歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

インドの鍛造業に注目する

2007-01-13 23:15:01 | 海外ものづくり事情
「中国の次はインドを狙え」という経済関連記事をよく見ます。確かにソフトウェアの分野ではインドはすでに世界で確固たる地位を築いているのだろうけれども、製造業、それも機械工業については中国の足元にはとても及ばないんじゃないの。。。と私は思っていました。しかし、その考えはそろそろ改めなければならないのではないか、と思うようになりました。
素形材産業の関係者の方々とお話をすると、競争相手の国として挙げられるのはほとんど中国です。しかし、鍛造業界の場合はむしろインドが挙げられることが多いのです。それも特定の企業の名前が挙げられます。その企業とは、Bharat Forgeというインド最大の鍛造メーカーです。
同社のホームページをみると、1961年に創業、80年代に日本の自動車部品メーカーから技術を導入しています。急成長が始まるのは今世紀に入ってからで、2004年にはドイツ最大の鍛造メーカーを買収、そして2005年にはアメリカ、スウェーデン、スコットランドの鍛造メーカーを買収、さらに同年に中国最大の自動車メーカー、第一汽車と合弁で鍛造企業を立ち上げています。今やBharat Forgeは世界最大級の鍛造メーカーです。先進国のメーカーを買収しながら世界的な企業にまで成長したという点では、やはりインドの鉄鋼メーカーのミッタル・スチールを想起させます。
昨年11月、大阪で開催された鍛造業界の国際会議ASIA FORGEでのインド鍛造工業会の講演資料を見ると、Bharat Forgeだけでなく、インドの鍛造業界の成長は目覚しいことがわかります。2005年度の生産量は929千トン(見込み)で96年の2倍近い伸びです。輸出額の伸びはさらに著しく、2005年度は310百万ドル(見込み)でこちらは96年の6倍近い伸びとなっています。
インドは自前の技術でロケットを飛ばしたり核兵器を開発したりしているので、もともと技術力はかなり高い国です。そして軍需だけでなく民需の領域でも、鍛工品という自動車などの重要保安部品として用いられる素形材が、ローカルメーカーによって盛んに生産されるようになっているわけですから、インドのものづくりの実力は本物と考えてよいでしょう。今までインドという国はなんとなく敬遠していましたが、いつか機会があれば現地を視察してみたいと思います。

熱処理メーカーを訪問しました

2007-01-11 23:33:40 | ものづくり・素形材
埼玉県川越市の熱処理メーカー、オリエンタルエンヂニアリング株式会社を訪問してきました。同社はわが国の熱処理業界でも数少ない、熱処理設備メーカーであるとともに外部からの熱処理加工を請け負う企業です。
同社でうかがったお話で最も興味深かったのが、P-CVD(Plasma-Chemical Vapor Deposition)という表面処理技術です。一昨日のヤマナカゴーキンに関する投稿で、書き忘れていたのですが、際立った堅牢性と精密性が求められる冷間鍛造用金型は、金型の寿命を延ばすために特殊な表面処理が施されています。具体的には窒化チタン(TiN)などのコーティングを施すのですが、この特殊な表面処理を実現しているのが同社のP-CVDの技術だということを知りました。
金属の表面処理・改質技術としては、化学蒸着(CVD)法、物理蒸着(PVD)法もありますが、このP-CVDは、これらの方法よりもはるかに深い拡散硬化処理と多層コーティングが可能であるほか、低温処理であるため金型の精度や材料特性を損なうことなく寿命を向上させる、というメリットがあります。オリエンタルエンヂニアリングは、このP-CVDによる量産を1986年に世界で始めて実現したメーカーですが、現在でもこの処理ができるのは世界でも同社だけです。このため、堅牢性と精密性が求められる金型の表面処理加工を、同社はほとんど独占的に受注しているとのことでした。
P-CVDによって表面処理されるものとしては、自動車部品向けの冷間鍛造用金型だけでなく、たとえばCDやハードディスクを成形するための金型も挙げられます。日本の産業を、同社のような人々にあまり知られていない中小企業の優れた技術が支えている、ということを改めて実感しました。
オリエンタルエンヂニアリング様、ありがとうございました。

