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山と草花と麺三昧【博多発 森の熊さん】

日々の山歩きと出会う雑草や花と庭いじりとかとかなんでもありで、とても麺好きな博多の熊さんが綴る淡々とした日記です。

博多旧町名石碑巡り!!その43(中島町)

2010年02月27日 06時20分11秒 | 博多旧町名石碑巡り
★43回目は、中洲中島町エリアからです。

43.【旧中島町】なかしままち(中洲中島町2)その1

 
【旧中島町】なかしままち

●「流」:現在は中洲流という
●居所:福岡市博多区中洲中島町2
●碑文:博多問屋街西端 之より福岡城下につながる 新聞印刷 医学校等明治文化ここより始まる
●云々:黒田長政が筑前国に入国し、湿地帯だったこの地のデルタ地帯に石垣を築いて、
    博多と福岡を結ぶ東中島橋と西中島橋を架けて道を通し、旧領地の中津(大分県中津市)
    から来た商人が住み始めて生まれた町です。南側(今の歓楽街あたり)は湿地と畑地で
    あったようです。唐物問屋、紙屋、醤油屋、煙草屋、薬屋などがあったようです。
    明治・大正の頃に現在の西日本新聞社(筑紫新聞)や福陵新報(のち九州日報)やら、
    積文館の前身の博文館や金文堂などの書店、保健会社、旅館があったところで
    賑わっていたところです。
    戦後町名改正で中洲中島町、中洲五丁目となっています。

●案内:昭和通り沿いにあります。通りを渡ると中洲の歓楽街に入っていきます。
    意外と簡単に見つかりますよ。
●地図:http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E130.24.20.216N33.35.28.851&ZM=12

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