると石油会社と住民の間の摩擦が顕在化しているようで、付近にターミナルをもつシェル石油に雇われた警備の船や警察の船がしきりに河を行き来していた。漁師に同行して漁にでかけたときも、警備船が近くをとおる度にカメラを隠さねばならなかった。付近を撮影しているところを見つかれば、拘束されないからだ。

この地域一帯では、石油会社による利益の搾取に業を煮やした地元の住民達が武力蜂起したり、訪れるジャーナリスト達によっても搾取の実態が報道されているので、石油会社はジャーナリストの訪問や写真撮影などには非常に過敏になっているのだ。

僕らは、小舟に乗って伝統的な仕掛け網漁をおこなう夫婦と彼らの子供5人の生活を取材してきた。

「スナップ・ミー、スナップミー(僕の写真とってよ)」
家族を訪れた当日、子供達に取り囲まれた。肌の色の違う外国人をみるとちょっとシャイになる子供達が多いなか、彼らはしつこい程に僕にまとわりついてくる。カメラを向けてシャッターを押し、スクリーンに映るデジタル画像をみせると大喜び。

どこの国を訪れても、無邪気な子供達と過ごす時間は心を和ませてくれる。

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疲れていたのか、昨夜はブログを書きながら相当眠くなってしまったので、そのままベッドにはいってしまった。

午前4時近く、吐き気と腹痛で眼がさめた。

そのあとはもう10分おきにトイレに駆け込む始末。。。ほとんど眠れなかった。食べ物には気をつけていたのだけれど、何が悪かったのだろう?昨夜飲んだラム酒の中に入っていた氷だろうか?ウェイターに、「この氷は大丈夫?」と確認したのだけれど、考えてみれば、こんなところでわざわざボトルウォーターから氷をつくるわけないよなあ。

あと2時間弱で、また漁村に向けて出発予定。これがナイジェリアでの最後の取材になるのだが、まだお腹がゴロゴロいっている。。。

闇の村と石油ターミナル

2005-10-30 18:43:25 | アフリカ
3日ぶりのシャワーと、腹一杯の食事。。。身体がリフレッシュされた。

ポート・ハーコートより車で2時間程南下し、さらに小舟で5分ほど海を渡った島にある漁村で3日間を過ごしたあと、昨夜町に戻ってきた。ホテルにチェックインし、海風と砂、それに汗でべとべとになった身体をきれいに洗い流してから、レストランで熱い魚のスープとライスをしこたま食べる。村では持参した缶詰とクラッカーばかりだったので、シンプルな料理だが腹にしみる。連日の睡眠不足と貧困な食事で疲労していたせいもあって、レストランでビールを一本飲んだだけで、もうぐったり身体が重くなってしまった。

電気も水道もとおっていないこのイタック・アブシという村は、産油地帯の真っただ中にありながら、その恩恵を全く受けていないどころか、石油公害により村の支えとなってきた漁業がダメージを受けた村のひとつだ。そこでは、本土側にある大手石油会社エクソン・モービルの石油ターミナルと、海上に建設されたプラットフォームから立ちのぼる巨大な炎が24時間休むことなく空を焦がしていた。

2日目の晩、村の漁師の深夜漁に同行した。近代都市のごとく、きらきらと明かりの灯っているターミナルの反対側にある村の方向に眼を向けると、そこにはただひっそりとした闇があるだけだった。搾取する側とされる側の対照的な姿だ。。。

取材の詳細はプロジェクト終了後レポートしたいと思う。

今日はホテルをでたあと別の村に移動する。この先数日間はまた原始的な生活を強いられそうだ。

ポートハーコートより

2005-10-27 15:53:51 | アフリカ
昨夜ポートハーコートにはいる。

ラゴスから45分程のフライトなのに、サンドイッチのサービスがついていた。5時間のフライトでもピーナッツしかでないアメリカの航空会社とは大違い。

N.D.P.V.S (ナイジェリアン・デルタ・ピープル・ボランティア・サービス)のスポークスマンにインタビュー。このグループはデルタ地域の住人を代弁する形で政府相手にたちあがった組織だ。この地域にはいくつかの武装組織があるが、その中のひとつでもある。時間がないのでインタビューの内容まではここで書けないが、熱っぽく語る彼の話は2時間に及び、ホテルに戻ったのは夜の12時近かった。

