クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

群馬の“江田城”はどんなところ?

2011年09月07日 | 城・館の部屋
江田城(えだじょう)は、
群馬県太田市新田上江田町にある。
本丸の堀と土塁が現存し、
国指定の史跡である。

地元では“堀之内”と呼ばれているという。
平成9年の発掘調査では、かわらけや土鍋・鉢が出土。
現在、太田市立新田荘歴史資料館で展示されている(9月18日までか)。

ここに館を構えたのは、
新田義重の孫“得川頼有”と言われている。
その後、江田光義、矢内四郎左衛門と主を変えて、城郭化していく。

単郭で存在し、武士の屋敷としての要素が強い館は、
やがて戦乱の激化に伴い、
堀や土塁を幾重も張り巡らし、複数の郭を設けて防御を強め、
城郭へと変貌していくのである。

「城」というと、石垣にそびえ立つ天守閣を想像しがちだが、
そのような建造物が登場したのは戦国末期で、近世に一般化する。
したがって、戦国期の城は堀と土塁で構成される“砦”である。
城と砦の明確な線分けはなく、
戦国期に城と言えば、砦と同様だった。

近年の歴史ブーム・城ブームにより、
城めぐりをする人が増えている。
企業もこれに便乗し、
講師同行の城めぐりプランを目にする。

ただ、当然のことかもしれないが、
いずれも絢爛豪華な城か、
知名度の高い城に白羽の矢が立っている。

大切なのは、何をもって城を見るかだろう。
思わず目を奪われる建設物か、それともそこに眠る歴史か、
あるいは足跡を残す人物の軌跡か……
いろいろな楽しみ方がある。

ぼく個人としては、
天守閣の美はあまり心を動かされない。
あくまでもメインなのは、そこに眠る人の歴史であって、
天守閣の歴史ではない。

人知れず、堀や土塁が残っている城跡が好きだ。
あまり近代化が進んでいなければいないほどいい。
人の手が加わることは仕方がないが、
できるかぎり自然の状態がベストだと考えている。

そういう意味で、江田城跡は心をくすぐる場所である。
平地の住宅や道路に囲まれながらも、
どことなく中世の気配が漂っている。
地元の人の尽力によるものなのだろう。

土塁が本丸を囲み、東と西に折がある。
ほかに人影はない。
道路を通る車の数もまばらだ。
ポツリポツリ雨が降ってきて、
城跡の情緒を誘っていた。


江田城の本丸址








黒沢屋敷の土塁



















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2 コメント

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縄張り (treasure)
2011-09-08 06:30:24
>いずれも絢爛豪華な城か、知名度の高い城に白羽の矢が立っている。

仕様がないのかもしれませんね。私は天守を含めた城の縄張り、どこに支城があって、というところを見てしまいます。天守閣だけが城の構成要素ではないですしね。

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treasureさんへ (クニ)
2011-09-08 23:48:51
天守閣のある絢爛豪華な城も、決して嫌いではないです。
ただ、往古から残っているものならまだしも、
復元されているのは、
時間の重みがまだ違いますね。
やはり、誰もが見てわかるようなものではなく、
ちょっとやそっとでは辿り着けない歴史を狭間を垣間見たいものです。
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