クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

館林市役所の下にはどんな足跡が残っている?

2011年12月21日 | ふるさと歴史探訪の部屋
「庁舎」と名の付くものは多くあるが、
館林市役所庁舎はかっこいい。
レンガ造りのシックな建物で、
周囲に樹木も多く、文化的な香りが漂っている。

市役所庁舎は、昔で言う“城”である。
その地域の中心的建物で、
いまも城跡に建つ役所は多い。
群馬県館林市もしかりで、
将軍“徳川綱吉”を輩出した名城の跡地に建っている。

館林城は中世から近代まで存続した城である。
赤井氏によって築城されたこの城は、
羽生城主“広田直繁”に移封されたこともあったが、
天正年間は“長尾顕長”の居城となる。

近世を迎え、“榊原康政”が10万石で入封。
以後多くの変遷が展開された。
榊原康勝、同忠次、松平乗寿、同乗久、徳川綱吉、同徳松丸、
松平清武、同武雅、太田資晴、松平武元、同武寛、同斉厚、
井上正春、秋元志朝、同礼朝という面々。
この間、幕府の直轄地になったこともあり、
代官の支配を受けたのである。

館林城は、明治7年3月6日の大火によってほとんど灰燼に帰してしまう。
土塁の一部や城沼が現存し、
土橋門が復元されている。

現在は群馬県だが、明治4年の廃藩置県によって、
ほんの一瞬ではあったが、“館林県”が誕生した。
埼玉でいう、熊谷県、浦和県のようなものである。
現在の感覚だと異和感があるだろう。

この館林県は148町村を管轄。
しかし、誕生からわずか4ヶ月後に、“栃木県”に加えられた。
明治4年11月のことである。
つまり、明治9年に群馬県に編入されるまで、
この町は栃木県だったのだ。

昭和29年4月1日に、“館林市”が誕生。
さまざまな変遷があり、その度ごとに新しく生まれ変わっている。
特に、維新直後の役人たちは、
事務作業に忙殺されていたかもしれない。

現在の庁舎は、このような歴史の上に建っている。
そのかっこよさは、歴史の重みが醸し出すオーラでもあるのかもしれない。
現在も「城」として機能しているし、
近くに横たわる城沼や鶴生田川は外堀のようなもの。
往古に比べて時代の流れは早いが、
この地はこれからどんな時を重ねていくのだろう。


※最初の写真は館林市役所(群馬県館林市)

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