kumiの「だんだん」ブログ

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津和野・乙女峠の歴史

2018-07-04 | Weblog


津和野・乙女峠祭(毎年5月3日) 隠れキリシタン殉教の地

 

隠れキリシタンの歴史は、豊臣秀吉の伴天連追放令(宣教師・キリスト教徒)に始まり明治まで続きました。

信者では無いので自分なりの解釈でしかありませんが、述べてみたいと思います。

スペイン系カトリックの高校で、聖書研究会なるものに興味を持ち入会。

その間、学園祭にレポートを提出するため、顧問の先生とマドレス2人とメンバー5人で津和野へ行きました。

津和野カトリック教会の客室に一泊して、神父さまと地元の歴史家の話に耳を傾け、迫害の森にも行きました。

当時はドイツ人のネーベル神父様。のちに殉教した子ども「岡崎裕次郎」の名を貰って日本に帰化されました。

それが津和野のキリシタン迫害を知るきっかけです。少女の空想の域を出ませんが(^^;

 


「潜伏キリシタン関連遺産」は長崎&天草に集中しているが「大浦天主堂」は潜伏キリシタンとは本来関係が無かった。

鎖国から開国を迫られた幕府は、長崎県のみに外国が教会を建てることを容認。

大浦天主堂はフランス人神父による建立。その頃日本は神道または仏教以外は禁止されていた時代。

教会建立後すぐに浦上の潜伏キリシタンが訪れて、プチジャン神父に自分たちがカトリック信者であるのを告白した。

これが「浦上四番崩れ」と言われて、大浦天主堂の名が一躍海外にも知れることになる。

一番、二番、三番と信者が摘発されてきて、本格的な弾圧の始まりである。

この頃キリシタンが、葬儀はキリスト教で行うと庄屋に申し出たと言われる。

仰天した庄屋がお上にご注進して、隠れキリシタン摘発が厳しくなった。

だんだんの独り言(正々堂々と言えば聞こえは良いが、信者は弾圧覚悟だったのか?)

3,380人の浦上信者はついに配流を言い渡され、各地へ運ばれた。(ネット参照)


津和野に戻りまして、当時を想い出してみます。レポートはもう手元に無くて不首尾ですが・・・

津和野には153名が流され、そのうち36人が棄教を拒み殉教しました

町から離れた乙女峠の寺に隔離され、凄まじい拷問が繰り返され幾多の信者が棄教。

「沈黙・サイレンス」の映画でも、これでもかと描いてました!

捨てた者は後悔に苛まれ、町に住み込んで食事を運んだりしていたらしい。

殉教者の遺体は放置され、半世紀後に有志の努力で墓が立てられ、慰霊碑も建立されました。

広島の教会から「岡崎神父(旧ネーベル)が赴任して、そこにマリア堂が建てられました。

私たちは真新しいお堂とお墓、そして受難の塚にも行くことが出来たのです。

マリア堂では手を合わせて、先人の惨い苦しみに哀悼の意を表して来ました。

 


最も有名な三尺牢がある。
安太郎は毎日マリア様が現れたと言って殉教した。


毎年5月3日に「乙女峠祭」が開催されています


  
津和野カトリック教会
    当時の教会は畳敷だった。今は椅子もある。     乙女峠祭の行列


マリア堂


 
海外からも信者が訪れて盛大な慰霊祭がされる




信者への迫害が海外に知れて、猛烈な抗議の嵐に疲弊した政府は、やがて戒めを解いて帰村を許しました。

でもそれで全てが終わった訳では無く、あいまいなままに過ぎたとあります。

乙女峠祭の時期に行ったことはありませんが、いつかはと願っています。


津和野の人々が、当時をどのように思い過ごしたのかも気になるところ・・・

 

その後も4度行きまして、マリア堂で祈ってきました。青野山も良いですよ♪

行く毎に街が綺麗になり観光客が多くなりました。昔はもっと不便でのどかな田舎だった・・・

 

 

長々と失礼しました  潜伏キリシタンが、津和野と深い関係があるのを知って頂きたくて~ 





 

 

 

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36 コメント

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Unknown (koyuko)
2018-07-04 16:16:51
信者ではないのに、「聖書研究会」に入り、熱心に勉強されたのですね。

私も信者ではないので通り一遍の知識のみ、
それでも凄まじい拷問が繰り返されたのは歴史で学んで理解してるつもりですが、
改めて拝見すると、目を覆いたくなる惨いことですね。
Unknown (tombee)
2018-07-05 03:56:53
津和野が隠れキリシタンの町だとは・・・
初めて知りました。島根県民として恥ずかしい。
すげーレポート・・・に感服。
帰ってから一回も行っていない津和野。
その内と思いながら・・・。
行ったらこっちにも回りたいと思います。
Unknown (山小屋)
2018-07-05 06:22:07
津和野を訪ねたことがありますが、ツアーだったので
街の中を散策しただけでした。
小さな水路にハナショウブが咲き、錦鯉が泳いで
いたことくらいしか覚えていません。

隠れキリシタンと津和野・・・
深い関係があるとは知りませんでした。
Unknown (Syu(chan))
2018-07-05 10:16:16
今でも中東など、宗教が違うだけで戦い続けている所
が有りますが、私には理解出来ません。
ロヒンギャ問題なんかどう解決されるんでしょう?