鍛造用金型メーカーを訪問しました

2007-01-09 22:39:49 | ものづくり・素形材
千葉県佐倉市にある鍛造用金型メーカー、株式会社ヤマナカゴーキン東京工場を訪問しました。若い従業員が多いとてもきれいな工場で、主に自動車産業向けの冷間鍛造用金型を生産しています。鍛造用金型の工場見学は初めてだったのですが、やはり鍛造用金型はプラスチックの射出成形用金型、金属プレス用金型とはかなり違うものでした。
写真は同社からお土産でもらった冷間鍛造品のサンプルです。鋼材を加熱せずにこのようなヘリカルの形状に鍛造するわけですから、金型にかかる力は大変なものになります。同社によると、プラスチック射出成形で金型にかかる圧力は平方ミリあたり10から20kg、これに対して冷間鍛造の場合はその10倍以上にもなるそうです。
また、巨大な圧力で鋼材を成形するため、鋼材は高熱を発するので、金型は耐熱性も要求されます。このように過酷な条件での成形が求められると同時に、成形品の精密さ、そして金型自体の長寿命が求められるわけですから、鍛造用金型は材料の段階からプラ型などとは全く異なります。
鍛造用金型の材料にはいろいろあるのですが、私が同社で見たのは超硬合金から作られたものです。鉄を削る超硬工具と同じ材質です。非常に堅い材料なので、工具も普通のものではありません。放電加工の電極は、銅2、タングステン8の合金(タングステンのような高融点金属はとても溶かせないので、正確にはタングステンの粉末を銅で固めたもの)です。小さな破片を持ってみると、びっくりするぐらい重いものでした。超硬合金を放電加工するには、この材料でないととても電極がもたないとのことでした。
タングステンは非常に高価な金属で、日本はその多くを中国からの輸入に頼っています。しかし鍛造用金型の多くは破損するとそのまま捨てられているのが現状です。これをリサイクルすれば貴重な資源の節約になると思うのですが、同社によると、コストがかかるため民間ベースではなかなか難しいのだそうです。それこそ公的な機関が行うべき事業ではないでしょうか。
また1つ、素形材技術について勉強させてもらいました。ヤマナカゴーキン様ありがとうございました。



野中広務 差別と権力 (単行本)

2007-01-08 10:32:42 | 読書
私は生まれて間もない頃から小学校5年生まで、大阪で過ごしました。その後、東京に引っ越したのですが、小学校の道徳の授業が大阪と東京ではまるで違うことに驚きました。大阪では道徳の授業に「にんげん」という副読本を読まされたのですが、差別の問題を取り上げたこの副読本の内容は、小学生にとっては実に重いものでした。これが東京の小学校では「クラスのみんな仲良くしよう」といった内容のNHK教育テレビの番組を教室で見る、という牧歌的なもので、東京と大阪では同じ道徳の授業でもまるで違う教科のように思えました。
今では関西はたまに出張で訪れるだけですが、それでもやはり差別の問題の根深さは東京の比ではない、ということは、たとえば駅のトイレを利用するとはっきりわかります。関西の駅のトイレでは東京ではまず見られない、「心無い差別落書きをやめよう」という注意書きを必ずといっていいほど見ることができます。それだけ関西では差別は今でも身近な問題なのでしょう。
さて、本書は「影の総理」とも呼ばれた元官房長官の野中広務の評伝ですが、京都府園部町の被差別出身の彼が、重い差別を乗り越えながら、町議から町長、京都府議、副知事、衆議院議員、そして政権の中枢にまで、まさに叩き上げで上り詰めていき、失意のうちに引退するまでを、膨大な取材を元に描いたものです。本書に描かれた過酷な差別には暗然とせざるをえません。
自らも虐げられてきた体験を持つ者として、野中は政治家としてハンセン病患者など社会的弱者には暖かく接します。しかし、差別を乗り越えるには「自助努力」しかないという信念を彼は終生抱き、問題を利権あさりや党勢拡張に利用しようとする組織に対しては厳しい態度で臨みます。また、政敵の弱みを握って恫喝する、一方で必要に応じて共産党や社会党、創価学会などの敵とも友好関係を結ぶ、という野中の権謀術数ぶりは実に迫力があります。
一時は総理の座が目前になった野中ですが、小泉純一郎との政争に敗れたこと、そして権力の中枢に上り詰めていくに従い強まっていく出自に対する風当たりに(著者の魚住の憶測では)野中自身が潮時を感じ、引退を余儀なくされます。引退後も政界に隠然たる影響力を残すようなことはなく、その引き際は潔いものといってよいでしょう。
彼の政治理念は、自らの差別体験に基づく「平等」と戦争体験に基づく「平和」の実現でしたが、戦後生まれの二世議員が政界の中枢を占める現在、この2つの理念を自らの経験に基づき強烈に打ち出す政治家はもはやいません。グローバル化した経済の中で日本が生きていくことを危うくする「平和」路線の放棄、という政治的な選択はまずありえないと思いますが、「平等」については明らかにあやしくなっています。野中、そして彼と同様に徹底した叩き上げの政治家だった田中角栄らが追及してきた「平等」は、もちろんすべてが褒められたものではないですし、そのための彼らの政治手法も批判すべきことは少なくありません。しかし、これまで日本社会に繁栄と安定をもたらしてきた点で、野中らの功績はやはり大きいと思います。
本書は差別問題と日本の政治について理解を深める上で、実にすぐれた本だと思います。