これから数日農村部にはいるので、ブログの更新はまた街に戻ってからになります。

ナイジェリア到着

2005-10-26 18:40:54 | アフリカ
「ああ、また戻ってきた。。。」

飛行機を降りる間際、外から入ってきた生暖かい空気の匂いを感じて、僕はまたこの地に戻ってきたことを実感した。僕はナイジェリアは初めてなので、この国に戻ってきた、という意味ではない。リベリア、シエラレオネ、コートジボワール、そしてナイジェリア。。。おなじ西アフリカに位置するこれらの国々には共通した「空気」があるのだ。なんとなく焦げ臭いなかに、人間の体臭の混ざりあった、多湿でねっとりと肌にまとわりついてくるような「空気」がそこにはある。国は違えど、いつもこの地域を訪れるときは、まず最初にこの「空気」が肌と鼻を刺激する。そして僕は、またここに来たんだなあ、という気分にさせられるのだ。

面倒だといわれていた入国審査もすんなり通過し、荷物もまったくチェックされることなく空港をでる。覚悟していただけに、拍子抜けした感じだ。聞くところによると、最近は空港での状況がずいぶん改善されてきたとのこと。
2日前に南アフリカから到着していたレポーターのポールと、ナイジェリアで僕らのフィクサー(アシスタントのようなもの)をしてくれるサムが出迎えにきてくれていた。

空港から車で小一時間、ラゴスアイランドにあるホテルに午後9時頃到着。小綺麗で設備も整ったいい宿だ。ホテル内のレストランで食事をしながら簡単な打ち合わせをおこなう。僕はシーフードのシチューを注文したのだが、イカと貝ばかりで、魚の切り身などははいっておらず、ちょっと期待はずれ。

2日目の今日は産油地帯であるデルタ地域にあるポートハーコートという街に飛行機で移動する。これから1週間程は、その付近の村を訪れ、産油地域に住んでいながら、その恩恵をほとんど預かっていない人々の生活を取材していく予定だ。


ついに出発

2005-10-25 00:36:43 | アフリカ
粘ったかいがあった。

アンゴラ大使館で、嫌な顔をされながらも問答を繰り返し、もうここに居座るぞというほどの意気込みが伝わったのか、ついにビザがおりた。これで予定通り出発できる。

最初の取材国はナイジェリア。飛行機に遅れがなければ、現地時間の火曜日夜にラゴスに到着する予定。
飛行機事故や大統領夫人の死去など、ここ数日間ごたがたが続いている国なので、普段から相当混乱しているといわれる空港の状況が悪化していなければいいけれど。。。入国審査や荷物審査もかなり面倒なようだ。

まあ、アフリカに行くときはいつも面倒がつきまとうものだ。いろいろと予期せぬことは起こるだろうが、なんとかなるだろう。いままでがそうだったように。。。

出発準備・頭痛のタネ その2

2005-10-23 03:20:14 | アフリカ
参った。。。悪い予感的中。

アンゴラのビザが、金曜日におりなかった。こちらからは電話でひたすら懇願し、おまけにワシントンDC在住の友人まで巻き込み、彼に大使館まで行ってかけあってもらったが、それでも拉致があかず。

相手は僕が月曜に出発予定であることを知っているし、ラッシュ(急ぎ)プロセスのために普通の倍の値段も払っている。(なんと220ドル!)なによりも申請の際に彼らは、木曜日にはビザが発給される、と言っていたのだ。こういうことを懸命に説いてみても、

「本国からの連絡がきてないので、どうしようもない」

の一点張り。

こうなったらもう自分がDCに乗り込んでいくしかない。ビザが月曜に発券されても、パスポートをシカゴまで送り返してもらう時間がないのだ。日曜日にDCに飛んで、月曜の朝大使館に押しかける。そこでなんとかビザを発給してもらって、午後にアフリカに向けて出発することにする。そうすれば、乗り継ぎ地のロンドンからラゴスまでは予定通りの飛行機にのることができる。

航空チケットを変更しなくてはならないので旅行会社に電話を入れるが、4カ国を含む複雑な航路であるうえに、シカゴではなくDCから出発することになると、航空会社もアメリカンからユナイテッドに変えなくてはならず、おまけにすでにチケットが発券されているので電話での変更は不可能とのこと。結局空港のチケットカウンターまで行かなくてはならなくなった。

金曜日の午後といえば、週の中で一番道路が混雑している時間帯だ。ラッシュアワーの真っただ中をだらだらと1時間以上かけてようやくオヘア空港のチケットカウンターにたどりつくが、今度はカウンターにも人の列が。。。発券ブースにはユナイテッド航空の事務員がたった一人しかいないうえに仕事がのろい。ここのカウンターに来る旅行者たちはみな、僕のように面倒な変更手続きをしなくてはならないためか、いっこうに列が進まないのだ。結局1時間ほど待ったあげく、当分自分の順番はまわってきそうになかったので、翌日出直すことにした。ちなみに帰りも渋滞に巻き込まれて1時間半程無駄にするはめに。