当時は、まだ弾圧すれば改宗してキリスト教を排除
出来ると考える程の少数派だったんでしょうか?

身近だと親戚の子が改宗して結婚したとか、
昔話みたいで。母も改宗して結婚したと聞きました。

親戚に行くと食事前のお祈りなんかが有っても私も
(仏教徒のつもりですが?)一緒に真似します。
それで罰が当たった様な事は無かったですが。
隠れキリシタン (菜桜)
2018-07-05 12:30:14
今日は~♪
津和野の乙女峠良く知っております。
信者では有りませんがカトリック教会も知っています。
この度「潜伏キリシタン関連遺産」になりましたね。
長崎大浦天主堂 平戸 天草 五津列島もキリシタン弾圧で苦しんだところ 
この辺りを歩きお墓もひっそり 可哀そうと感じた次第です。
Unknown (チョコママ)
2018-07-05 13:46:06
大浦天主堂など潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産になりましたが、津和野もそうだとは知りませんでした。
これを機会にもっと歴史を知りたくなりました。

Unknown (ビオラ)
2018-07-05 16:30:49
津和野にはまだ行ったことがなくいってみたい地ですが
堀を泳ぐ鯉などの街の景色だけにあこがれていて
隠れキリシタンに関係ある街だとは知りませんでした。
長崎の信者が津和野にも流されたのですね。
「沈黙」でのすさまじい拷問の様子には目を開けて正視できなかったのを思い出します
高校生のころこのようなことに興味を持ち詳しく調べた実績、すごいですね
私は先日新聞でペトロカスイ岐部という名前を知りました。
400年ほど前大分出身で日本人で初めてローマに行き苦労して司祭になった人だそうです。
帰国して死を覚悟で信者たちを励まし激しい拷問を受けても最後まで棄教せず殺されたのだそう
このような多くの犠牲の上に今日があることを思うと
ただの物見遊山的な考えだけで訪れるのは気が引ける場所のような気がしてしまいます
因果関係 (歴史に興味がある老女)
2018-07-05 20:30:47
だんだん様 初めまして

弾圧を受けても
信じる道を貫こうとしたキリシタンの人達の信念はに敬服します
またその人生を想像すると胸が痛みます

私はだんだん様の前記事の
次は潜伏キリシタンについて書きます の言葉に
弾圧した側とされた側の双方の立場に
言及なさると思っていました

読み流そうと思いましたが
隠れキリシタンの人達だけでなく
辛い思いをした人達がいることを知ってほしいと
コメントさせていただきます

当時の為政者が何故キリシタンを弾圧したか
ご存知ですか?

物事には原因があり結果があります

日本にキリスト教が伝わり
たくさんの人(少女を含む)が
南蛮人により
奴隷としてアジアやヨーロッパへ売られました

見たこともないような南蛮人に
性奴隷として売られた少女達 どんなに怖かったでしょう
また虐殺された寺の僧もいました

日本は植民地にされてしまうところだったと
書いている書物があります

南蛮人の愚行があり
悲しい運命を辿った日本人がいたことを忘れてはいけないと思います

検索してみてください
おはよう御座います(^^♪ (安人(あんじん)です)
2018-07-06 05:58:55
 何時もの うみかぜ公園に 第三海堡
 が引き揚げられて置いてあります

 かなり小さいですが・・人が住んで居たのかと?

明日 早朝散歩で撮ってupしますね

 有難う御座いました(^_-)-☆
Unknown (ローリングウエスト)
2018-07-06 06:02:40
素晴らしい記事を読ませて頂きました。以前のコメントで津和野の潜伏キリシタン関連遺産探訪のお話がありましたが、聖書研究会の学園祭レポートの取材旅だったのですね。津和野カトリック教会の客室の宿泊と地元の悲しい歴史のおはない、迫害の森訪問はいつまでも忘れないよき思い出となりましたね。「潜伏キリシタン関連遺産」と「大浦天主堂」は浦上の潜伏信者が告白することで海外にその存在が明らかになったことは、3年前の長崎訪問時に知りましたが、「浦上四番崩れ」で弾圧覚悟で信者が神父告白に至った経緯は今回あらためて勉強させて頂きました。ありがとうございます。

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