野中広務 差別と権力 (単行本)
魚住 昭 (著)

1969年を描いた2冊の本

2007-01-05 22:08:13 | 読書
いわゆる「団塊の世代」の方々が一斉に定年を迎え、仕事の現役を退こうとしています。製造業の現場ではこれは深刻な問題で、いかにいまのうちに若者に技能の伝承を行うかがポイントになっています。
「団塊の世代」の方々は、1960年代後半に社会に出られたわけですが、当時の日本がどのようであったのか、私は関心があります。当時の雰囲気を伝える書籍としては、私は高野悦子の「20歳の原点」と村上龍の「69」の2冊が印象に残っています。2冊とも舞台は安保闘争が盛んだった1969年ですが、20歳の女子大生だった高野悦子と17歳の高校生だった村上龍、2人の安保闘争に対する視点はまるで違います。
「20歳の原点」は、立命館大学文学部の学生だった高野が、いつしか社会の矛盾に怒りを感じて当時の激しい学生運動に身を投じるのですが、己を律することに心身共に疲れはてて鉄道自殺するまでを綴った日記です。マルクスやレーニンから借りたような堅い言葉で大学当局や機動隊、佐藤政権を批判する一方、自然への憧れやアルバイト先で出会った男性への恋愛感情の吐露、そして美しい詩を彼女は綴ります。彼女はほとんど観念的な理由で自殺にまで突き進んでしまうのですが、それだけの莫大なエネルギーを生きる方向に向けていれば、今頃は詩人として大成していたのではないかと思います。
一方、村上龍の自伝的な小説「69」の主人公、矢崎(村上本人といってよい)も友人を誘って高校をバリケード封鎖し、クラスメイトに国体反対を叫んで「フェスティバル」を開催しようとします。しかし矢崎の動機は、政治的なことや観念的なことではなく、目立つことで憧れの可愛い女の子の気を引こう、という不純な、しかし若い男としてはいたって自然なものです(が、やりすぎ)。とにかく目立とう、カッコつけよう、楽しんでやろう、という矢崎の行動は笑わせてくれます。
高野のような強い社会に対する意識と、己を律しきれない自分に対する煩悶、を抱く20歳の学生が、今ではどれほどいるのでしょうか。一方で矢崎(村上)のように、好きな女の子の気を引くために破天荒な行動を取る高校生も、今ではあまりいそうもありません。
全くタイプの異なる2冊ですが、1969年の日本は若く、エネルギーに満ちていたのだな、と思いました。

