★43回目は、中洲中島町エリアからです。
43.【旧中島町】なかしままち(中洲中島町2)その1

【旧中島町】なかしままち
●「流」:現在は中洲流という
●居所:福岡市博多区中洲中島町2
●碑文:博多問屋街西端 之より福岡城下につながる 新聞印刷 医学校等明治文化ここより始まる
●云々:黒田長政が筑前国に入国し、湿地帯だったこの地のデルタ地帯に石垣を築いて、
博多と福岡を結ぶ東中島橋と西中島橋を架けて道を通し、旧領地の中津(大分県中津市)
から来た商人が住み始めて生まれた町です。南側(今の歓楽街あたり)は湿地と畑地で
あったようです。唐物問屋、紙屋、醤油屋、煙草屋、薬屋などがあったようです。
明治・大正の頃に現在の西日本新聞社(筑紫新聞)や福陵新報(のち九州日報)やら、
積文館の前身の博文館や金文堂などの書店、保健会社、旅館があったところで
賑わっていたところです。
戦後町名改正で中洲中島町、中洲五丁目となっています。
●案内:昭和通り沿いにあります。通りを渡ると中洲の歓楽街に入っていきます。
意外と簡単に見つかりますよ。
●地図:http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E130.24.20.216N33.35.28.851&ZM=12
43.【旧中島町】なかしままち(中洲中島町2)その1


【旧中島町】なかしままち
●「流」:現在は中洲流という
●居所:福岡市博多区中洲中島町2
●碑文:博多問屋街西端 之より福岡城下につながる 新聞印刷 医学校等明治文化ここより始まる
●云々:黒田長政が筑前国に入国し、湿地帯だったこの地のデルタ地帯に石垣を築いて、
博多と福岡を結ぶ東中島橋と西中島橋を架けて道を通し、旧領地の中津(大分県中津市)
から来た商人が住み始めて生まれた町です。南側(今の歓楽街あたり)は湿地と畑地で
あったようです。唐物問屋、紙屋、醤油屋、煙草屋、薬屋などがあったようです。
明治・大正の頃に現在の西日本新聞社(筑紫新聞)や福陵新報(のち九州日報)やら、
積文館の前身の博文館や金文堂などの書店、保健会社、旅館があったところで
賑わっていたところです。
戦後町名改正で中洲中島町、中洲五丁目となっています。
●案内:昭和通り沿いにあります。通りを渡ると中洲の歓楽街に入っていきます。
意外と簡単に見つかりますよ。
●地図:http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E130.24.20.216N33.35.28.851&ZM=12
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