今朝(土曜日)はカウンターが込み合う前にと、7時に起きてすぐに空港に向かった。案の定非常に面倒な手続きだったようで、対応にあたってくれた女性が閉口しながら30分以上かけ、ようやくチケットの再発行をしてもらった。

アンゴラの大使館が予定通りビザをだしてくれなかったおかげで、まったくえらい時間と労力を浪費したものだ。

現在、荷造りの合間にこのブログを書いているが、月曜日のことを考えると頭が痛い。月曜の朝、アンゴラの役人達が僕を眼の前にして、ぬけぬけとまだビザが発券できない、などとのたまおうものなら。。。。(プチプチッ)






出発準備・頭痛のタネ

2005-10-21 07:30:58 | アフリカ
アフリカへの出発が決まり多分に忙しくなってきた。
とはいえ、写真機材やその他の荷造りに関しては普段とそれほど変わりはないので問題はない。ただ今回は、取材に付随する面倒なことがいろいろと重なってしまい、それで頭を痛めている。

(1)ナイジェリアのビザ取得に、予想を大きく超えて6週間もかかった。
(2)年末が近く、財政状態のあまり良くないトリビューンが取材費を切り詰めようと、細かいことを言ってくる。
(3)取材後シカゴに帰ってから年末までほとんど時間がなくなる恐れがあるため、コンテストの準備のために写真の整理をしておかなくてはならない。
(4)飛行機のつながりが悪いアフリカの国をいくつかまわるので、航路の決定が面倒。
そして。。。
(5)今日発給されるはずだったアンゴラのビザが、まだおりていない!!!のだ。

(1)については既に解決済み。(2)については、経理部の人とぐたぐたとメールのやり取りをしたあげく、結局今日は取材費の折り合いがつかず、明日までお預け。(4)は、実に親切、かつ的確に電話で対応してくれた旅行会社のジャッキーさんのおかげで、なんとか無駄な時間を浪費せずに取材の仮行程が組めた。

面倒なのは(3)の写真の整理。毎年1月には各写真コンテストの応募締め切りが目白押しになるので、年末までにある程度応募写真の整理をしておかなくてはならない。日頃の整理を怠っている僕は、いつも年末年始になってから、1年分の写真の見直しと整理、応募写真の準備できりきり舞いするはめになる。今回はこのアフリカ取材のあとにすぐ中東にいくことになっているので、年末までほとんどまとまった時間が取れない。それで出発前にできるだけ写真の整理を済ませてしまおうとやっきになっているのだ。

そしてもうひとつの頭痛のタネが、またもやビザ!今度はアンゴラである。大使館では今日ビザをだしてくれるようなことをいっていたのに、本国からまだ連絡がない、とかいって認可されず。。。僕は月曜のフライトで出発する予定なので、明日(金曜日)発給されるとしてもフェデックスでパスポートを送り返してもらってぎりぎりだ。もし明日もビザがおりなかったとしたら。。。。そんなことを考えるのはやめにしよう。同じようにビザの問題で、フライトの数時間前にパスポートが届くという綱渡りは以前にもしてきたし、今度も大丈夫だろう。。。と信じたい。

どんな取材のときも、物事すべてがスムースにいくなんてことはあり得ないのである。


ナイジェリアビザ

2005-10-19 23:41:40 | アフリカ
ついに、許可が下りた。

今朝ワシントンDCにあるナイジェリア大使館から、ジャーナリストビザがおりたと連絡があった。
申請してから6週間以上、あまりのプロセスの遅さにやきもきしながら、ほぼ毎日催促(懇願?)の電話をいれてきた。
いままでビザを申請をした国々のなかでも、最長の「待ち時間」を強いられた。

これでひとつの難関はクリアできたので、引き続きすぐにアンゴラへのビザ申請をおこなう。こちらのほうはそれほど時間はかからないだろう。(と願う!)

毎度のことだが、国外の取材からシカゴに帰ってきて1ヶ月半もするとまた外にでたくてうずうずしてくる。もう病気のようなものだ。6月にアフガニスタンから帰ってきてからもうすぐ4ヶ月が過ぎようとしている。その間に休暇で日本に帰ったり、先月には2つのハリケーンを取材してしのいできたが、そろそろ限界だ。

来週はじめにはアフリカに向けて出発できることを願う。