今日から出社です

2007-01-04 19:58:08 | 日常
正月休みも終り、今日から出社です。年の始めぐらい贅沢してもいいだろ、とグリーン車に乗りました。
かつて東海道線、横須賀線のグリーン車は、普通定期券での利用ができず、私のような一般的なサラリーマンがたまにグリーン車を利用するには乗車券とグリーン券の両方を購入せねばならず、かなり割高でした。今ではグリーン券だけ買えば普通定期券でも利用できるので、かなり気軽に利用できるようになりました。夜には「グリーンアテンダント」という名称の女性乗務員がビールなどを販売しに来るサービスもあります。
しかし、Suicaグリーン券のシステムはどうもいただけません。グリーン券を購入するには、券売機にSuicaを入れて行き先を指定、Suicaにグリーン券情報を記録します。そして乗客はSuicaを座席上方にあるリーダーにかざして、自ら検札を行わなければなりません。車掌による検札の手間が省けるということでJRはコストダウンできたかもしれませんが、ユーザーとしては便利になったという実感がありません。
そんな面倒な手続きを取らせずに、Suicaを持っている乗客がグリーン車の座席に座った時点で自動的に課金を開始し、下車時に自動的に精算する、そしてSuicaを持っていない又は残額が足りない乗客については座席上方に赤ランプを点灯させる、というシステムにできないものでしょうか。現在の無線技術で十分可能ではないかと思うのですが。

世界の自動車を造った男―荻原映久、50年のモノづくり人生 (単行本)

2007-01-03 21:28:56 | 読書
株式会社オギハラ(本社:群馬県太田市)は、知る人ぞ知る世界一の自動車プレス用金型メーカーです。同社がなければ、間違いなく世界の自動車生産がストップすると思います。
本書はオギハラの元会長、荻原映久氏に対するインタビューを中心にオギハラの歴史を描いたものです。内容は実に面白く、一気に読ませます。世界に誇る日本の金型産業ですが、その発展の歴史を知ろうと思うと意外に良い資料がないのですが、本書はそれに最適な本であると言ってよいでしょう。また、金型といういわば「裏方」の視点からインドやロシアなどを含む自動車産業の動きも学ぶことができるので、自動車産業について学ぼうという方にもお勧めです。
私にとって収穫だったのは、金型産業の国際化は非常に早かった、というものです。金型産業はトヨタ、日産といった日本の自動車メーカーの発展と共に成長してきた、と私は理解していました。それは確かに事実なのですが、業界のリーダー的存在のオギハラは、昭和30年代から映久氏の父親の八郎氏は「これからは海外に市場を求めなければならない。国内の売り上げが3割。残りの7割は海外での仕事にならないと、いずれ追随する国に負けるときが来る」と語り、海外雄飛を目指していたというのです。同社の海外からの初受注は昭和38年のオーストラリアからのものですが、その後、同社は旧ソ連、アメリカ、欧州、韓国、台湾、タイ、中国、南ア、インド、、、と映久氏は世界中を飛び回って販路開拓、というより日本の金型の伝道師のような働きをしていきます。日本の自動車業界にとって縁の薄い旧ソ連・ロシアですら、彼は100回近く訪れているというので、他の国々はどの程度のものなのか想像できるというものです。同社の海外展開を通じて築かれた映久氏の人脈は相当なもので、おそらく彼ほど世界の自動車業界に顔が広い日本人はいないのではないかと思います。
このほか、金型工場を立ち上げるための資金を映画館の経営でまかなったことや、初めて受注した本格的な自動車金型は富士重工のイスラエル向けのバスのボンネット用金型だったこと、オイルショックの不況時に舞い込んだ韓国・現代自動車からの大型受注を業界全体の発展のために他社にも仕事を回したこと、など、意外なエピソードも多く記述されています。
繰り返しになりますが、金型、そして自動車産業の歴史に関心がある方には勧めたい一冊です。

世界の自動車を造った男―荻原映久、50年のモノづくり人生 (単行本)
生江 有二 (著)